0人が本棚に入れています
本棚に追加
次の日、カヨはバイトが休みだったので一日中家にいた。昨夜の事を何度も思い返し、色々と思いにふけった。夜になって夕飯の用意をしようと立ち上がると、呼び鈴が鳴った。
「あの、佐々木ですー」
お隣さんだった。カヨは扉を開けた。
「これ、肉じゃが作ったんですけど、良かったら…」
そう言うと彼女はプラスチックの容器をカヨに差し出した。今時こんなことする人珍しいな…、カヨはそう思ったが、断るのも悪いと思い受け取った。不安そうな表情の彼女を見て、ふとカヨは話し掛けてみようという気持ちになった。
「あの…」
「…あっ、やっぱりこういうの嫌ですか?」
「いや、そうじゃなくて。その、えっと、佐々木さんの知り合いに、中年の太った男性の人っています?」
「え?」
「四十代くらいの太った人で、髪は長くて、癖毛で…」
カヨは身振りを交えて髪形の感じを伝えようとした。彼女は怪訝な顔をしている。カヨは焦った。
「ええっと、それでその人は口癖があって、みてんじゃあーねえーよおおおーって言うんです」
全力でものまねをしたのでカヨは恥ずかしかった。しかしその口癖を聞いた瞬間、彼女の表情は急変して黙り込んでしまった。そして、
「それ…、私のお父さんです。きっと」
「お父さん?」
「はい。その口癖は、お父さんです。もう亡くなってしまったけれど。どうして私のお父さんを知っているんですか?」
カヨは過去に部屋で起こった不思議な出来事を彼女に説明した。
「そうですか。…じゃあ幽霊が見えるんですね。凄い能力ですね。それにしても…」
そう言うと急に彼女は笑い出した。
「お父さん、美少女系のフィギュアを自分で作るのが趣味で、それを私が覗こうとするとその口癖が出るんですよ。見られるのが嫌みたいで。でも私、そのお父さんの姿が大好きで…」
彼女は嬉しそうに笑っていたが、目には涙がいっぱいに溜まっていた。二人はその後少し話をして別れた。
ひとりになったカヨは貰った容器を開けて、肉じゃがを一口食べた。予想通り美味しかった。調理台に容器を置いて、カヨはベッドに横になった。自分には幽霊が見えるのだろう。幽霊はみんな怒っているけれど、それでも怖くなかったのはその姿をとても愛している人がいるからだろうと思われた。でもなんでみんな怒っているのか…。カヨは目を閉じて自分の事を考えた。カヨが東京に出てきた本当の理由。それは余りに躾に厳し過ぎる父親から離れたかったからであった。あぐらを組んで座っているだけでも怒る父親だった。でも今は自分を叱ってくれる人は誰もいない。カヨを叱りつけた後に少し困ったような表情をする父親。その複雑な表情をする父を思い返していたら、カヨの目からは涙が落ちて来て、やがてそれは止まらなくなった。カヨが心の底から求めていたもの。それが怒った幽霊が見えるようになるきっかけになったのかも知れない、カヨはそう思った。
ベッドから体を起こして、カヨは上京して初めて実家に電話を入れた。母としばらく話した後、父に代わってもらった。久しぶりに聞く父親の声は少し弱々しくなっているように思えた。震えそうになる声を何とか抑えて、時間が出来たら帰省することを約束して電話を切った。
もらった肉じゃがは全部食べた。お返しは何にしようか、とそんなことを考えていたら、カヨはいつの間にか深い眠りに落ちていた。
終
最初のコメントを投稿しよう!