徒し世の忍

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「先生、はい!」 「彦郎。これは……?」 「俺、暫くお休みしてたでしょう? 実は家族でお伊勢参りに行って来たんです! これはその土産です」 芭蕉が手の中のものをよく見ると、 それはお守り袋だということが分かった。 「ありがとう! そうか、お伊勢参りに行って来たのか。 伊勢はどうだった?」 世間話のつもりで何気なく尋ねると、 少年は目をキラキラと輝かせながら語り始めた。 「ええと、伊勢のお社はとっても大きくて、立派で、こういうのをええと……荘厳って言うのかなあ? とにかく凄かったです!! でも、道中で泊まった旅籠も楽しかったし、 行く先々で食べた銘菓も美味しかったし、 家族とのお喋りも、途中で道連れした人達との出会いも…… それはもう語りきれないくらい、最高の旅でした!」 旅、か……。 思えば僕が旅らしい旅をしたのは、 伊賀の里から江戸へ出て来た時の一度限りだな。 それも自分の痕跡を極力残さないよう気を配っていたから 夜は野宿でしのぎ、食べる物も最低限で まして道行く人と関わるようなことは避け ひたすら東へ歩き続けた—— 命懸けの逃避行だったから、道中楽しいと感じたことはなかったけれど、 対してこの子はなんと目を輝かせて話すことだろう。 きっとお伊勢だけでなく、旅そのものが思い出深いものになったのだろうな。 「彦郎の話を聞いていたら、僕もお伊勢参りをしてみたくなってきたよ」 芭蕉が思わずそう口にすると、少年はコクコクと頷いてみせた。 「うん!先生も絶対楽しいと思うよ! 父ちゃんも母ちゃんも、兄ちゃんや妹も みんな楽しい旅だったって大満足してたから!」 「……まあでも、旅をするにはお金も日数もかかるからねえ。 僕が旅に出るのは難しいだろうなあ」 「……」 少年がぽかんとした表情を浮かべるのを見た芭蕉は、慌てて謝った。 「ご、ごめんよ! 後ろ向きなことを言ってしまって! ——君があまりに楽しそうに話すから 叶わぬことを夢見て勝手に落ち込んだだけだよ」
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