野ざらしを心に風のしむ身かな

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野ざらしを心に風のしむ身かな

旅の支度を済ませ、伊勢へと発った芭蕉は 西へ西へと歩みを進ませながらも内心不安がよぎっていた。 伊勢は、伊賀と同じ方面にあるんだよなあ。 僕が里を出てからもう何年も経つ。 声変わりもして、背丈も伸びた僕のことを 偶然すれ違った程度では判別されないと思いたいけれど—— 相手は忍者。 それも僕以外の里の者達は、皆忍として優秀な者ばかりだったから油断はできない。 僕が書物を読み、学問を勉強しても そんな無駄な努力をしていないで鍛錬を積めと言ってきた父上。 今、僕が子ども達に、その学問を教えて生計を立てているのだと知ったら 何とおっしゃるだろう……。 多分、父上は僕がどこかで行き倒れたか、 暗殺されてもうこの世にはいないものだと思っているだろうけど…… 江戸を出て間もなくだが、既に歩き疲れていた芭蕉は 休める場所を探し、木の下で涼んでいた。 「はぁ……」 人と話すのは得意じゃないけれど、 誰とも話さないのもまた退屈なものだなあ。 江戸では毎日のように子ども達と接していたから、 一人で黙々と歩く旅に早くも飽きが生まれてしまった。 伊勢参りはしてみたいが、道中を楽しむなんてことはとてもできそうにないし 西へ進むほど、里の者に遭遇する可能性を考えて億劫になっていく。 下手をしたら、僕はこの旅の途中で死ぬかもしれない。 秋風に吹かれながら、旅に出ても心躍ることなく悲壮に暮れる自分が情けなくなった芭蕉。 なんとはなしに荷物の整理をしていた時、 ふと荷物の中に入れていた紙と筆が目に留まった。 ……西行法師のような風情のある歌は詠めないけれど…… この退屈を埋める為にも、誰とも話せない代わりに紙の中に思いをしたためておこう。 芭蕉は枯葉舞う秋空をぼんやりと眺めた後、静かに筆をとった。
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