赤色と過ちと依存

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 噂話。  人の口に戸は立てられぬ。私だって、全くしないわけではない。そして、話す人々には、それが本当でも嘘でもどうでもいいのだ。自分にとって、関係のないことだから。  もちろん、この大学内でも、何処から出て来たのかわからないような話は、常に飛び交っている。  あの人がああだとか、あの場所がどうだとか、あの教授や講師がこうだとか。 「そういえばさ、鷹峰(たかみね)先生ってさぁ」  廊下を歩いていると、早速そんな噂話は耳に入って来る。 「どっかの組織で怪しげな研究してるって聞いたけど」  あまりにも曖昧過ぎる情報が、いかにも噂。もっと具体的である場合は、何処で誰が創作の肉付けをしたのか、辿ってみたくはなるが。  何であれ、これと言って興味のある話題でもないので、どうでもいいけれど。それで地球を滅ぼそうとしているという壮大な話にまでなったら、耳を傾けないでもない。でも、流石にそれも胡散臭すぎる。  噂話というのは、胡散臭い方が面白くはあるのだろうが。  結局、どうでもいい。  授業が終わると、私は直ぐに、私はカフェテリアに向かった。颯太が学内で時間を潰しているとすれば、そこが一番あり得る場所だから。  颯太は、私とは真逆で、景色に溶け込むような人なので、見つけにくいと言えばそうなのだけど。  でも、好きな人はすぐわかる。なんとはなしに、佇まいとかそういうもので。  窓側の奥の方の席に、座っているのが目に留まる。 「あっ、そう……た……」  声をかけようとして、尻すぼみになってしまった。  一人じゃなくて、人が一緒にいるではないか。学生ではなく、講師だ。さっき、怪しげな組織で怪しげな研究をしていると噂されていた、鷹峰先生。  それでも、目に留まりやすい格好をしているので、颯太は直ぐに私に気付いてくれる。この場合、それがいいのかどうかはわからないが。  いつもみたいに、駆け寄ることはせずに、少し遠慮気味に近寄って行った。 「授業終わったんだ」 「うん。……えっと……また、後の方がいいかな」  颯太の向かいに座っている人に、ちらりと視線をやって、促した。鷹峰先生はにこやかに答えてくれる。 「ああ……もうお話は終わりましたから、構いませんよ」 「そうですか……」  席から立ち上がった講師は、改めて私に目を向けた。 「あなたは、何処の学部の学生ですか」 「経済学部です」 「経済……そうか、物理学のうちとは接点がないはずですね」  暗に、こんな目立つ格好をしている人間がいれば、記憶のどこかにいるはずだ、と言っているのだということは、流石の私にもわかる。  それどころか、微かに口元を歪めたことで、さらに何を言いたかったのかはわかってしまう。  全身真っ赤で、毒々しい。頭がおかしいんじゃないのか。  どうせ、そんなことだろう。  別にどう思われようと、あまり気にはしなかった。好意的に受け取る人間の方が少ないのはわかり切っているし、それでも私は私を貫いているだけだ。  だが、向こうとて、私がその笑みをどう受け取ったかわかっているようで。 「あ……別に他意はないですよ。だけど、やっぱりちょっと、びっくりしてしまうかな……と」 「まあ、そりゃそうですよね」  若干身構えていた鷹峰先生は、気が抜けたように、脱力したのが分かった。 「あれ……てっきり怒られるかと」 「いいえ。まあ、ぎょっとされるのが普通だと思います。私は、自分が壊れているのがわかっているので」  一瞬、鷹峰先生は目を見張った。それからそこに表れたのは、静かな納得と憐れみ。それだって、想定内の反応だ。 「そこまで徹底的に赤色に拘っているって、何かあるんですか」  だから、答えは用意してある。 「そうしないと私が私でいられないんです」 「それは、ある種の依存……ですか」 「まあ、そうですね」 「なるほど……」  鷹峰先生は何かを納得した様子だったけれども、そこで、今まで黙っていた颯太が急に口を挟んできた。 「壊れているって……」  しかし、その言葉は、そこに現れた新たな人物によって、消されてしまう。 「篠田じゃん。何してんの?」  私は、無意識に数歩身を引いてしまう。どうやら颯太の知り合いのようだが、纏っている空気が、高校の教室にいた、ボス猿と同じ。直感が、そう告げている。 「それじゃあ、私はこれで……」  小さく頭を下げてから、鷹峰先生はその場を去って行った。去り際に、今現れた男も、軽く会釈をして見送る。 「先生と何話してたの?」 「ちょっとレポートについての相談」 「ふーん」  それから、ちらりと私に視線を向けて来る。 「えっと……篠田の友達?」 「友達っていうか……彼女……です」  ちょっと気恥しかったので、遠慮気味にそう言ってみる。  たぶん、はっきりそう言ったのは初めてかもしれない。