野ざらしを心に風のしむ身かな

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——長い旅を終えて江戸まで戻って来た芭蕉は、 道中詠んだ句を清書して一冊にまとめるため 深夜、文机の上に灯りを置いてひたすら筆を動かしていた。 ああ、良い旅だった。 目的だった伊勢はもちろん、道中様々な観光地に寄ることができたし どうにか伊賀の者に見つかることもなく戻って来れた。 一度句を完成させたら、感覚を掴めたのか 各地でいくつも詠むことができるようになった。 こうして句を見返すだけで、その時見たものや感じたことを鮮明に思い浮かべることができる。 それだけでも楽しい気持ちになれるけれど、 この句を見た他の誰かも、僕と同じような気持ちになれたら 他者にも認めてもらえるような句なのだと自信を持てそうだ。 誰かにこの感動を共有したい。 旅の楽しさを誰かと語り合いたい。 ……曽良に句を見てもらいたい。 芭蕉がぼんやりと、旅の道中や曽良に会った時のことを思い浮かべていると—— 「金作——芭蕉、帰って来ているか?」 家の戸口から、聞き覚えのある声が聞こえて来た。 「っ……その声——曽良?!」 芭蕉は弾かれたように立ち上がると、玄関の方へ駆けて行った。 戸を開けると、そこには暫くぶりに会う曽良の姿があった。 「曽良……!?どうしてここに……?」 芭蕉が、驚きと嬉しさから興奮して尋ねると、 一方の曽良はどこか暗い面持ちで呟いた。 「少し、邪魔してもいいか?」
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