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七歳のときに死んでしまった母方のおじいちゃんは、私にとても優しくて、私は大好きだった。でも、おじいちゃんが死んでから十年経って、私はおじいちゃんのいろんなことを知った。
おじいちゃんは一度浮気をして離婚寸前の大喧嘩をおばあちゃんとしたとき、おばあちゃんを殴って怪我をさせた。殴られたおばあちゃんはテーブルに腰を打って、その衝撃で落ちたビール瓶の破片の上に手をついてしまった。今でもおばあちゃんの手には、その傷跡が残っている。なのに、おばあちゃんはおじいちゃんの葬儀で泣いていた。まるで世界の終わりみたいに。私は葬儀のことをほとんど覚えていないが、おばあちゃんが泣きながらおじいちゃんのお骨を拾っていたことを覚えている。
おじいちゃんは、従兄弟の翔くんと正樹くんのうち、翔くんばかり可愛がった。二人は異母兄弟だった。正樹くんが悪いわけではないし、家族仲は良い方だ。叔母さんはふたりともとても可愛がっている。けれど、おじいちゃんは、本当のお母さんがいない翔くんがかわいそうで仕方なかった。おじいちゃんも、本当のお母さんを小さい時に亡くしていた。私はこのことを知らなかった。私はいつもおじいちゃんに可愛がられていた。
おじいちゃんの葬儀の時、覚えていることがもうひとつあった。おじいちゃんの棺の中には、ひいおばあちゃん(おじいちゃんの本当のお母さん)の写真が入れられた。
私のお父さんとお母さんは、お父さんとお母さんが私を養子として私が赤ん坊に迎え入れたか、私をさらってきたのでない限り、本当のお父さんとお母さんだ。お父さんとお母さんは私に聡美と名付けた。「聡く美しい子になるように」とお母さんは言っていた。それをきいたとき、お父さんはお酒を飲んでいて、お酒を飲んでいるときのお父さんは少し意地悪なので、赤らんだ顔でにやにやと笑いながら、「実際はアホでブスだな」と言った。お母さんは黙ってお父さんのお酒を下げてしまった。お父さんはお母さんに聞こえないように小さく悪態をついたが、そのまま部屋に上がっていった。
お母さんは大学に行っていないから、私に大学に行って欲しいと思っている。お父さんは、大学に行っていたけど、女の子は大学に行かなくても良いと思っている。これはお父さんの実家の方針で、お父さんはおじいちゃんの、もしかしたら、おじいちゃんはひいおじいちゃんの考えを腹話術の人形のように繰り返しているにすぎない。だから、すぐにお母さんに言い負かされる。お母さんは、私の大学受験をすでにお父さんに認めさせている。
お母さんはお父さんを恨んでいる。もしかしたら私のことも恨んでいるかもしれない。でも、私のことは愛しているという。
お母さんは私のお母さんだ。私が生まれた時からそう。でも、それまではお母さんは私のお母さんではなかった。お父さんと結婚する前、お母さんはお父さんの妻ではなかった。お母さんの名前は明美という。お母さんが私の名前に美という字を入れたのは、そのためもある。
お母さんはずっと、おばあちゃんとおじいちゃんの娘の明美として生きてきた。独り立ちしてからは、大人の明美として。そして今は、お母さんは私のお母さんで、お母さんはお父さんの妻だ。もちろんおばあちゃんとおじいちゃんの娘の明美でもあるし、大人の明美でもあるのだけど、それは後ろに追いやられている。お母さんはそれでお父さんを恨んでいる。お母さんはパートタイムで働いて、家事もしている。お母さんは私のために正社員をやめてお父さんと結婚した。だから多分、私のことも恨んでいる。
お父さんは自分のことしか好きじゃないけど、家族思いだと思っている。そのことがさらに、お母さんの恨みを強くする。
お母さんがお母さんじゃなかったらいいと思う。それは、私がお母さんが嫌いで、お母さんでなくなって欲しいという意味ではない。私はお母さんのためにお母さんがお母さんでなければ良いと思う。お母さんはお母さんでなくて明美なのに、お母さんはお母さんがお母さんでしかないと思っている。それは長い間、私のお母さんでいることを強制されたからだ。お父さんは、お父さんのままで、おじいちゃんとおばあちゃんの息子の宏でい続けているのに、お母さんは私のお母さんでしかなくなってしまった。お母さんには妹がいて、お母さんはお姉ちゃんで、お母さんはおばあちゃんの娘だが、お母さんは長い間お母さんのふりをしていたせいでそれが抜けない。
私はまだ十七歳。バイトをしているけど、お小遣いに消えていく。
お母さんは私をお母さんの娘としか見ていない。お母さんは私をお母さんの娘のままにしておきたいと思っている。それはお母さんがお母さんのままでいるために必要なことだ。私はお母さんの娘の聡美にしかなれない。
私は大学に行きたくない。