お互いにはっきりそうと言い交わしたことは一度たりともないが。    これだけは言える。  私は颯太が好きで、颯太はきっと私が好きだ。少なくとも、嫌いじゃない。   そのはず、だけれど、颯太は驚いたように目を丸くしていた。 「えっ?」 「えっ?」  お互いに変な声を上げてしまう。私にしてみれば、颯太がそんな反応をすることがおかしく思える。  どうして?  心の隅のチクチクが、どんどん広がって行って、それを否定するかのように、私は颯太の目を見て言った。 「そうでしょ?」 「え……」 「そうだよね?」 「え……」  私が詰め寄ると、颯太は身を引く。それを繰り返していると、いつまでも収拾がつかないのが分かったのか、この話題を振った男が、にやにやと笑いながら、口を挟んで来る。 「さっきから、え、しか言ってないじゃん。なに、どっち?」 「彼女、です!」  私は勝手に断言した。  だけど、この人のその笑みが、どこか粘着質なものであるのを見ると、余計なことを言ってしまったかもしれないと、後悔が襲ってくる。  いじくりまわされるだけのネタを提供してしまっただけかもしれない。  案の定、与えられた餌にそいつは食いつく。 「へぇ……こいつにそんなのがいるとはねぇ。信じらんねぇ」 「何でですか」 「だって、こいつあれだもんな。何やっても駄目だし」  大きな口を開けて馬鹿みたいに笑ってる。  友達って、なんだろう。  そんなことを、私は思わずにはいられなかった。ずっと、引っかかる。私には、長らくそんなものがいない。だから、何をもってしてそう呼べるのかはわからないけれど。  少なくとも、これは違う。  その後も、何かと颯太を小馬鹿にするようなことを、この人は口にする。  だけど、それは私が気に入らないだけで、実際颯太がどう思っているかはわからない。二人の関係性がそういうものなのかもしれないし、この人がこういう感覚の人だというだけで、そういうものだとしか思っていない可能性もあるから、私は黙って聞いていた。  でも、頭の中では、早くこの人を颯太から引きはがしたい、と思いながら。  間違ってはいけない。私の勝手な正義感で、颯太が望まぬことを、してはいけない。 「だけど、なるほどな、とも思うよ」 「何が?」  特に不満げでもなく、辟易した様子も、疲弊している様子も無く、淡々と颯太は彼に訊ねた。 「いや、お前みたいなやつに言い寄るのって、確かにこれくらい風変わりで面倒くさそうな子くらいかもな。案外お似合いなんじゃないの」  ああ、やっぱりか。私にも矛先が向いてきた。  でも、そんなのはどうでもいい。颯太があれこれ言われるよりは、全然気にならない。だけど、颯太は少し引っかかったようだ。 「璃雨は挨拶くらいしか喋ってないけど。それでどうして風変りだとか、面倒くさそうってわかるのかな」 「だって、こんな格好してりゃさ……。自分でそう言ってるようなもんじゃん」  皮肉でも何でもなく、ただこの人は何も考えずに思ったことを言っているだけなのだ。しょうもない。 「まあ、人がどう思おうと私は気にしません。そんなことはどうでもよくて、私は私でいるだけです」  こんなこと言ったところで、この人には理解できないだろうが。  ああ、こんなことを考えている私も、どこかでこの人を見下しているんだな。この人が、そこに悪気があるにしろ、無いにしろ、颯太のことを意識的にも無意識にも見下しているように。  だけどしょうがないじゃない。  この人とは、軸がまるで違うんだから。 「そういうのってさぁ、我儘なんだよね。自分勝手。だからあれだよな。颯太みたいな意志薄弱な奴が、言うこと聞くしかないんじゃん。犬みたいにさ」  駄目だ。どんなに自分に言い聞かせても、もう限界だ。  どんっ。  思った以上に派手な音。ほとんど衝動的に、私は足を上げて、真っ赤な靴で、この男のすぐ脇の壁を蹴っていた。  相手は何が起こったのか理解できない風で、間抜けな顔をして、口をぽかんと開けている。  それを見て、私の中の怒りは、ますます増幅していく。でも、その温度も上がりすぎると、血は逆に冷える。 「何その顔」 「へ……」  ちゃんとした声にもなっていない音を、ただ吐き出すだけ。  ああ、しょうもない。 「私がこうして不満を申し立てることに、そんな間抜けな顔して呆けるような程度の覚悟で、あんたはあんなことを言ったの」 「は?」 「毒やナイフを使う時はね、自分にも同じものを返される覚悟がなきゃ……相手に殺されんだよ。それもわからずに、ずっと颯太を見下すような言葉を並べてたの?私をわざわざダシに使ってまで。それとも、颯太が何もやり返せないとでも思ったの?」  私は、相手から一切目を逸らさなかった。瞬きさえもしないくらいに。ただ、この目の視線を刺し続ける。  いい加減、相手も少し思考が働くようになってきたようで、表情が変わってきた。 