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祖母の願い
「おー」
私がそう言うと、大輝は両手を上げてぷとぺの間のような声を出した。
「もうー。母さんったら、大ちゃんに夢中じゃない」
横から美沙子が笑いながら言ってくる。
「そりゃあそうだろ、みて、こんなに可愛いんだから」
そう言うと、少しふくれっ面になって言い返される。
「知ってるよ、そんなこと」
思わず笑い声が漏れる。娘より孫が可愛くなる、というのは時々聞く話だが、いくら孫が可愛くても娘より可愛いと思うことはないだろう。いつまでも、私にとって美沙子は愛しい娘に変わりはない。
「そういえばさ、この近くに松瀬川ってあったよね。なんかそこに噂があった気がするんだけど、母さん覚えてない?」
美沙子が横目で大輝を見つめながら尋ねてくる。そんな噂は聞いた覚えがない。
「松瀬川……? あるのは知ってるけど、噂なんて聞いたことないな。どんな噂があるんだい?」、
美沙子は得意そうな顔になって、少し声を落として語りだした。
「松瀬川はね、行ってとある儀式をするとその後ずっと幸せでいられるんだって。友達から聞いたんだ。今日この子を連れて行ってそれやろうかと思って。母さんもどう?」
儀式なんて馬鹿らしい。だけど、大輝にこの先ずっと幸せでいてほしいのも真実だ。少しくらいなら、行ってもいいか。
「私も行こうかね。だけどあんた、今日この後中学校の同級生に会うって言ってなかったかい」
「あ、そうだった〜。どうしよっかな。やり方教えておくから、母さんが先にやっといてくんない? 二時間位で返ってくると思うから、昼ごはん食べた後に私が行くよ」
まったく、人と会う約束をこんなに簡単に忘れていいものだろうか。
「じゃあやり方教えておくね。えっと……」
美沙子はポーチの中をゴソゴソと探って一枚の紙切れを取り出した。
「これだ! ふんふん。まずは、二人で手を繋いで川に入る。それで、目をつぶって10歩進む。で、手を離して目を開ける。そうすると願いが叶うんだって」
簡単じゃないか。これならできそうだ。
「あ! もう出なきゃ。じゃあ、お願いね!」
バタバタ音を立てながら出ていく。計画性が皆無なのは相変わらずだ。
「今の聞いてたよね、孝雄。私はこのあとでかけるから、留守番宜しく」
孝雄に声をかけてから出る。孝雄と結婚してから随分時が流れた。孫の顔が見られたのは本当に嬉しいことだ。
「ゆっくり歩きな。元気な子に育つんだよ」
大輝に声をかける。足が小さくて可愛い。美沙子のときも小さくて可愛かったな、と思い出す。
暫く歩くと浅い小川にたどり着いた。浅い川だからしっかり手を握っていれば大丈夫だろう。まあ、危ないことに変わりはないからさっさと終わらせよう。美沙子は無責任なところがあるから、気をつけるように言っとかないと。もうむしろ美沙子についていこうか。
「ばあちゃ、なにする?」
考えていると隣から可愛い声で呼ばれる。
「ごめんな、さっさと始めようか。まずばあちゃんと手えつないで。それでめをつむって十回前に進んで、手を離して目を開けるんだよ」
説明すると、不思議そうな顔をして見上げられる。それから納得顔で、む! と叫んでいる。可愛い。
「わかったかい? それじゃあ、始めるよ」
小さい手を握って目をつむり足を動かす。元気な子に育ちますように、と心のなかで呟く。それから手を離して目を開ける。
……え。目の前に大きな目玉がある。なんで? いやそうじゃなくて、何でこんなに大きい?
そっちでもなくて……。
突然腹が圧迫される。足が宙に浮く。そこで初めて目の前にいるものの全体が目に入る。頭が回らない。いやいやいや。なんだこいつ。そこで口からうめき声が漏れる。ワンテンポ遅れて腹部に鈍痛が走る。違う。これは鈍痛じゃない。苦しい。息ができない。口からなにか液体が溢れ出る。内臓が焼けるように痛い。自分の腹を掴んでいる手のようなものを殴りつける。
「やめろ、やめろってば!!!」
……あ、だめだこれ。死ぬ。助けて助けて助けて。首を後ろに回す。目を大きく見開いて立ち尽くす大輝が見える。視界がかすむ。あの子だけは逃さないと。
「がはっ」
声が出ない。それでも伝えなければ。
「だい、き、逃げろ。逃げて、生き残れ!!!!」
大輝の体が大きく揺れる。伝わったのか?
「逃げろ、逃げろお」
伝わらなくても叫び続けなければ、逃げてもらわなければ。口から血が吹き出す。鉄の味がする。バキバキバキという音が先程から響いている。私の骨の音か。逃して。私はなにも悪いことをしていないのに。逃して。お願いします。助けて、誰か。私を、あの子を――。
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