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にびいろの雲に覆われた早朝。私たちは軍の兵隊に叩き起こされた。酷く怯えた兵隊は不可思議な殺人事件が起きたと私たちを忙しなく馬車に乗せた。寝ぼけ眼で揺らされながら着いた先は街でそこそこ有名な魔術師の館であった。館は朝の空気を吸う事なくジメジメした肌に纏わりつく煩わしさが充満している。私たちはそれ払い除けるように中に入った。薄暗い玄関。広々としたロビーは黒と茶色の正方形で統一されている。巨大なヘカテーの彫像の前それはあった。魔術師の死体。正確にはここの主人の死体である。死体は見事に潰されていた。ちょうど空き缶を踏み潰したような形である。凄惨な死体には苦しんだ様子はない。突然、獰猛な力によって行われたらしい。私たちはここの指揮を任されている少佐に近寄っていく。「随分遅かったな。こっちは待ちくたびれたぞ」少佐は葉巻を咥えながら言う。「呼びにくるのが遅いんですよ」軽口を叩き終えると少佐はいつになく真剣な面持ちで話す。「死体を見て分かる通り、人間の仕業じゃない。我々は悪魔の仕業だと見ている」今の時代、神仏の類は人間界にも影響があると固く信じられている。その為、眼に見えない神の怒りは恐怖の対象となっていた。「誰か悪魔を目撃した人でもいるんですか」私は挑発的に言う。「目撃者なんて必要か?この醜悪極まる現場を見れば、誰だって悪魔がやったと思うさ」確かに人を潰すなんて人間には出来ない。しかし、決めつけるには早い気がする。それはそうと私は本題に入った。「それで私たちは何故呼ばれたんですか。まさか、悪魔を探してくれなんて言わないですよね」少佐はマッチを擦る。「この惨劇は悪魔がやった事。そこに異論はない。心配なのはこれが悪魔召喚による殺人ではないかという事だ」つまり少佐は何者かが悪魔を召喚し殺害したと言いたいらしい。「その理由は?」悪魔召喚は決して簡単ではない。多大な生贄が必要なのだ。「最近噂になっている魔術書の貸し出しだ」私はポカンとする。そんな噂は初耳だった。少佐は呆れながら答える。「知らんのか。最近、殺人事件が増えているのは何者かが魔術書の貸し出しをしているからだと言われている」少佐は悪魔の関わっている事件には被害者の身体に紋章が刻まれていると教えてくれた。「そして今回も被害者の左手に紋章が浮かんでいる」左手には逆五芒星の紋章が刻まれていた。「この紋章についてはまだ公表していない。しかし、長くは持たないだろう。新聞記者の連中は鼻が効くからな」そこでと彼は言う。「悪魔を見つけろとは言わん。我々とともに術者が使用したであろう魔術書を見つけてもらいたい」私は空笑った。「冗談でしょう。手がかりもないのにどうやって探すんです?」少佐は顔を顰めた。「手がかりならある。少しだがね。昨夜この館に老人が訪問しているのを目撃した人物がいる。怪しいだろう。我々もその証言を参考に捜索している。君もこの捜索に参加してほしい。無論報酬は弾む」私が考えるに状況は絶望的だ。手がかりは真偽も怪しい目撃証言だけのようだ。普段ならこんな仕事には乗らないがお金が乏しいのに変わりない。仕方なく引き受ける事にした。「ところで隣のフードを被った人物は何者だ」少佐は珍しいそうに言う。そう言えばすっかり紹介を忘れていた。「これは失礼しました。こちら最近雇った助手です。さぁ少佐にご挨拶を」助手は宙を見上げたまま反応がない。私は肘で突いて挨拶を促す。「おはようございます」少し遅れて助手は短い挨拶を済ませた。決して朝の挨拶をしてほしかった訳ではないのだが。少佐は多少不思議そうに眉間に皺を寄せた。その後、少佐は部下の報告を聞くために私たちに一言伝えてから奥の方に歩いて行った。「さて、捜索の前に腹ごしらえでもしようか。何が食べたい?」そう隣に問いかけるが助手はどこにもいなかった。遺体の側に近寄り何かを見ているようである。「先生、これは本当に悪魔が殺害したのですか」「どうだろうね」断言する事は出来ない。少なくとも人間では到底有り得ない芸当だと私は伝えた。「私、天井に描かれた正方形を数えてました」助手は急に話題を変える。「星みたいに沢山あるんです。なのに規則正しく並んでいて、綺麗ですよね」助手は決して悪い子ではないのだが、人の話を聞かないと言うか尊重しない。度々自分の想いを言葉にしないと気が済まないらしい。根が純粋なのだと最近は思っている。私たちは館を出て明るくなっていく街路を歩く。お金も入りそうだし、少し高い店にでも行こうか。そう思案していると。「先生、いつものスープが飲みたいです」助手から遅い注文が入った。そうして私たちはいつもの食堂へ行く事になった。
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