私と彼

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 実際のところ、私たちがどういう関係かという話は、明確に話したことがない。颯太が、まともにそういう話をさせてくれない、というのもあるが。  それが、どうしてなのかはわからない。  私のことが嫌いなわけじゃないのは、わかっている。好きだとも言わないけど。  あれは、去年の夏の始まりのことだった。  夏と言えば、突然の豪雨が頻発するものであるが、その日は、ずっと天気が良かったし、雨が降るという予報もなかった。  けれど、夕方、一瞬で空がどんよりと重たい雲に覆われたと思ったら、急に襲撃するような雨が降って来た。  傘も持っていないので、防ぎようもない。おかげで、あっという間に全身びしゃびしゃになってしまった。帰るだけなら別に構わないけれど、その後バイトがあるので、非常に困る。  バイトは、とあるアパレルショップの販売員の仕事。自分の好きな格好をして働けるところと言ったら、まずそういうところだろうという、単純な思い付き。  ずぶ濡れの姿で現れた私に、店長はやはりこう言う。 「大変じゃない。そのまんまじゃ風邪ひくし、濡れたまんまで接客するわけにもいかないでしょ。幸いここには洋服ならいっぱいあるし、給料からの天引きで買ってね。社割もあるし」 「はーい……」  とはいえど。  その年の流行カラーは赤ではなく、春夏でもグレーだのブラウンだのばかりだったので、赤い服を探すのはなかなか難しい。  でも、せっかくだから、いつもはしないような格好をしてみようか。たぶん、今日しか着ないだろうけれど。  ベージュのシャツに黒いパンツを選んだ。  着替える時に鏡を見ると、化粧もガタガタに崩れている。  それも何とか直そうと、化粧ポーチを取り出したが、これでは、いつものメイクも合わないかもしれない。  今日は、私じゃない私。  雨の日は、お客さんも少ない。接客は普通にできる。言うべきことはちゃんとわかっているから。  でも、なんとなく本来の調子が出ない。  お客さんが途切れたちょっとした時間の店員同士の雑談となると、口が封じられてしまう。自由に出て来るべき言葉は、閉じこもったままになる。  黙ったままの私に声をかけて来たのが、颯太だった。  私たちが知り合ったのは、学校ではなくて、バイト先のお店だったのだ。後で、同じ学校だと知って、驚いたもので。  この時、彼が気を使ってくれていたのかは定かではない。でも、妙に優しい声だったのは覚えている。 「いつも結構元気に喋っている感じなのに、急に口数が少なくなったね。やっぱり、雨だとちょっと気持ちも落ちるかな」 「だって……見てくださいよ」 「何を?」 「私の格好」  彼の目が、ざっと私の全身を走って行った。 「ああ……そういえば、なんか違和感あるな、と思ったけど……赤くないね」 「そうなんです。ゲリラ豪雨にやられて、着替えざるを得なくて」 「ああ……」  私が、自分でいられる魔法を奪われたのと同じ。でも、そんなことを言ったら笑われるだろうし、ただの冗談に思われる。  でも、本当に、私は赤色がないと、言葉を奪われたみたいに、何も言えなくなってしまう。途端に、それ以前の自分が頭の中に浮かんで来て、何も出来な自分になってしまう。  その感覚を、どう説明したものかと悩んでいると、彼の方から何気なく話してくる。 「もしかすると、魔法少女とか、ヒーロー戦隊だとか、ああいうので変身するのと同じことなのか」 「ああ……そうか……そんなこと、考えたこともないけど……でも、そうなのかも」 「そっか」  そう言われて、自分にとっての赤色の意味を、初めて知った気がした。自分のことなのに、おかしな話だけれど。  颯太は、ただ納得したように、頷くだけで、それをからかったり馬鹿にしたりはしない。 「篠田(しのだ)さんは、何かあるんですか、そういうの」  颯太は、少し考えるように小さく首を捻ってから、苦笑した。 「いや、無いね。もともとそんなパワーやエネルギーが自分にあるとも思えないから、引き出す何かもないよ」 「そうですかね。そんな人っているんですかね。生きてるだけで、充分すごいエネルギー持ってるんじゃないですか。自分が自分でいるエネルギーは、凄いんです」  なかなか長い間、彼は黙り込んでしまった。棚の上に無造作に置かれていたTシャツをたたみながら、会話の話題が時効になるくらいの頃に、ぽつりとこぼした。 「意外と、赤がなくても口は回るみたいだね」  一瞬、機嫌を損ねてしまったのかと思った。でも、そうではない。こっそり彼が笑っているのを、私は横目でしっかりと見た。  私はすぐ隣まで近付いて、その顔を覗き込んだ。彼は気まずそうに顔を逸らしてしまう。 「上手く出せないだけじゃないんですか。それか、自分で知らないだけか」 「そうかな」 「でも、今の私は、エネルギー不足なので、もう黙っておきます」 「うん、そうして……。……あ……ねえ」  そこで会話は終わりかと思ったのに、彼は急に私を手招きして呼んだ。 「何ですか?」 「ちょっと、思い出して」  レジ台まで行って、棚の引き出しを開けて、彼は赤いリボンを取り出し、適当な長さに切った。二つ分。  そして、そのリボンを、私のツインテールの髪の両方に結ぶ。 「こんなんでも、なんか赤いものあった方が、調子出るんじゃない。ラッピング用のリボンだけど」  ちょっと照れくさくて、私は素直に喜ぶよりも、少しひねくれたことを言ってしまう。 「備品勝手に使って、怒られませんか」 「さあねぇ。でも、エネルギーチャージできたでしょ。その方が、らしいよ」  それから、彼は何事もなかったかのように、仕事に戻った。  本当は、私を認めてもらったみたいで、叫び出したいくらい嬉しかったけれど、ぐっと堪えて、代わりに、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で言う。  ありがとうございます。  そのリボンは、今でも時々、ちょっと気分が落ち込む日には付けたりしている。颯太は何も言わないから、それに気付いているのかどうかわからないけれど。  私が、いつでも私でいられるものをくれたのは、颯太なのに。  ただ、気づかぬふりをしているだけだろうという、勝手な希望をどこかに抱きつつ。
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