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「王宮きっての大賢者、オーフェン・ハウエルズは9歳で魔術の天才として王宮に召し上げられたと聞く」
馬鹿弟ことファーガスは役目を果たした俺をベッドから蹴落とすと同時に随分な殺気を向けてきたが、俺が邪魔しないと判断すると視線を外して気を失ったオーフェンを抱えた。腰を打ちつけるほうに意識を集中させることにしたらしい。
それからそこそこ早く事が済んだファーガスは、濡れタオルで甲斐甲斐しく奴の身体を拭きながらぼそりと口を開いた。
「フィンレーが勇者と呼ばれ王宮に引き取られたのは14の頃で……その後お前が王宮を出たのと、入れ替わりに俺が騎士見習いとして王宮に仕え始めたのは同じ15だ。その頃にはもう魔術師から大賢者と呼び方を改められていた」
「ストーカーかよ」
「……言っておくが、王宮に仕える騎士見習いの多くは教養に座学も含まれる。これは一般常識の範囲内だ」
「そーかよ。例外の勇者様だからペン握る暇があったら剣持たされてたからよ」
剣を振るうだけの役割に学は求められない。寧ろ馬鹿なほうが扱い易いという思惑も透けて見えるのが王宮という場だった。
他の奴らがどう思うか知らないが、それを悲観するつもりはない。俺自身向いてないことをせずに済んでラッキーだと思う程度だ。まあ、実際王宮に居た頃はそこの気を失っている魔術師の計略で以って最低限机に座らされていたが。思えばあれは俺ではなく王宮の狸共を相手にした計略だったのだろう。
あの頃を思うと、腹の底に妙な不快感が生まれる。
オーフェンのやつは昔からこうだった。初対面で「君に保護者になる」と言っておきながら、俺を寄せ付けなかった。周囲がどんなに天才と持て囃して勇者と扱おうとこいつ一人は顔色一つ変えなかった。それが出来て当然の面をして。
今ならわかるが、こいつはある種俺よりも異端の天才だったからだろう。だがまるで関心のない態度は当時思春期丸出しだった俺の感性に影響を与えるには十分で、そのまま離れる機会もなくここまで来てしまったのも悪運の為せた技だと言える。
リーナの一件だってこいつの素っ気なさが生んだ展開だと詰ってしまいたくなる。別に、断じて、このパーティーに残りたいと言われたかった訳ではないが。それでも、全く期待していなかったと言えば嘘になる。
「お前が旅に出るより前、一度だけ王宮でお前とオーフェンさんを見かけたことがある。十分若そうではあったが、今よりずっと成人に近い見た目をしていた」
腹の底に燻る不快感が増した。それと同時にずっと感じていた、けれど気のせいだとしていたかった違和感と向き合わなければならなくなる。
「フィンレー、お前は感じたことがないか? 旅に出た当初と比べてどうなんだ? お前が見積もって18と言ったのは、最初の印象がそうだったからではないのか?」
「……何か知ってんのか」
ファーガスが陰鬱とした笑みをこちらに向ける。猫を被りオーフェンの前では隠しているようだが、こいつの本質はこれだ。実の弟でありながら俺とは似ても似つかない、ねっとりとした執着の塊。
「魔術師が若々しいのは体内に流れる魔力が細胞を若返らせ、肉体の全盛期を保とうとするからだという説が有力らしい。オーフェンさんの全盛期が9歳だとは限らないが、少なくとも魔術の天才として認められた年齢がそれだ」
「つまり何だ? こいつの若返りは9歳になるまで止まらないってことか?」
ファーガスが沈黙を作り、自信のなさを表した声量で「わからない」と呟く。結局わからねえんじゃねえかと悪態を吐いたが、それにも返事がない。こいつは利口ぶっても俺とトントンの脳筋タイプだ。
