魔術師殺人事件

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館に戻った私たちはまずこの館のメイド長に話を聞いた。女性にしては珍しく筋骨隆々とした体躯をしている。服に収まり切らない筋肉は日頃の鍛錬の程が伺えた。私が主人のご冥福を祈ると嘆かわしいと膝を崩してみせた。酷く芝居がかっているその行動は怪しかったが食ってかかるまでには至らない。助手は興味なさげに殺害現場に向かって行った。「メイド長、ここの館は人がどれぐらい出入りするのでしょう」メイド長は頭をかしげて指を下に上にと縦横無尽に動かす。「メイドは私を含めて10人。魔法の研究に同僚を何人か入れていたので大体15人ぐらいです」「主人はその中で恨みを買われてませんでしたか」悪魔を召喚して殺したとしても目的なく殺害したとは考え難い。動機が存在する筈だ。そこに本を辿る道があると私は踏んだ。「そう言えば最近主人と大声で揉めている人物がいました」「その方は今何処に」「ちょうど今研究道具を取りに来ております。ご案内しましょうか」メイド長の計らいで研究員の部屋まで導いてもらう事になった。道すがらそれにしても立派な館だと驚かされる。精巧な装飾が彫られている壁はそうお目にかかれるものじゃない。「この館はここの主人が作らせたのですか」「いえ、友人から譲り受けたと聞いています」メイド長がスイッチを押すと薄暗い廊下に光が灯っていく。スイッチは一つだけ寂しくポツンとついていた。私が見た限りスイッチは一つだけらしい。案内された部屋は薬品の強い香りが漂っていた。鼻が曲がりそうとまではいかないがいい匂いではない。部屋の中にいた研究員は嫌な顔をせずに私の質問に答えてくれた。「あれは喧嘩ではなく議論ですよ」綻ばせた顔からは冷たさは感じない。「本の解釈の仕方で食い違ったんです。よくある事です」「かなり大きな声だと聞きましたが」「先生は難聴だったんです。声を大きくしないと聞こえないんですよ」その後も幾つかの質問を重ねたが重要そうな情報はあまり得られなかった。ここの主人は少佐の言う通り良い人物だったらしい。 「それにしても研究が実りそうな日に亡くなるなんて可哀想に」彼は小声で呟いて去っていった。この後も聞き込みをしてみたがめぼしい情報はなく、途方に暮れそうになる。どのメイドたちも昨日は地震が怖かったとしか口にしなかった。「メイド長、少し館を探索したいのですが宜しいでしょうか」「構いません、ただ夕刻には館を閉めますのでそれまでには」メイド長と別れ助手と合流する為、殺害現場に足を運ぶ。助手はまた天井の正方形を数えているのか宙を見上げたまま動かない。私は側まで近寄る。「何か進展はあったかい」助手はこちらに向く。「先生、トリックを見破りました」私は驚いた。離れてからそんなに経っていないのに自分なりの答えに辿り着いたらしい。「これを見てください」ヘカテーの像の裏側。茶色と黒の正方形で彩られる壁はチェスボードを想起させる。「あそこです」指し示すのは天井に近い壁。よく見れば見るほど頭を揺らされている感覚に晒されて酔う。違いに気づいたのは暫く経った後だった。照明が暗くて分からなかったが一部分だけ黒色が連続して続いている所がある。色を塗り間違えたのだろうか。いや、もしかしてあれは血か?「私の考えていること分かりました?」理解できてしまった。しかしそんなこと可能なのか?私はフロアを隈無く観察する。すると先ほどの黒いシミがもう一つ床にあった。目算してシミは壁のシミと対称的な位置にあると思われる。そしてもう一つ重要なポイントを見つける。ここにはスイッチが二つあるのだ。いよいよ考えているトリックが現実味を帯びてきた。こうなると魔術書は存在しないかもしれない。「しかしまだ証明出来ないな。実験しようにも危険だしどうしたものか」たとえ合っていたとしても証明出来なければ戯言と同じ。どうにかならないものかと思案する。その結果遺憾にも私たちは少々危険な賭けに出る事にした。
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