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30
夜会当日、レアンドルが差し向けたと思われる王家の馬車が、ベランジェ公爵邸の前に停まった。
「レアンドル殿下の命にて、アリエノール様をお迎えに上がりました!」
きっと、何かしら事情を聞かされているのだろう。侍従は、いささか緊張の面持ちでアリエノールを待っている。
「わざわざご苦労だったな。さあアリエノール、行こうか」
しかし侍従の前に現れたクロヴィスがアリエノールをエスコートしたのは、ベランジェ公爵家の家紋が刻まれた馬車。
「お、お待ち下さいませ!アリエノール様はこちらへお乗り下さるようお願い申し上げます!」
「あの愚弟から任されたそなたには気の毒なことだが……お前、私を誰だと思って意見しているのだ?」
これが王族の威厳というものなのだろうか。
アリエノールに見せる顔とはまるで違う、その威圧するような雰囲気に、王宮からやってきた侍従は足がすくんでいる。
「私が代わりに乗ってあげるから!」
そう言って、足取り軽く王家の馬車に乗り込んだのはリゼット。
「では出発しよう」
そして戸惑う侍従をよそに、アリエノールたちは王宮へと向けて出発したのだった。
「緊張している?」
「ええ……クロヴィス様は?」
「緊張……というよりは、複雑……かな。父上と会うのも十年ぶりだからね」
クロヴィスは、夜会の合間に父王と会う事になっている。
十年ぶりの親子の対面。事も無げに言う彼だが、きっと本心は“複雑”などという言葉では表しきれないだろう。
「陛下は私たちのこと……許して下さるでしょうか……」
「君を私の婚約者にと願ったのは他でもない父上だ。なにも心配いらないよ」
クロヴィスはそう言うが、やはりアリエノールは不安だった。そして周りの反応も。
(私のせいでもしクロヴィス様までなにか言われたら……)
アリエノールのことを、“正式に婚約解消する前に他の男に乗り替えた尻軽だ”とか、口さがなく噂を立てる者も必ずいるだろう。
せっかくのクロヴィスの帰還に水を差すようなことになったらどうすればいい?
「アリエノール」
名を呼ばれ、はっと顔を上げると、そこには優しく微笑むクロヴィスの顔が。
「レアンドルとのことは、君にはなんの落ち度もない。堂々としていなさい。今夜の君はとても美しい」
“美しい”
愛する人に言われる一言は、こんなにも胸を満たすものなのか。
けれどその反面、アリエノールは別の不安にも襲われていた。
(クロヴィス様……素敵すぎるわ……)
夜会用の正装に身を包むクロヴィスは、髪を後ろへ撫で付けているせいか、その端正な顔がこれでもかと強調されている。
きっと会場中の視線を独り占めするだろう。
その中には本気で彼に心奪われる者だって……
胸が焼き尽くされるようだ。
本当にどうしてしまったのだろう。自分がこんなにも嫉妬深く、欲張りな女だったとは。
「どうしたの?」
拗ねた子供のような顔をして下を向くアリエノールに、クロヴィスは顔を寄せ、首を傾げた。
「ちゃんと言ってくれないとわからないよ?」
アリエノールが口を開くまで待つつもりなのか、クロヴィスはそのまま動かない。
やがて、根負けしたアリエノールは消え入りそうな声で呟いた。
「……誰とも……その、他の女性とは親しくしないで欲しい……です」
クロヴィスに恋をしてからというもの、淑女の矜持はどこへやら。わがままばかり言っている気がする。
しかし、クロヴィスはそんなアリエノールに嫌気が差すどころか、柔らかく微笑み返す。
「元よりそのつもりだよ」
大きな手がアリエノールの両手を包む。
胸が握り潰されるようだ。
王宮へ着くまでの間、アリエノールはずっとクロヴィスの顔を見つめていた。
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