魔術師の見た目詐欺はよく聞く話ではある。だが大半は魔術で若く見せているだけで、それもほんの二つ、三つさばを読む程度。本当に肉体が若返るなんて風の噂で聞く程度の眉唾物でしかない。
「それが今の状況とどう関係があるってんだ?」
「見ての通りオーフェンさんの若返りはここ数年で悪化した。お前と旅に出たここ数年でだ。それが俺と行動を共にしたここ数ヶ月で僅かに回復を見せている。お前、大したことない怪我でもオーフェンさんにヒールを頼んでいたそうだな」
こちらに寄越す視線に「それがどうした」と無言で見遣る。忌々しげにため息を吐かれた。
「オーフェンさんは攻撃補助どころか攻撃そのものもできるし、回復も他の魔術師とは比較にならない天才だ。そのせいか本人の自覚も薄いのだろうが、恐らく本来回復系は向いていない。だから精度が高くとも消費魔力が大きいんだ。俺の見立てでは、大量の魔力消費とそれを補うポーションの乱用は体内の魔力濃度を著しく乱すのだと思う」
「わかりやすく言え」
「ポーションと大量の魔力消費を控えればその分若返りは遅れる……はずだ」
「なるほど、今の話が全て本当ならまあそういうことだろうな。だが、理屈なんざどうでもいい、どうせ俺には大してわからねえ」
今度は俺がため息を吐いた。目の前で俺そっくりの緑の瞳が眇められる。
「お前がしようとしていたことの説明をしろ。俺が言ったのはそういう意味だ」
ガシガシと頭を掻いてベッドの上に転がされている男を見遣る。いつの間にか清め終わったのか、素肌にシーツを包まれて寝息を立てていた。
「魔力の質に一番大事なのは純潔であることだ。魔力の質が落ちれば若返りも遅れるはず」
「で、その質を落とす方法が手前のザーメン飲ませるってことか?」
「俗っぽい言い方でオーフェンさんを穢すな!」
「やったことは同じだろうが」
大層な言い方をするが、要はそういうことだろう。魔力とはその人間を形作る要素の塊だ。命の源そのものである。だから他人のものが混じれば変質しやすく、質が落ちるということだろう。
どういう考えかわかったが、それでも点と点が繋がらない。
「ファーガス、どうしてお前がオーフェンにここまでする必要がある?」
なぜ行動を共にしているのか、俺はその理由を知らない。二人が頑なに口を割らないからだ。
ファーガスが滅多にない程に邪気のない穏やかな笑みを浮かべる。
「この人は俺を認めてくれた。勇者の素質があると。俺が魔王を倒せば英雄は俺だと」
「煽てられて調子に乗ったか」
「お前とお前の周りの馬鹿どもと一緒にするな! オーフェンさんは嘘を吐かない」
「王宮の古狸が調子の良いことしか言わないのは認めるけどな、俺は実力で選ばれてんだ。俺以下のお前が魔王を倒すだと? 笑わせんな、死ぬ前にさっさと帰れ」
「帰れ?」そう呟いた弟の瞳が深い色に染まる。キッと吊り上げた目元を見て、昔はよくこういう表情をしていたなと思い出した。
「どこに帰る場所があるんだ、俺たちに」
村が魔族に襲われて帰る故郷を失ったのは俺も同じことだ。それから逃げ延びたのは運が良かったし、逃げた先で孤児院の保護を受けたのも幸運だった。
その先で勇者と呼ばれ始めて一人王宮に引き取られたのは俺一人で、ファーガスが今までどう過ごして来たのかを知らない。
「……村が失くなったのだって4年前の話だ。この先何があっても死んだ人たちも村も戻ることは無え。いつまでも失くしたものに固執せずに新しく……」
「──切り捨てる側だったお前にはわからないだろうッ!!」
叫ぶ弟の声は震えていた。
「フィンレーがオーフェンさんと面識があるのは知っていた。だってお前は一人で王宮に引き取られたから……俺を置いて。所詮俺は勇者の弟でしかなく、弱い俺は必要とされなかった。けど、俺も、俺だって、」
