野ざらしを心に風のしむ身かな

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曽良と別れた後、芭蕉は伊勢までの道中で様々な観光地に立ち寄り、俳句を詠んだ。 西行法師の歌に感化されて以来、 これまで詠むならば『和歌』の形だとこだわっていた芭蕉だったが 曽良のアドバイスを経てすっかり『俳句』を詠もうと志すようになっていた。 そして行く先々で、美しい景色を俳句に落とし込む練習を重ねながら歩みを進めていたのだが、 曽良と再会した時の衝撃に勝るような 『心を揺さぶられる瞬間』には中々出会えなかった。 けれども、目に映る景色は これまで自分が見てきたどの景色よりもキラキラと輝いているようにも思えた。 伊賀から逃げてくる道中にも通った場所がいくつもあったが、 その時には全く目に留まらなかった川や山や森、寺院などが 今はなぜだかどれも風情を感じる。 何日か、その不思議な体験を経た中で 芭蕉が思い当たる原因が一つあった。 ……目に映るものが美しいと感じるようになったのは、 僕の心に変化があったからではないだろうか? これまでは新しい生を全うすることに精一杯になっていたけれど、 旅に出て自由に歩き、心の従うままに様々なものを見て回る経験を 僕はこれまでしたことがなかった。 そんな解放感の中で見る景色だからこそ、 今までとはちょっと違って見えるのかもしれない。 それに——曽良に再会したのを境目に 驚くほど筆が動き、次々と新しい句を詠める。 一度作品を完成させて自信をつけたことも相まっているかもしれないが、 曽良の言葉が私を後押ししてくれているに違いない。 ありがとう、曽良。 また曽良にお礼の気持ちを伝えたい。 今どこにいるか分からないけれど、 きっと健やかに過ごしてくれていることを願う—— ——時を同じく、江戸にて。 幕府に仕える忍集団を率いる組頭の前に 両脇を男達に抱えられた状態の曽良が突き出されていた。 「お主は忍として、してはならぬ過ちを犯した。 ゆえに罰を与えなければならない」 組頭が冷ややかな声で告げると、 曽良は真っ直ぐとした目で組頭を見つめ返した。 「俺をこの場で斬り捨ててください」 だが、組頭は 「それはせぬ」 と即座に返した。 「まだ使える忍を斬り捨てるようなことはせぬ。 ……だが、代わりにお主には過酷な任務を与える。 命懸けとなるゆえ、その過程で命を落とすこともあるかもしれないが—— 最期まで、忍としてその命を役立ててもらうぞ」 曽良が怪訝そうな表情を浮かべると、 組頭は感情のない面持ちでこう告げた。 「お主にはある目的のため旅に出てもらう。 ——生きて帰ることができるか分からぬ、危険な旅にな」
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