赤色と過ちと依存

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 その数日後、大学の構内で私はまた偶然鷹峰先生を見かけた。  専門も違うので、先生の授業を受けてすらいないのに、私はなんとなく声をかけてしまった。 「鷹峰先生」  もしかしたら、私のことを覚えていないかもしれないかとも思ったが、すぐにピンと来たらしい。 「ああ、あなたは、この間の……篠田さんのお友達の……」 「友達じゃなくて、彼女です」 「そうですか」  鷹峰先生にとっては、別に何だっていいことだろうが、私のこだわりとして、きっぱり言っておきたい。 「でも、覚えてくれていたなんて、意外です」 「だって……そう簡単には忘れませんよ」 「……それもそうですね」  私はどう見てもおかしなところがあるから、そうだろう。  ふと、この人に関して耳にした噂を頭が過る。  この人は、そんなことないのに。  話していても、ちゃんと会話にもなるし、避けられている感じもしない。どこにも怪しげな雰囲気はないのに、どうしてあんな噂が立ったのだろう。  つい、私は探るようなことを訊ねてしまう。 「先生って、この学校の教授じゃないんですよね」 「ええ、違います。ただの講師です」 「じゃあ、本当はどこかの怪しい組織で怪しい研究をしているわけではないですね」  一瞬先生はきょとんとしていたけれども、やがて軽やかな笑い声をあげる。 「まさか。面白い冗談ですね」 「ですよね」  私だって信じていたわけではないのだけれど。耳に入ってくれば、頭のどこか隅の方では気にならなくもないのだ。 「まあ、そういうふうに噂されているのも知ってますけど」  やはり、本人の耳にも入っていたのか。  わざわざ否定するのも面倒だから、放っておいているのだろうか。そんな噂が立ったところで、実害があるわけでもないのだし。人の悪意を感じないでもないことではあるが。 「噂って、何処から来るんでしょうね」  私が投げかけた疑問に、さあ、と、鷹峰先生は苦笑した。 「誰かがなんとなく思った勝手な憶測を喋ったところから、私もそう思ってた、って、勝手に同調した誰かがいて、そこから勝手に本当の話、っていうことにされて広まる……そんなもんじゃないですか」 「でも、鷹峰先生がそんな変な研究してるなんて、誰が怪しむんです?」 「さあ……なんとなく、人から見れば、私がおかしいところがあるんじゃないですか。壊れている、みたいな」 「そうですかね。別に普通じゃないですか」  私に比べれば、という言葉は、敢えて言わなかった。それは、比べるものでもないような気がするし、比べて自慢げに言うことでもない。  鷹峰先生は、弱々しい笑みを浮かべた。 「あなたが赤色に執着しているように、私はきっと研究というものに執着しているんです。壊れた自分を、それで再構築しようとしているみたいに。それが人には妙に映るのかもしれないですし。大学という場所であっても」  違うかもしれないけど、同じかもしれない。  いつだったか、颯太が言ってくれたことを、急に思い出した。今日は、あの赤いリボンをしているからだろうか。 「もしも、過去にそうなる何かがあったんだとして……何かに執着したとしても、それはきっとあれなんですよ。ヒーロー戦隊とかで変身するのと同じ」 「は?」  流石に、この発言には高峰先生も素っ頓狂な声をあげる。それでも、私は引かない。 「それで、強くなるんです」 「そう……ですかね」 「颯太が……篠田さんが言ってくれたんです。赤色は、私にとってそういうものだって。先生は、研究が無敵になる方法なんですよ」 「そういう都合のいいものですかね」 「そう思ってた方がカッコいいじゃないですか」  私が冗談めかして言うと、空気がふっと緩んだ。お互いに、口元も緩む。 「……なんかいいですね」 「はい、なんかいいですよね。でも、どうしたって、やっぱり壊れているんですよね。いろんなものを、壊しちゃう」 「まあ、まともっていうのがどういうものかというのも、難しい話ですけどね」  真実なんてわからないけど、私がもうずっとどこかで感じていたことを、素直にそのまま口にした。 「それもきっと、自分がまともと思ってる人が、勝手に決めることなんじゃないですか。自分と同じものがまともだって」 「結局錯覚なんですかね。だったら、壊れているっていうのも錯覚かも」  あの日、教室で誰がまともで、誰が壊れていたんだろう。そんなことを論じたところで意味なんてあるのかわからない。  どっちにしろ、過去は元には戻らないのだし。  私が、間違ったことに変わりはない。 「いや……それは……どうでしょう」  そんなに厚かましくはなれない。勘違いをしてはいけない。  あんまり頑なな調子で私が言うので、先生は少し困っているようだった。 「そうですよね。まあでも、人が何と言おうと、私は私で生きているだけです。あなたは、そうじゃないんですか?」  赤い唇で、赤い服を身に纏っていても、私はそれには何も答えることが出来なかった。  ついこの間だって、同じ過ちを繰り返したばっかりだ。  だけど……。
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