「俺がフィンレーより強ければ、選ばれるのは俺だった……ッ」そう呻くように声を上げる弟に何と声を掛けていいかわからなくなる。意味もなく口を開いては閉じ、しばらく沈黙が続いた。ようやく口から出たのはため息だった。
「……別にどうだっていいだろうが、昔の話なんざ。他人の評価だってどうでもいい」
「それを言えるのはお前だからだッ!」
「ああそうだな。勇者なんざ俺から言い出したことじゃねえ。だからこそどうでもいい」
勇者。そもそもそんな称号に何の意味がある。
誰も彼もが俺をそう呼ぶ。その重みは知っていても、別段それに重圧を感じることはない。そういう意味でも俺は向いているのだと思う。
だが、代わりに今や俺の名前を呼ぶのはファーガスだけになってしまった。俺の保護者を自称した男ですら俺のことは勇者としか呼ばない。
「俺は……」
俺は、ファーガスと名前で呼ばれるほうが羨ましい。
そんな根暗なことを言ってしまえるはずがなく、歯切れの悪いところで言葉を止めてしまう。不審な顔をしたファーガスに視線で促されたが気づかないふりをした。
「そんなにも俺より優秀だと言いてえなら、オーフェンのやつに認められたいなら、さっさと俺より先に魔王を倒してみせろよ」
俺の言ったことが余程以外だったのか、厳しい瞳で睨みつけていたファーガスが瞠目する。
「お前は、否定しないんだな」
「実力主義だし早い者勝ちだろ。横取りしたきゃさっさとやれ。そうすりゃ勇者なんて称号、わざわざ俺がくれてやる手間も無え」
「ッ、……元からそのつもりだ。俺が魔王を倒して、俺のほうが優秀だと証明してみせる」
弟の視線が外れる。視線の先にいたオーフェンは穏やかな寝息を立てていた。その力なくくったりとした手を持ち上げて重ね合わせた。祈るように、乞うように。
「もう誰も俺を勇者の弟なんて呼ばせない」
瞳はもう暗くなかった。どうやら吹っ切れたらしい。深く考えすぎんなよと言葉をかければ「俺はお前と違って思慮深くてな」とまで軽口を叩いてくる始末だ。
「ま、魔王を倒すまでそいつを連れ回すのは俺だけどな」
「は?」
「あ?」
穏やかな空気が霧散し、ファーガスが額に青筋を立ててこちらを睨み付ける。俺も睨み返した。
オーフェンには抜けていいとは言ったが、元はといえばこいつは俺専属の勇者パーティーの一人だ。休暇中だと言っていたが、勇者が呼んでいるのだから休暇は終わり。連れて行くのが道理だろう。
「お前が追い出したんだろ」
「リーナを入れる為にな。リーナが抜ければオーフェンを戻すのが道理だろ」
「そんなの道理に合わない。そもそもお前は逃げられたんだ、自覚がないのか」
「関係ねえな。こいつの役目は俺の旅について来ることだ。王宮から正式な書簡も届いてる」
「くッ……あの鳩、やはり追い返さず消せばよかった」
「オーフェンが音信不通だからって俺に伝令が飛ばされたのはお前のせいかよ!」
言い合う声は次第に大きくなっていた。余程騒がしかったらしく、ベッドに転がされていたオーフェンのまつ毛が震える。
今更だが、相変わらず黙っていれば同じ人間だとは見えないほどに整った見目をしている。正直、年齢を悟らせないのはこいつの元の見た目のせいでもあるだろう。
先ほどまで横たわっていた銀髪の青年──今や歳上だと知ってしまったが、どう見ても歳下としか思えない──は、目を開き数回瞬きを繰り返したあと、銀色の瞳を俺たちに向けて固まった。
指先がゆらゆらと動き出す。
あ、まずい。
そう思ったのはおそらく二人同時で、動いたのも同時だった。オーフェンの手を握る。決して指先から魔術を撃てないよう、指を絡め手のひらを合わせて。腕を引いても離してやらない。
それと同じタイミングでファーガスの手が詠唱を始めようとした唇を塞いだ。しかし何を思ったのか手を離し、代わりに唇を合わせる。
「!?、!??」
