好きだ。

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好きだ。

 あの時と同じことを、私はまた繰り返しているんじゃないのか。  もう、夏の空。  雲は、ところどころにちりばめられているくらいの、天気がいい日だったとしても、急に厚い雲が現れることもある。そして、雷と豪雨を連れて来る。何の予告もなしに。  それが夏というものだ。  その日は、授業中に外で雷が鳴っているのが聞こえて来て、ああ、嫌だなぁ、なんて、赤色を奪われたあの日のことを思い出した。  もしも同じことがあったら。その時のために、夏はいつも、赤いリボンをしている。  授業が終わっても雨は降り止まず、でも、そんなに長い時間はかからないだろうと、教室の中でぼーっとしていた。  それこそ、壊れてしまった機械のように。  スマートフォンが震えたと思ったら、颯太からのメッセージだ。  今日はバイトのシフト入ってたっけ?  入ってない、と返す。なんとなくぼんやりしてて、文面がそっけなかったのか、颯太を心配させてしまったかもしれない。  どうした、何かあった?  何もないよ。傘がないな、って思ってただけ。  そこまで文字を打って、ふと気が付く。もしかして、颯太は私に何か会いたい用事でもあったから、バイトのシフトのことなど聞いてきたのだろうか。  何か用?最後にそう足して、送信しようとしたその時に、先に向こうからまたメッセージが届いた。  それなら、ちょうどよかった。傘がなかったら、また大変だから迎えに行こうかと思って。  なんだよ、そういうところだよ、大好きだよ。  心の中でそうつぶやいてしまう。  何で、駄目だとか、ダサいとか、そんな風に言われなきゃならないんだろう。そりゃあ、誰とでも馴染めるような明るさとか、軽快さみたいなものはないかもしれないけど。何でも器用にこなすわけじゃないけど。  君は素敵な人だよ。  教室の場所を伝えると、五分も経たないうちに、颯太はやって来た。姿を見たら、軽く手を振るくらいはしたけれど、いつもみたいに飛び跳ねながら走り寄って行ったりはしないのを、颯太はおかしいと思ったようだ。  様子を窺うように、覗き込んで来る。 「やっぱり、なんかちょっと変じゃない。どうしたの?」 「どうもしないし、何もない。ただ……」 「ただ?」 「まとも、とか、普通、って、なんだろうね、って思って。私は、絶対それには当てはまってなくて」  面倒くさいこと言ってる。まともな人はこんなこと言わない。そもそも、自分がまともだと思ってるなら、こんなこと考えないだろうし。  案の定、颯太はちょっと困ったような顔をしていた。  私の隣に腰かけて、ふわりと、柔らかい声で話す。 「いつか言ってたよね。私は壊れてるんだって」 「うん」 「そんなこと言わないでよ」  そっと、そこに置くように、颯太の声が響く。押し付けるわけでもなく、お願いでもなく。祈りのような。 「でも、そうだもん。ほら、この間だって、颯太の知り合いの人に、必要以上に噛みついたりしたし。昔もね、同じようなことがあったの。力の加減が出来ないのって、やっぱり壊れているでしょ。一度私は自分をぶっ壊して、赤色で組み立て直したから、今こうして立っていられるの。でも、壊れたものは壊れたものでしかない」  私の言葉を、颯太は静かに聞いていた。肯定するでも、否定するでもなく。  だけど、じっとこちらを見ているその目の深い色が、少し悲しそうで。どうしてそんな目をするのだろう。私は私のことを話しているだけで、颯太を傷つけるようなことは言ってないのに。 「確かにね、ある意味では困ったところでもあるかもしれないけど、でも、それが璃雨であることだから、俺は好きなんだ」  もう雨は上がっていた。さっきまで薄暗かったのが嘘みたいに、窓からはめいいっぱい光が射している。夏の、強い日差し。  二人のほかに誰もいない。そんな教室の中に響き渡ったその声の残響が、しばらく私の耳の中で鳴っていた。  一瞬では、信じられなかった。颯太の口からそんな言葉が出てくるだなんて。 「好きって……言った?」 「え?」 「今、言った?」 「い……言ったよ。ねえ、ちゃんと話聞いてる?」 「聞いてるよ、しっかり聞いてるよ!」  聞いていないわけがない。ただ、一言に動揺してしまっただけで。  大嫌い。  あの日、あの子に言われた言葉。ずっと刺さった棘になっていたのが、抜けて行ったような気がした。  颯太がくれた、まったく反対の言葉で。 「だから、璃雨が自分である部分を壊れてるだなんて言うのは、俺は悲しいから。そんなこと言わないで」 「それが、悲しいの?」 「そうだよ。その赤色は、璃雨を強くするためのものだと思ってたのに、逆に璃雨が自分を傷つけるみたいで」 「別に、傷つけてるつもりはないよ。大切にしたくても上手に出来ないな、って思っただけ。颯太のことも、自分のことも」  考えるよりも先に言葉として出て来た。  だけど、それでも颯太は好きだと言ってくれて。だから、言いたいことはそれだけじゃない。身の程知らずにも舞い上がったりして。ただ嬉しくて、ありがとうって言いたいけど、自分が勘違いしそうだから。  口にはできない。  颯太は、私に言い聞かせるように、ひとつひとつ丁寧に言葉を紡いでいく。 「それは、俺だってそうだよ。本当に上手にできる人なんて、きっといないんだから」 「何言ってんの。雨が降ってるからって、傘持って来てくれたじゃん」 「でも、そんなのいつもじゃないでしょ。今日はたまたま、いつだったか豪雨にやられてずぶ濡れになってた璃雨のこと思い出したから、それだけだよ。それに、どんな形にせよ、璃雨を傷つけたことがないなんて言えないし。酷いでしょ、それだけ聞くと。もちろん、出来るだけないように努力はするべきだけど、そういうことも重ねて生きてくもんだっていうのも知ってなきゃいけないよ。きっとさ……壊れているって、そこだけ語ってるようなもんじゃないの。だけど、それ以外にも、いろいろあるのに。それとは反対の、素敵なことも。俺のことに関しては、璃雨は素敵なところもちゃんと見てくれてる。でも、自分のこととなると……酷いところしか見てないんじゃない。もしかするとさ、璃雨がそうなっちゃった原因がなんかいろいろあったのかもしれないけど。もう、そこばっかり見ないでよ。だから俺は、そのリボンをあげたのに」  何と言えば、上手く伝わるかわからなかった。浮かんでくる言葉は、どれも足りないか、過剰か、どちらかに思えて。  それでも、何かを言わなくちゃ。 「あのね……ありがとう」  さっきまで、必死に言わないようにしていた言葉を、私は言った。それを言ってしまうことが、勘違いだとかそんなことはもうどうでもよくて、ただ言うべきことであると、もう認めるしかない。  颯太はそれに答えるように、小さく笑った。それから、窓の外を見る。キラキラとした、夏の日差し。 「ところで、傘いらなくなっちゃったね。まあ、いいか」 「うん」  頷くと、私を無敵にする頭の赤いリボンも揺れる。そこから、少しずつ、颯太がくれる勇気が流れ込んでくるように。    今日も明日も、私は私でいよう。    赤いリボンを結んで。
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