野ざらしを心に風のしむ身かな

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「えっ?——うん、もちろんだよ!」 芭蕉はすぐさま曽良を中へ招き入れると、 「今、お茶を出すから!あっ、もう夜遅いから白湯のほうがいいかな?」 と少しはしゃいだ様子で尋ねた。 「……すまない、これから江戸を発つところなんだ。 長居するつもりはないからどちらも遠慮する。 ただ、外で話すことが憚られるから、少しだけ中で話をさせて欲しい」 「?……分かった」 芭蕉は何が何だか分からぬまま、先程まで自分が清書作業に勤しんでいた居間に案内した。 「いつ、江戸に戻って来た?」 「つい一昨日のことだよ! 思ったより長旅になってしまったけれど、 お陰で沢山句を詠むことができたよ」 「句?……ああ、そういえば俳句を作っていたっけな。 とにかく、芭蕉が無事に戻って来れて良かった」 「ありがとう!……ね、ねえ。 僕の家がここだということ、どうして知っているの?」 「町の人に聞いて回った。 『この辺りで子ども達に学問を教えている松尾芭蕉という若い男を知らないか』と。 そうしたら、何人かの子どもがここだと教えてくれた」 「な、なるほど……」 きっとその子たちは僕の教え子だろうな。 芭蕉はそう考えた後、すぐにハッと思い出した。 「——さっき、江戸を発つって言っていたけれど……?」 すると曽良は、少し間を置いた後、呟くように告げた。 「……俺も旅をすることになった」 「えっ!曽良が?!」 芭蕉は驚きつつ尋ねた。 「でも、曽良は御上お抱えの忍でしょう? 旅に出るとなると日数もかかるだろうし、 よく長期休暇を許してもらえたねえ」 「……だから今日は、芭蕉に別れを言いにきた」 「え……?どういうこと?」 芭蕉はきょとんとした表情で首を傾げた。 「——あっ、暫く江戸を離れるから、その挨拶ってこと? それなら積もる話もあるし、今夜はここに泊まっていきなよ! 暫く会えなくなるなら、記憶が鮮明なうちに旅の思い出話も曽良に聞かせたいし!」 「暫く、じゃない。 たぶん……これが最期の別れになる。 芭蕉に気を遣わせるかもしれないとも思ったが、 昔馴染に挨拶をしてから出たいという気持ちが優ってしまった」 曽良は真剣な声で、淡々とそう言った。 「……どうして旅に出るのが最期の別れになるの?」 芭蕉は意味が理解できず、一方で そこはかとない不安が溢れて来た。 「旅は、戻って来るから旅と言うんでしょう? もし遠いところへ行って、そこにずっと住むということなら いつか僕が曽良のところへ訪ねて行くから。 ……だから、今生の別れかのようなことは言わないで欲しい……」 芭蕉が震える声で言うと、曽良は少し迷いを見せた後、ぽつぽつと話し始めた。 「俺の旅の目的は、みちのくに潜む倒幕派——御上の敵を始末すること。 御上の方で、敵の拠点や人物はある程度調べをつけていて 俺は倒幕派の志士を見つけ次第殺すようにと命じられた。 ——土地勘のない場所で、一度に何人で向かってくるか予測できない敵と 一人で戦うのは圧倒的に不利な話だ。 旅の道中、俺が命を落とさず江戸に戻れるとは到底考えられない」
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