私が中学に上がった時、お母さんは私に書道部に入って欲しいと思っていた。お母さんのおじいちゃんは書道の先生だった。お母さんは字があまりきれいではない。お母さんは私が小さい頃私に書道を習わせはしなかったけど、私に書道部に入って欲しいと思っていた。でも私は入りたくなかった。私は陸上部に入った。三ヶ月で辞めてしまったけど。お母さんは不服そうだった。
お母さん曰く、私は「勉強ができて」、「生活力はないけれど優しくて」、「家族思いで」、「努力ができる」「良い子」。
私はお母さんが明美だったころのお母さんを何も知らない。私はお母さんがお母さんじゃないときがあるのかすらわからない。お母さんはお母さんじゃないとき何を考えるのだろう。それとも、やっぱり本当に、一瞬たりともお母さんでない時などないのだろうか。
お母さんは泣かない。滅多に泣かない。何度か泣いていたことはあるけど、あまり泣かない。泣いているところを見せないだけかもしれないと考えるだけの想像力が私にはありがたいことにある。もしかしたら、お母さんにもあるかもしれない。これも想像するしかない。
お母さんの友人が鬱病になったとき、お母さんはそれを「わがままだ」と言っていた。お母さんは鬱病の人に理解があるが、それはお母さんが「鬱病の人」と認める人だけだ。お母さんは「あんなのわがままだ」と怒っていた。怒りながら、電話が来たら飛んで行った。お母さんはよく怒っている。
お母さんは、その人が「死にたい」とこぼすたびに、「本当に死にたい人は、何も言わずに死ぬわよ」と私に愚痴をこぼす。お母さんの友人からお母さんに、お母さんから私に、溢れてきた水は濁っている。私はそれをさらにこぼすところを知らない。
お母さんは「死にたい」とは決して言わない。それはお母さんが「死にたいと思っている」理由にはならない。けれど、「死にたいと思っていない」理由にもやはりならない。
私は大学に行きたくない。私は早く働きたい。でも本当は働きたくない。
私とお母さんはよく話をする。でも大切なことは何も話さない。私が大切と思っていることを、お母さんは知らない。それでいいと思う。大切なことは、話した途端胡散臭くなる。大切なことは、私の中にあれば充分。お母さんは、私のことを十七歳だけど、まだまだお子様な可愛い娘と思っている。その通りだけど、それは居心地が悪いことだ。
お母さんは私のことをお母さんの娘の聡美だと思っているので、お母さんが知っているのはお母さんの娘の聡美ちゃんだけ。私が私のお母さんであるお母さんしか知らないのは、そのために必然のことになる。
お母さん。と呼ぶとき、私はわずかに不快感を覚える。お母さん。でもそれは言葉にできないものだ。胸のあたりがゾワゾワとして、眉をしかめてしまう。お母さん。お母さん。お母さん。お母さん。やっぱり少し気分が悪い。
私はお母さんのことを愛している。お母さんが私を恨みながら愛しているように、私はお母さんを恨みながら愛している。私はお母さんから遠くに行きたい。だから大学に行きたくはない。大学はここから遠くて二時間ほどしか離れていない。もっと遠くに行きたい。もっと遠くに。遠くに。でもそうしたら、そこでまた次の「お母さん」ができるのだろうか。その人は私のお母さんではないけれど。
もっと遠くに行きたい。もっと遠くに。もっと遠くに。もっと遠くに。もっと遠くに。
お母さんが仕事でいないとき、寂しいけれど清々する。お母さんが仕事から帰ってきたとき、嬉しいけれどがっかりする。
ひとりで家にいるとき。私はずっと考え事をしている。私は小さい頃、私の考えていることがなぜ他人にはわからなくて、他人の考えていることがなぜ私に分からないのか不思議で仕方なかった。私は私の考えていることが他人にも理解できると思ってしまうところがあるのは、このせいかもしれない。あるいは、この疑問が生じたのは、そのような私の性質のせいかもしれない。でもひとは、他人の考えていることが、不思議なことにもわからない。そして、さらに不思議で厄介なことに、相手の考えていることをなんとなくわかっていると思ってしまう。
私は昔から空想が好きだった。空想をしているとき、私の頭の中の空洞は広い広い舞台だ。奥行きがあり、鮮明ではないが、深みがある。それなのに、私は他人の考えていることを考えようとするとき、他人の頭の中が平面に見えてしまう。この深みこそ、他人に見えていない部分だろうか。でも、私は他人の考えを読み解くのがあまり得意ではないので、この平面すら見えないで、もやがかかって見える時もある。大抵の時はそうだ。
私は遠くへ行きたい。ずっと遠くへ。
頭の中の空洞はどこまで続いているのだろうか。
私はもっと遠くへ行きたい。もっととおくへ。もっともっと遠くへ。お母さんの追いつけないところ。
私はお母さんを愛している。
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