「逆ギレかよ……」  だから、駄目なんだよ、とでも言いたそうだ。口には出さなかったことは褒めてやってもいいが、しかし、私の口は止まらなかった。 「人の話を聞いてないのかな。言葉は……軽くない。颯太のことを見下しているなら、友達だなんて言わないで」  ぴくり、と、相手の眉が動く。それから、皮肉な笑みを浮かべた。 「やべぇ女だな。ほんと、見た目通り」 「そうだよ。だから何?」  しばらくそのままの恰好で対峙していた。私は足を壁に付いたままで、この男を追い詰めて動かないので、何事かとチラチラこちらに向けられる視線があるのには気づいていた。  相手はそれに耐えかねたのだろう。きっと、この人にとっての大事なものとは、そういうことなのだろうから。  気まずそうに、席から立ち上がり、その場を去って行った。何の言葉もなく。  これから、颯太とあの人の関係がどうなるだろうか。  ああ、どうして私は、高校の教室で起こったことと同じことを、またしているんだろう。  二度と、繰り返さないようにと思っていたのに。  だから、壊れているんだ。  本当は、こんなのヒーローに変身するものなんかではないのか。  ゆっくりと壁に着いていた足を下ろしながら、私はあれこれ考える。何も言わぬ颯太が、何を思っているのかを気にしながら。 「あの人のこと、本当に友達と思ってた?」  考えるように窓の外に目をやったまま、颯太は何も答えなかった。 「私にはそうは見えなかったから。……あんなこと言われてたって、ただの冗談として気にしてないとか、気にしてたとしても、一人でいるよりマシって颯太が思ってるなら……余計なことして、ごめん。だけど、どうしても許せなくて」  颯太が何を思っているかはわからない。嫌われたかもしれない。また、壊したかもしれない。だけど、今、本当に言葉が届いてほしい。 「そりゃあ、颯太より賢い人もさ、立派な人も、凄い人もいるよ。あんなひどいことを言うやつの方が凄いことだって、きっとあるんだろうけど……でも、颯太には素敵なところだっていっぱいあるんだよ」  そこでやっと、颯太の声がした。目は窓の方を向いたままだったけど。 「たとえば?」 「えっ」 「言えないのにそんなこと言うの?」 「だ、だって、急には……」  ようやく、このカフェテリアにいる人たちの目が、散らばって行く。ざわめきも戻って来る。  窓の外は、青い空にところどころ雲が散らばっていて、なんだか暢気な日だ。  空気を読むって、なんだろう。  外の天気だって、こんなに場違いなのに。 「覚悟が足りないんじゃない?」  笑い出す颯太が、やっとこちらを向いた。でも、その目はやっぱりどこか戸惑っているのがはっきりわかる。  だから、私の言葉も、しどろもどろになった。 「声は……簡単には届かないし……」 「うん」 「だから……つい必死になって……」  私が肩を落とすと、颯太はくしゃっとした顔で、苦笑した。 「あのさ……本当は逆だったと思う」 「何が?」 「なんでもない。璃雨は怒って当然だった……それだけだよ」 「そりゃそうでしょ。颯太があんな風に言われたら……」  むにっ、と、右の頬を引っ張られた。まるでそこから言葉を引きちぎるように。ほっぺたが、赤くなる。 「だから、それが逆だって。いや……わかってないなら、別にいいんだ」 「何言ってるのかわからない」 「だから、わからなくていい。はいはい、もう次の授業始まるから」 「私はもう今日は終わりだもん」 「そうなんだ。じゃあね」  軽く手を振って、颯太はもう背を向けて去ろうとする。たまらなくなって、私は咄嗟に声に出して言っていた。 「なんかあっさり過ぎない?」  ため息をつきながら、颯太は振り返る。 「じゃあ、どうすればいいのさ」  私は、ばっ、と、両腕を広げた。  それが何を意味するかは、颯太だってわかっているはずだ。こういうことに応えるような人ではないが。  だから、期待はしていなかったけれど。  颯太が近づいてきたと思ったら、私の体はふわりと包まれていた。  でも、ほんの瞬きする間くらいのこと。  だから、私が勝手に頭の中で繰り広げた想像なんじゃないのかと思ったけれど。いや、感触は、ちゃんとそこにあった。  すぐに、すごすごと逃げるように、じゃあね、と言って、颯太はその場を後にしてしまったけれど。  くさくさした気持ちが、どこかへ飛んでいってしまった。  ものすごく単純なことで。  だけど、私は、どうしても力の加減というものを、よくわかっていない。  赤という色で、自分の中の鎖を外さないと、存在できないような気さえしてしまうから、上手くやれるちょうどいいところ、というのを見つけられずに。  問題は、そんなものいらない、って、どっかで思ってることじゃないのか。
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