野ざらしを心に風のしむ身かな

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「え……え?! 僕の歌、そんなにおかしいかな……?」 曽良が笑うのを見てショックを受ける芭蕉だったが、 曽良は「すまん」と言いながら笑うのをやめた。 「——いや。 思えば金作は、昔からよく命を狙われていたから いつでも死を隣に感じながら大きくなってきたんだよな。 そんな金作が詠んだものだと思うとしっくりくる。 むしろ、これは金作にしか書けない、金作だけの歌だ」 「僕だけの……歌」 芭蕉は、その言葉の響きに胸がじんわりと熱くなるのを感じた。 そして、初めての歌が完成した記念に 紙の最後に『松尾芭蕉』と名を記した。 「ん?」 すると、その文字を覗き込んだ曽良が首を傾げた。 「松尾芭蕉、って?」 「僕の名だよ」 「え?」 「忍の里から足抜けした僕は、元の名のままでは生きていけないと思ったから。 江戸では名前だけじゃなく年齢も出身地も過去のことも、なにもかも騙って暮らしてるんだ」 「……そう、だったのか」 曽良は息を吐き出すと、こう言った。 「なら、次に会う時は金作のこと『芭蕉』って呼ぶよ。 ——多分、もう会うことはないと思うけど」 「僕はまた会いたい!」 芭蕉は曽良の腕を掴んで顔を見上げた。 「僕は曽良に会えて嬉しかった。 僕はもう、曽良と同じ伊賀の忍を名乗ることはできないけれど—— きっと里の誰よりも、曽良の無事を願うよ。 だから……もう会うことはないなんて悲しいことを言わないで。 いつか必ず、生きてどこかで会おう」 「——だな」 曽良はそう返すと、微笑んでみせた。 芭蕉も微笑み返すと、次の瞬間には 曽良は姿を消し、跡形もなく消えていた。 過ぎ去った後、まるで秋風のように 一抹の寂しさを残していった曽良に 芭蕉はまた、心を揺さぶられる思いがした。
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