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  「身分も低いわたくしのようなものが、先にご挨拶させて頂いたのには訳がございます。このまま話を続けることをお許しいただけますでしょうか……?」  一体これはどこのご令嬢なのか。  ベストンのレストランで、アリエノールを嘲笑った女とはまるで別人だ。  「許可しよう」  予想外の答えにアリエノールは動揺した。  クラリスがどんな女かわかっているクロヴィスが、黙って話を聞いてやるなんてあり得ないと思っていたからだ。  (大丈夫……クロヴィス様を信じなくちゃ……)  クロヴィスから許可を貰ったクラリスは頬を染め、はにかむように微笑んだ。  彼女のことを何も知らない人間が見たら、天使のようだと思うだろう。もしかしたらこれは、新しい男に乗り替える時のいつもの手口なのかもしれない。  クラリスは、まるで舞台の幕が開いた女優のように、芝居がかった仕草で語り始めた。  「殿下……ベストンでのことはすべて誤解なのです」  「誤解?」  「はい。あの時のわたくしはどうかしていたのです。高貴な方に一時の夢を見せて頂いて、すっかり絵本の世界のお姫様になった気でいたのです……」  “高貴な方”とはレアンドルのことだろう。  要するにレアンドルに王太子妃にしてやると言われ、その気になってしまったと。  だがそれはベストンでのクロヴィスの言葉によって覆された。  レアンドルは、アリエノール無しに王太子でいることはできないと。    「クロヴィス殿下のお言葉を聞いて、急に暗闇の中に突き落とされたような気持ちになったのです。あまりのショックに錯乱していたとしか思えません。その結果、アリエノール様にはとんでもないことをしてしまいました。どうかわたくしに、アリエノール様に謝罪する機会をお与え下さいませんか?」  「いいだろう」  (えっ!?)  クロヴィスは即答したが、アリエノールからしたらたまったものではない。  その姿さえ見たくないというのに謝罪などと……  「ク、クロヴィス様……!」  小声で反抗してみるも、クロヴィスも負けじと小声で返して来る。  「言わせてやりなさい。今だけだ」  クラリスはアリエノールの前までくると、優雅に、そして深く長い礼をした。  「アリエノール様……今回のこと、誠に申し訳ございませんでした。どうか、世間知らずの小娘が、叶わぬ夢を見たのだとお許し下さいませんか?レアンドル殿下もきっと魔が差したのです。アリエノール様という素晴らしいご婚約者がいるのにわたくしのようなものに手を出すなんて、そうとしか思えません」  クラリスは瞳に大粒の涙を溜め、“すべては世間知らずの自分が悪いのです”と、まるで生娘きどりでアリエノールに懇願する。  「第一王子クロヴィス殿下がお戻りになられたこの佳き日……わたくしも、及ばずながら王室のために、誠心誠意お仕えすることを誓います。ですからどうか……!!」  “どうかお許し下さいませ……!!”  クラリスの叫びが会場に響き渡った。
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