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『やっぱり港町って言ったら魚介よね!』
朝の食堂で、開口一番に叫んだリゼットに連れられて、アリエノールは運河沿いのレストランに来ていた。
人が行き交う歩道のすぐ側を流れる河には、遊覧船や、行商の小舟が通っている。
カフェもレストランもたくさん建ち並んでいて、どこにしようか迷ったのだが
『こういう時は現地の人に聞くのが一番よ!』
リゼットはそう言って、歴史のありそうな店に突撃して行った。十五分ほどすると店の扉が開き、リゼットは店主と笑い合いながら出て来た。この十五分の間にいったい何がどうなってそんなに意気投合したのか。
まったくもって不思議な出来事であったが、そこの店主に教えてもらったのがこの店だ。
「それにしても美味しいわ……これもリゼットのおかげね」
王都では食べた事がない色鮮やかで新鮮な魚。そして貝の形も色々あって面白い。
また調理法も独特で、オイル漬けだったり、パン粉とスパイスを纏わせて焼かれていたり、あちこちのテーブルからは、なんとも言えず香ばしい匂いが漂ってくる。
「パスタも絶品よ!!」
ふぐふぐと頬張りながら、大きな海老の身が入ったトマトソースのパスタを食べるリゼットは、やはり頬に食べ物を溜め込むリスのようで可愛い。
「うふふ、ソースが口の周りにすごいわよ。でも可愛いわ、リゼット」
アリエノールは、まるで泥棒ヒゲのようについているソースを優しく拭いてやった。
淑女としてのマナーは完璧なのに、美味しいものがあると我を忘れるリゼット。
さすがに貴族の目があるところではやらないのだが、いつの日か、リゼットのこんな姿を受け入れてくれる、素敵な人に出会って欲しいとアリエノールは思う。
「ねえリゼット、この後行ってみたいところがあるんだけど」
「行ってみたいところ?」
「うん、教会」
*
ベストンの中心に建つ教会には高い塔があり、その長い階段を上った先では街の全景が見渡せる。
「き、きつい……!!」
食べ過ぎたリゼットは、まだ半分も上らないところで早々に音を上げた。
「建造物としても素晴らしいところだから、教会の中を見ているといいわ」
意地でもついて行くと言い張るかと思ったが、相当苦しかったのだろう。リゼットは大人しくアリエノールに従った。
「わぁ……!!」
アリエノールは、眼下に広がる景色に圧倒された。
街並みだけでなく、水平線まで見える。
「何て美しいの……」
異国情緒溢れる街並みは、絶妙なバランスで色彩が調和している。
(もう少しだけ)
柵に手を掛け下を眺めようと身を乗り出した。
「……君は、自殺願望でもあるのか?」
聞き覚えのある声に後ろを振り向くと、そこには予想もしなかった人物が立っていた。
「あなたは……」
それは昨夜、海で出会ったあの青年だった。
闇夜でわからなかった髪の色は、熱されたフライパンの上でとろけたような、透き通るバターブロンド。
しかし何よりも目を引かれるのは、光り輝く鮮烈なグリーンアイ。
あまりに強烈な光を放つその瞳から目を離すことができず、しばらくそのまま見つめていると、柵に掛けた手を取られ、少し内側へと誘導された。
「自ら波に向かって行ったり、柵に手を掛けて今にも飛び降りんばかりに身を乗り出したり、そんなに死にたいのか?」
「そ、そんな訳ではありません!ただ、あまりに美しい景色をもっと近くで観てみたくて……」
「本当に?」
「本当です!」
青年は眉を寄せ、いまいち信じられないといった顔をしている。
まさか、自分のために生きると決めた矢先に、飛び降り寸前の自殺志願者に疑われるとは。
(それにしても昨日とはまるで違う)
シャツ一枚だった昨夜と違い、今日の彼は黒の上着を羽織っていたが、それには金糸を使ってびっしりと刺繍が施されている。間違いない。彼は貴族だろう。
(しかもただの貴族じゃないわ)
これだけの物を身に付けられるのは、貴族でもごく一部の人間だけだ。
しかしベストンに彼くらいの歳の、そんな裕福な貴族などいただろうか。彼ほどの容姿なら、夜会などで会えばアリエノールだって憶えているはずなのに。
しかし命の危機?を二度も救ってもらったのだ。とりあえずきちんとお礼を言わなければ。
もう自分は王太子の婚約者ではない。
傷物の公爵令嬢アリエノール。家族にはただでさえ肩身の狭い思いをさせているのに、これ以上ベランジェ公爵家の名に恥を上塗る訳にはいかない。
「二度も危ないところを助けて頂き……」
しかし人生とは、うまくいかないように出来ているのだ。
「いたー!お姉様……って、誰よこの超絶美形ーー!!」
リゼットの大声で青年が仰け反ったのをアリエノールは見た。
(終わったわ……)
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