旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

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旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

それから日が経ち—— 「——たのもう。 この里に、松尾芭蕉殿はいらっしゃるかな?」 百地の里、もとい藤林の里となった地に 一人の男が訪ねてきた。 「……金作——いや、その松尾芭蕉とやらは、もうここには居ませんよ」 新しい里長の右腕となった男——対馬は、 里長である世之介の代わりに客人と応対した。 「そうですか……」 旅の男は、しゅんと肩を落とした。 「ああ、申し遅れましたが私は鈴木清風という者です。 遠い東北の地にて、紅花問屋をしております」 「紅花問屋の男が、何用で松尾芭蕉を訪ねて来たのです?」 対馬は少し苛立った様子で尋ねた。 服部半蔵が死んだという知らせは、彼の家臣から既に届いていた。 詳しいことは語られなかったが、金作が死んだといった話は出て来なかったため、 対馬は恐らく彼が服部半蔵と戦いに挑み、勝利したのだと予想していた。 まさか金作が勝てるはずがない、と思いたいところだったが、 実際自分をはじめとする百地の全員が 金作や世之介の策略によって眠らされ、まんまと逃げられてしまった為に 似たような手口を使って姑息な勝利を収めたのではないか——そう考えた。 実際、対馬の読みはほぼ当たっていたため 服部半蔵の死の知らせがもたらされた時 対馬は深く落胆したが、対照的に世之介は満足げな表情をしていたため 怒りの矛先は世之介に向いた。 だが、そんな世之介に怒りを上手く交わされ あれよあれよと絆されるうちに、いつの間にか世之介の側近として働くようになり、 金作が里長をしていた頃と変わりない暮らしを送っていた。 その矢先に現れた、鈴木清風という男。 「実は曽良殿から、芭蕉殿に宛てた文を預かってきましてね。 訳あって曽良殿自身ではこちらへ来れないというので、私がこちらの方面へ向かうついでにこれを届けに来た次第だったのですが……」 「心配には及びませんよ」 無念そうに語る清風に、対馬は淡々と告げた。 「恐らく、松尾芭蕉とやらは今は曽良と再会を果たしているでしょうから」 「!そうですか、それならば良かった」 清風はパァッと顔を輝かせた。 「いや実は、私は以前に二人から命を救って頂いたことがありましてね。 その時には大した恩返しもできなかったもので、 せめてこの文を届けてあげたいと思っていたのですが……。 お二人が会えたということであれば、これももう不要ということでしょうね」 そう言って清風が、懐から出しかけていた文を仕舞おうとすると、対馬はそれを止めた。 「その文は、私が預かってもよろしいですか?」 「え?」 「恐らく、彼らがここに戻って来ることはないと思いますが—— 曽良の書いた文は、私が預かりたいのです。 彼は……私の一番の友だった男です」 対馬が言うと、清風は少し考えた後、静かに文を手渡した。 「……ありがとうございます」 「では、私はこれで」 清風はそう言うと、颯爽と里を去って行った。 対馬がその姿を見送っていると、背後から声が掛かった。 「——本人でもない男に、よく文を託してくれたもんだねぇ」
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