徒し世の忍

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すると曽良は、少し困ったような笑みを浮かべて言った。 「御上から直々に指名を頂いたものだから、 断るという選択肢はなかったんだ」 「そんな……! 僕のこと、護るって言ってくれたじゃないか!!」 芭蕉が悲しみと怒りとが入り混じった声で叫ぶと、曽良は黙り込んでしまった。 ああ……。 僕はなんて馬鹿なんだ! 曽良には今まで沢山お世話になってきたのに。 里では最高の誉れでもある御上お抱えの忍者に選ばれたことを 本当は笑顔で喜んで、応援して、見送ってあげるのが筋だろうに。 僕を護ってくれる存在が居なくなることを嘆くなんて、 どこまでも僕は自分勝手な男だ。 けれど、護ってくれる存在を失うことより…… 曽良という存在が居なくなることが寂しい。 本当はそう伝えたいはずなのに、動揺と悲しみのせいで、上手く言葉を選べない。 心の中で、そう自分に嫌悪しつつも 尚も言葉を失くす曽良に金作は続けて言った。 「僕だって、本当は曽良の助け無しで生きたいと思ってたよ! 生き方を選べるものなら、曽良に護られなくてもいいような 平穏な人生を歩みたかったよ!」 違う。 本当は、いつもそばに居てくれた曽良に離れていって欲しくないだけだ。 護って欲しいから引き留めたいんじゃない。 曽良に、この里を出て行って欲しくない—— それが一番伝えたい本心なのに。 自尊心や照れ隠しが邪魔をして、肝心な言葉を紡げない。 「……こんな狭い里の中で、 毎日怯えて暮らさなきゃならない人生なんて 僕は望んでなかった……」 金作が勢いに任せて言い終えると、 暫く黙って聞いていた曽良がようやく口を開いて言った。 「——なら、自分で新しい人生を切り拓けよ」 「えっ?」 金作がぽかんと口を開けると、曽良は金作と向き合って言った。 「金作が伊賀の忍としてではなく、 里を出て平穏に生きていくことを望むと言うのなら…… 金作自身の力でその人生を掴み取れ」 曽良はそう言うと、 「荷造りを済ませなければならないから、今日はもう帰ってくれないか?」 と金作に告げた。 「じ……っ、じゃあ——曽良。 曽良が里を出る日が決まったら教えて。 せめて見送りをしたいから……」 「——分かった」 金作は後ろ髪を引かれる思いで曽良の元を後にした。 だが、それから丸一日曽良からの知らせは無く、 その翌日に曽良の元へ会いに行った芭蕉は、 彼がもう江戸へ旅立った後であることを知った。
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