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春一番の風が吹いた。 桜の花びらが飛び交う中、若葉色の着物を着た黒髪の少女が振り返る。 「春風(はるかぜ)!」 こちらに向かって、彼女が手を振った。着物に桜の花びらが散り、まるで、彼女が春を連れてやって来たみたいだ。 その麗らかな陽気の如く優しい笑顔に見つめられ、ようやく気づく。 春風、そうか僕の名前だ。 彼女が自分を呼んでいるんだと思うと、胸の内が自然と温かくなる。春風はそっと口元に笑みを乗せながら、彼女の元へ歩み寄った。 春風より一足早く白猫が彼女の足元にすり寄り、彼女の視線が春風から外れると、桜の花びらが再び舞い上がり、春風の視界を奪っていく。 彼女を見失ってしまう、春風は思わず手を伸ばした。 「待って、」 花びらが渦となり、彼女を呑み込んでいく。必死に伸ばした手が掴んだのは、花びらだけだった。春風は花びらを握った手を開くと、手で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。 「…待ってくれ」 その声は誰に届く事もなく、桜の花の海へと沈んでいった。 はっとして目を開き、視界に飛び込んできた見慣れた天井に、春風は深く息を吐いた。 「…夢か、」 呟き、目を手で覆った。 彼女は、もうこの世にいない。それは、流れる年月が証明している。人間の一生は短い、けれど、心のどこかで春風は今も彼女を探している。春のような笑顔を浮かべて、彼女がまた自分の元へ帰って来るのを待っている。 メゾン・ド・モナコ。彼女が愛したこの場所で、春風は、彼女の夢の続きを今も生きている。
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