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一週間前の事。 「手紙?」 「そう、なずちゃん、棚の中にある鞄取ってくれる?」 ここは、とある病院の大部屋だ。カーテンで仕切られた窓際の一角が、なずなの祖母、サキのベッドだ。ベッド脇には小さな机にもなる戸棚があり、下部の収納スペースを開けると、サキがいつも持ち歩いている茶色い革の鞄があった。 「はい」 「ありがとう」 柔らかに微笑むその顔には皺が増え、白い髪は短く揃えてある。華奢な体には似合わず大きめの手は、サキが懸命に働いてきた証のように思う。 サキは鞄を受け取ると、中から手帳を取り出した。淡い水色の花が描かれた大きめの手帳で、サキがよく俳句を書き留めているものだと、なずなは思い出す。その手帳のカバーの差し込み部分に、白いハンカチでくるまれた古びた手紙が挟まれていた。 「これは?」 「私の母、なずちゃんからしたら、ひいおばあちゃんね。そのヤヱばあちゃんが出す筈だった手紙よ」 「へぇ…どうして出さなかったの?」 「出したけど、届かなかったのよ」 「え?」 困ったようにサキは笑い、そっと手紙の表面を撫でた。 その手紙は、ヤヱが病に倒れた夜に、サキへと手渡されたらしい。 ヤヱは結婚前から何十年に渡り、とある人物に向けて手紙を書き続けていたという。サキも、ヤヱが誰かに手紙を書いていたのは知っていたが、まさかそれが相手に届いていないとは知らなかった。どうして手紙を出さなかったのかと聞けば、「最初の手紙を出した時、返ってきちゃったのよ」とヤヱは笑ったという。 最初の手紙を出した時、ヤヱは東京ではなく地方で暮らしていた。家族が出来て東京に戻ってくると、真っ先にその住所の場所を確かめたが、既にそこは空き地になっていたという。 手紙が届かない理由を知り、これも運命かと諦めたというが、どうしても心残りがあり、いつか渡せるかもしれないと、手紙を書いては出す事なく、戸棚にしまっていたという。 相手に伝わる事はないが、そうして手紙を書く事で、心の中ではずっと相手と繋がっていたのかもしれない。 そして、病に倒れたヤヱは、最後にと筆を取った。 どうしても伝えないといけない事があると、最後の手紙をしたため、それをサキに手渡したという。その翌朝、ヤヱは息を引き取った。その後、サキも返ってきてしまった手紙を手に宛先の人物を探したが、見つける事は出来なかった。 「これが心残りでね…もう、この手紙の人はこの世に居ないでしょうけど、親族の方にでも渡せないかと思って、いつもこの最後の手紙だけは持ち歩いていたのよ」 ヤヱの残した最後の思い。サキは、そっと手紙の宛名を撫で、一つ息を溢した。 「…最後まで渡す事は出来なかったわね」 サキが仕方なく笑って言うものだから、なずなは「そんな風に言わないでよ」と、身を乗り出した。簡単に、最後なんて言わないでほしい。 「それ、預かってもいい?」 「え?」 「私が、その宛名の人の親族を探す」 「無理よ…探偵に頼んでも駄目だったのよ?」 「探偵だって一人じゃないでしょ?見つかるまで色々試してみる。絶対見つけてくるから、最後とか、寂しい事言わないでよ」 「…でも、なずちゃん仕事だってあるのに」 仕事という言葉に、なずなはドキリとした。 「だ、大丈夫!時間には余裕があるんだ!」 「そう?…なら、お願いしようかな。若い人の方が思いつく事もあるだろうし。でも、無理しないでちょうだいね、なずちゃんすぐ無理するんだから。この手紙だって、届けられたらいいな、くらいにしか思ってないからね」 「…うん、分かった」 サキはそう言うが、本当はヤヱの思いを届けたいに違いない。でなければ、もしもの時を思って手紙を持ち歩いたりしないだろう。それでも、なずなを優先してくれる優しさに胸が温かくなる。同時に、素直に仕事の事を打ち明けられない事が申し訳なかった。 なずなは、手紙を受け取った。丁寧な文字で、そこには浅田という名前と住所があった。その住所は、なずなが今住んでいる町の近所だ。 「浅田さん?」 「そう、下の名前は書かれてないから分からないけど、浅田はヤヱばあちゃんの旧姓よ。この住所はヤヱばあちゃんの実家で、レストランをやっていたの」 「へぇ、じゃあ、ばあちゃんが定食屋始めたのは、ヤヱばあちゃんの影響?」 「そうね、ヤヱばあちゃんの料理は本当に美味しかったから」 「じゃあ、料理が下手なのは私だけか…」 「ふふ、その内出来るようになるわよ」 「そうかなぁ」 笑うなずなに目を細め、サキは、ぽん、となずなの手を叩いた。 「なんだってそうよ、無理せず、自分のペースでいいのよ。出来ても出来なくても、それはそれ。なずちゃんは、なずちゃん。なずちゃんにだって、なずちゃんにしか出来ない事があるんだから。それでいいのよ」 ぽんぽん、と抱きしめるように叩く手の温かさに、なずなは胸の奥が熱くなって泣きそうになった。 何も話してないのに、全てお見通しみたいだ。 励ますつもりが逆に励まされ、祖母の温かさに、なずなは精一杯頷いた。
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