オーフェンのやつが目を丸くするのが見えたのと同時に飛び退き、慌ててファーガスとの距離を取った。案の定無詠唱で何かを発動したらしいオーフェンの魔術でファーガスがその場に昏倒する。
「お前、今それは逆効果だろ」
「目を覚ましたらすると……決め、て……うっ……」
「死ぬな死ぬな、おいオーフェン、許してやれよ。今更キスくらいいいだろ、もっとやばいの突っ込まれてんだから」
最後の一言は余計だったらしく、今度は俺に何か魔術をぶつけられた。同じように床に倒れ伏しオーフェンを見上げる。目前の男は人外じみた見目の良さを遺憾なく発揮し、美しく優然と微笑んでみせた。この状況で洒落にならないが、死ぬ間際に目にする天使のように美しい。
「ふう、これで許してあげよう」
その声を最後に意識が遠退く。目の前が真っ暗になった。
結局、オーフェンは俺と旅をしている。俺とオーフェンとファーガスの三人で再結成された勇者パーティーとして。オーフェンが条件としてファーガスをパーティーメンバーに加えることを提示したからだ。
「やっぱ剣士二人と魔術師一人じゃバランス悪くねえか? ファーガスお前次の街で可愛い娘引っ掛けてこいよ、弓兵とか」
「お前が行け。その間に俺とオーフェンさんは次の街に移る」
「昨日もオーフェンに振られたからってへそ曲げんなっての」
ファーガスが新調した剣を振りかぶり俺も聖剣で応戦する。竜を殺したと言い伝えられているそれは少し前に冒険で得た戦利品だ。大振りな分威力はあるが、俺のほうが速い。
「こらー! もう街が近いんだから剣を振り回さない! 全く、兄弟喧嘩に剣の持ち出しは禁止っていくら言っても聞かないんだから」
オーフェンが杖を振り上げたのが見えてお互い剣を納める。言っても聞かないのは否定しないが、こいつも味方に昏倒レベルの魔術をぶつけるのに躊躇しなくなった。3年も共に旅をして来たのに、ファーガスが混じった最近のほうが遠慮が消えたように思うのは正直嫉妬を覚える。
「オーフェンさん、こいつはまた性懲りも無く女と旅したいそうだ。次の街で置いていこう」
「ばっ……言うんじゃねえよ! 冗談だろうが!」
意趣返しのつもりか言わなくていいことを言うファーガスを睨みつけ、目の前で「じゃあ次の街でお別れかな」などとあっさり言い放つオーフェンにはもっとキツい視線を向けてしまった。
「この際だからはっきり言っておくが、俺はファーガスと違って別にお前がほしいわけじゃ……た、ただ、まだお前と旅がしたい……とは……思ってる」
「してるじゃないか」
「魔王を倒すまでだろ。その先もだ」
「魔王が倒されてどこに何の旅に出ると言うのかな?」
「う、うるせー! 別に魔王が死んでもそれだけで魔族が全部黙るわけねえだろうが! むしろ弔い合戦で士気が上がるか次の魔王決める小競り合いで争いは起こるに決まってる!」
隣で「ヘタレ……」と呟いたのが聞こえて後頭部を殴るとふくらはぎに蹴りが飛んできた。オーフェンは俺の発言に思うところがあったのか、何かを考え込んでいる。
「言われてみれば。勇者、君は意外とよく考えているのだね」
「あ、当たり前だろ。俺のことなんだと思ってんだよ」
「お馬鹿さん」
「お前な……!」
「ばーか。ヘタレ」
「うるせーぞこのムッツリ!」
「こらこら、やめなさい」
言い合いながら歩いていると次の街が見えて来た。
こうして俺たちの旅は続く。俺がそのうち年齢相応に成長したオーフェンに本気で見惚れてしまうのも、どちらか選べと迫られたオーフェンが「魔王を倒したほう」と答えたことで魔王側が逃げ出すほど熾烈な兄弟争いが起こるのも、今からそう遠くない未来の話だ。

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