第一章  十六歳になった日

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 若園祥子がどんな境遇に居るかなんて、その時の私は何も知らなかった。(何と言ってもほんの少し前までは、岩村七重として生きていたのだ。ワタシにとってはハッキリと見知らぬ他人だ)  「とにかく脚の切り傷を縫合しよう。大した怪我じゃなくてよかったね」、優しい声で慰めてくれる。少女の身体に大きな傷が残っては悲しむだろうという、優しい心遣いに溢れるお言葉だ。  外傷の手当てが済んだところで、さっきの看護師に車椅子に乗せられ、検査室に運ばれた。運よく骨折はしていなかったが、肋骨にヒビが見つかったようだ。  検査室で、鏡に映った少女の身体を初めて見た。顔立ちはまぁまぁだが、細くて筋肉のかけらも見当たらない発育不全な身体だ。 (たぶん胸は、AカップかBカップだろう。因みに岩村七重だった身体は、けっこうに筋肉が発達した労働者タイプ、胸も豊かなEカップだった)  心に懐かしい日々が甦る。  岩村七重が父親の残した【キッチン・アリス】という大衆食堂を継いだのは、父親が亡くなった後の事だった。  二十八歳で家族を養うために、それまで勤めていた広告代理店を退職。気楽なOL家業に別れを告げた。  まだ高校に入学したばかりの弟と、小学六年生の妹。お嬢様育ちを絵に描いたような役立たずの母親を養うために、お祖父ちゃんが始めた家業を継いだのだ。  一日のほとんどを厨房に立ち、幼いころからの店の手伝いで培った調理の知識と、父親の片腕だった調理師の(げん)さんに助けられ。朝から晩まで、必死の闘いを繰り広げた日々だった。  それこそ毎日が戦場。  だがそんな七重の中に、祖父譲りの商売人の双葉が芽生える日が来た。【キッチン・アリス】が通勤客で賑わう駅の近くに店を構えていることを強みに、思い切って勝負に出たのだ。その当時の流行に沿って、朝の六時からバイキングを始めたのである。  勝負は大成功を収め、【キッチン・アリス】は大いに繁盛した。  隣の潰れかけの喫茶店を買い取ると。【アリスの世界】と名付けて、こじゃれた喫茶パブに改装。従業員もアルバイトからパートまで含めると、常時三十人はいただろうか。  おかげで収入がグンと増え、家族を路頭に迷わせる危機から脱出した。  (懐かしい思い出が心に溢れて、つい眼がしらが潤む。二度と帰らぬ日々の残像だ)  「諦めが肝心」、自分に言い聞かせると。鏡の中の少女をしげしげと観察した。深いため息が漏れる。  「この子、何歳なんだろう?」、この身体で生きていくしかないのだから、この子の情報がもっと欲しいところだ。
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