見える幽霊はみな怒っている

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 カヨが島根県の田舎から東京へ上京して来たのは四年前。高校を卒業してすぐだった。高校で演劇部の主将をしていた彼女は舞台女優になりたいという夢を描いていた。しかし東京に来て当時自分が一番好きだった劇団の舞台をはじめて映像ではなく生で見て、そのレベルの違いに衝撃を受けて、すぐに心が折れてしまった。正直に言えば元々そんなに情熱を持っていたわけでもなかった。そして現在の彼女はコンビニでバイトするだけの生活を送っていた。  カヨは上京して以来ずっと阿佐ヶ谷にあるワンルームのアパートに暮らしている。二階建てのどこにでもありそうな建物で、四つの世帯が住めるその建物の、カヨは一階の東側の部屋を借りていた。特にトラブルなどもなく暮らしていたが、最近隣の部屋の住人が引っ越した。それからしばらくして新しい住人がやって来た。  その人は引っ越してきたその日の夜にカヨのところに挨拶に来た。カヨがその日のバイトを終えて帰宅すると、それを見計らうかのように部屋の呼び鈴がなった。  立っていたのはカヨよりも少し年上の女性だった。彼女はカヨの顔を見るなり頭を下げて、 「新しく越してきた佐々木です。よろしくお願いします」  割とはっきりした声で言った。  肩まで真っすぐに伸びる綺麗な黒髪が印象的な女性だった。カヨは彼女を一目見て「自分よりも美人だな」と率直に思った。 「あ、こちらこそ、よろしくお願いします。松崎と言います」  カヨも頭を下げた。 「あの、これよかったら」  そう言って彼女は手に持っていた箱を差し出した。 「ロールケーキです。ここの近くにある有名なお店みたいで。さっき行ってみたんです」 「どうも」  カヨは何も考えずにそれを受け取った。 「それじゃ、失礼します」  そう言うと彼女はもう一度頭を下げて自分の部屋へ帰って行った。  新しい隣人が帰った後、カヨは座卓に箱を置き、床に座って今のことを思い返した。挨拶に来てくれて、しかも何かをくれた。悪い印象は一つもなかった。箱を開けてみると、なるほど美味しそうなロールケーキだった。夕食前でお腹が空いていたカヨはそのまま包みを開けて一切れ口に入れた。美味しかったのでさらに二切ほど食べた後にお茶を入れて、結局全部食べてしまい、それから改めて自分の夕食を作り始めた。  カヨの暮らしにおかしなことが起こり始めたのはそれから数週間が経ったころだった。ある夜、部屋でベッドに横になってスマホを見ていた彼女はふと気になり、顔をそちらに向けると、そこには髪が癖毛でモジャモジャの太った中年の男性がカヨに背を向けて座っていた。カヨはすごく驚いたが、本能的にこの人には実体がないとすぐにわかった。ほんの少しだけうっすらとしているのだ。彼女の人生でこんな体験は初めてであった。これはいわゆる幽霊というものだろうか…、そう思ってぼんやりと見続けていると、その男性はカヨの方へ振り返った。そしてカヨの存在に気付くと急に怒り出して、 「なんだよ、みてんじゃあーねえーよおおおー」  と独特な口調でカヨを𠮟りつけた。 「わ、す、すみません!」  カヨは慌てて逆側に寝返って男に背を向けた。しかしそれから何の物音もしなくなり、しばらくしてカヨは恐る恐る男の方へ顔を向けると、もう男の姿はなかった。 「なんだったんだろう…」  しかしカヨの心に不思議と恐怖感はなかった。
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