こいむすび。

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 春。一歩を踏み出した新社会人が、社会の荒波に揉まれる…とは良くある話である。  かく言う水谷 葉月も、その中の一人であった。希望していた職種に無事内定し、総合職として入職。配属先が関西地方だと知ったときは、え!関西!?USJ行き放題じゃん!などと呑気な事を考えていたが、その時の自分を殴ってやりたいと本気で思う。  葉月の入職した会社が、所謂ブラック企業か?と言われれば、恐らく違う…と思いたい。かといって砂漠社会のオアシスといえるホワイト企業か?と言われれば、また違うのだけれど。  学生から社会人への切り替えは中々に難しいものだ…とは、偉大なるOBの方々の有り難いお言葉の一つで、大学在学中、何度も何度も聞いたフレーズだ。残りの数種類に関しては覚えていない。  まだ学生だった頃は、へぇそうなのかー程度の感想しか思い浮かばなかったその言葉の意味を、新社会人になってからというもの、葉月は嫌という程に実感していた。  毎日毎日。それはもう、嫌という程に。  その日、葉月は疲れていた。それはもう疲れていた。朝一番に直属の上司と、それから先輩と、さらには同期にまで顔色が良くないと心配されるくらいには、疲れていた。  今日は金曜だ。一週間分の疲に加えて、入社してから蓄積されてきた疲れとが、一気に押し寄せてきたのだろう。  葉月はふらふらと覚束ない足取りで帰路を歩いていた。夕飯はどうしようか。  最早自炊をする気力すら、今の葉月には残っていなかった。今日はもう食べなくても良いかもしれないなあ…と、そうぼんやりと考えていた、その時だ。ある一軒の店が、彼女の目に留まった。  ”おにぎり処 たちばな”  おにぎり…。お米…。お米かぁ。  回らない頭とおぼつかない足取りで、吸い寄せられる様に店の暖簾をくぐる。藍色の実にシンプルな暖簾だ。  いらっしゃいませ、と頭を下げた店主らしき人物に会釈を返し葉月はショーケースに陳列されたおにぎりを眺めた。
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