赤色と過ちと依存

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 彼女と顔を合わせるのが怖くて、私はしばらく学校へ行くことを止めた。毎日同じ空間にいなければならなくて、どうやって顔を合わせればいいのだろう。  そして、学校へ行かなくなって八日目のことだったはずだけれど。もうはっきり覚えてはいない。それに、そんな細かいことはどうでもいいだろう。  母親が使っていた真っ赤な口紅。  よっぽど急いでいたのか、キャップをするのも忘れて、ドレッサーの上にほっぽり出されているのが、偶然目に入って、それを手に取って見たのは、本当に気まぐれだった。化粧にそんなに興味があったわけではなかったけれど、目を引く色ではある。    自分とは真逆な。  母は、真っ赤な口紅で、よく喋っている、はっきりした、快活な人。  これのおかげなのか。  そんなわけはないと思いながらも、私は震える手で、自分の唇に、紅を引いて行った。  くっきりと浮き立った私の唇。  目が覚めた。  その強烈で脳天に突き刺さるようなその色が、ちゃんと目を開けて私をそこに立たせるようになったのを、はっきり感じた。  この色なら、私の言葉を、私の存在を、ちゃんとそこに置いてくれる。これなら、ちゃんと正しく、私の言葉は発せられただろうか。ちゃんと正しくやれただろうか。ちゃんとあの子を守れただろうか。  壊したりせずに。  何かの閃きに動かされるように、私はお小遣いをかき集めて、ドラッグストアへ走った。そして、真っ赤なリップと真っ赤なネイル、その他にも、できるだけ赤い色の化粧品をいろいろ買い集めた。  赤という色を自分自身につけていく作業は、私が私になれるようで。  いや、正しい私になれる、という方が近いのか。  ちゃんと、向き合えるように。  次の日、私は武装をするように真っ赤な化粧をして、久しぶりに学校へ行った。  教室に入った瞬間、ぱらぱらと視線がこちらに向いてきたのが分かった。    自分の席まで行った時に、隣に座っている女の子が、何かを言いかけて、でも言葉が出てこないのが分かった。  例のボス猿が、私を見て、ただ間抜けに口をぽかんと開けていた。 「何?」  すっかり時間が止まっているように固まっていたボス猿は、ようやく声を絞り出した。 「あ……いや……誰かと思って……。随分……変わったね」  どういう意味か。  そう問おうとも思ったけれど、そんなことを聞いても、あまり意味がない。今言うべきことはそれではなく、私のこの真っ赤な口がわかっている。 「……この間はごめん。私が口出しすべきことじゃないことに、しゃしゃり出て」 「……あ、いや……別に……」  逆に言葉を吸い取られているように、ボス猿はしどろもどろと答えた。ただ、急に変わった私の見た目と態度に、度肝を抜かれただけなんだろうが。二、三日もして慣れれば、きっと前と変わらない。  取るに足らないやつだという認識は、同じだろう。  それはともかく、私は教室を見渡した。あの子にもちゃんと話をしなければ、と。この赤い口紅は、そのための勇気。  しかし、何処にも姿が見当たらない。もう少しで、始業のチャイムが鳴るのに。遅刻はするような子じゃない。 「あの子は?」  あの子、としか言っていないのに、ボス猿は直ぐに誰のことかわかったようだ。 「ああ……あんたと同じで、ずっと休んでるよ」 「え……」 「まあ、自業自得じゃん」  酷い言葉にも聞こえるが、私が何も事情を知らないからだろう。敢えて否定の言葉を言わずにいると、ボス猿の口は止まらなかった。 「逃げるしか出来ないんだったら、自分のせいでしょ」  バンッ、と、私は机を両手で思いっきり叩いた。  教室中が黙り込んで静かになるくらい、その音は響いていく。  もう、この間とは違う。赤という色を纏った私は、ちゃんと言える。声が、届くはず。 「何があったって、何でも言っていいってもんじゃないでしょ」  それでも、ボス猿は怯まなかった。目を眇めて、低い声で呪文のように唱える。 「大っ嫌いって言われてたじゃん。それでも、そんなふうに庇うの。……馬鹿じゃない」  結局、あの子はそれ以来学校に来ることはなく、何があったのかはわからないまま、私は卒業してしまった。  本当は、あの子を守ってあげられる強さが欲しくて、赤色を纏ったのに、彼女を訪ねて行く勇気がなかったのは、自分でもおかしな話だと思う。  私が尋ねて行って、何があったのかを聞くことさえ、彼女にとってはしてほしくない間違ってることなのではないかと思うと、出来ない。  だって、私が壊してしまったから。  風の噂でだけ聞いた話だが、彼女は通信制の高校で無事に卒業したとか、そんな話も耳には入っていたが、真相はわからない。  それでも、今度は大事な誰かを守れますように。壊れている自分を補修して。  私はいつも赤を身に纏うようになった。
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