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唐突に登也先輩の両の掌が俺の両肩をガシッと掴む。
俺は思わず「ヒッ!」と悲鳴のような声を出して縮み上がってしまう。
もしや……
俺が内心で抱く邪な考えを読み取られてしまったのか?!
そんな俺の怯えを裏切るかのような朗らかな声で、登也先輩は俺へと話し掛けてくる。
「おぉ、悪い悪い、驚かせちまったな。
今日が初めてだから緊張するのは当たり前だけど、でも、あんまりガチガチだと肩凝っちまうぞ」
きっと、彼にしては最大級に優しげな声色でそう告げた登也先輩は、その掌に力を込めて、俺の肩をグリグリと揉み始める。
いや、これ痛いって!
気持ち良いと言うよりも、むしろメッチャ痛いって!
痛みに苛まれ、込み上げそうな悲鳴を抑えるので精一杯な俺。
しかし、「今日が初めて」って何のことだよ?
俺ってこれから何かさせられるの?!
もしも「殴り込み」の手伝いとかだったら、もう真面目に御免被りたいんですけど。
俺は首を回して登也先輩のほうを振り向きながら、胸に抱いた疑問を恐る恐る口へと出してみる。
「あの、済みません……。
今日って一体、ここで何をするんですか?」と。
俺より頭一つ分ほど背の高い登也先輩の表情はよく見えなかったけど、その疑問を耳にし、明らかに驚いたような雰囲気を漂わせていた。
屋上の手すりにもたれ掛かって街を眺めていた緋奈先輩も、驚いたような表情をその顔に浮かべ、俺のほうへと振り返っている。
そして、緋奈先輩は、街のほうへとその視線を向けている竺紫野琴羽に対し、ゆっくりと問いを投げ掛ける。
口にするその言葉ひとつひとつを、まるで噛み締めるかのようにして。
「あの……、もしもし……、コトさ~ん。
もしかして、ですけど~。
橘くんに今夜のこと、な~んにも言ってなかったりします?」
竺紫野琴羽は緋奈先輩からの問い掛けに無言で頷いた。
沈黙が流れる。
うわぁ……。
これ、絶対に駄目なパターンだ。
漂う沈黙は、その重苦しさを増しつつあるように思えた。
そんな沈黙など知ったことかといった感じに、竺紫野琴羽の淡々とした声が響き渡る。
「話したところで信じないだろうし。
仮に信じたとしたら、一緒に来てくれなかったと思うし」
感情の動きなどまるで感じられないどこか突き放したようなその声色は、何だか無慈悲な死刑宣告のようにも聞こえてしまった。
竺紫野琴羽のその言葉に対し、俺は内心にて全力で突っ込みを入れる。
いやいやいやいや、話したところで信じないような事って、一体何なんだよ、と。
信じたところで一緒に来ないような事って、一体どんな大変な事なんだよ、と。
俺は、今すぐにでも非常階段を駆け下りて逃げ出したいような衝動に駆られる。
けれども、俺の両肩をガッチリ掴み、力任せに揉みしだいている登也先輩のこの万力のような掌から逃れるだなんて絶対に無理だろう。
今この瞬間でも、登也先輩の力強いひと揉み毎に、俺の肩の細胞の幾つかは潰れて死んでしまっているに違いない。
ごめんよ、俺の細胞たち。
俺自身も何だかピンチっぽいから、それに免じて許しておくれ。
俺が抱く焦りや後悔、そして落胆など知ったことかという風に、登也先輩と緋奈先輩の吹き出すような笑い声が宵の入りの空気を震わせる。
「いや~、まぁ~。
そりゃ、確かにそうですけどぉ~」
緋奈先輩は楽しげに笑いながらも、呆れたような声を上げる。
いやいやいやいや、「確かにそう」なのかよ!
「ま、今夜は大丈夫!
コトさんとヒナと俺とでバッチリやるから!
安心しな!」
登也先輩は朗らかな笑い声を上げ、俺の肩を更に強く揉みながら励ましてくれる。
いやいや、それ痛いって!
全然励ましになってないって!
そして、一体何を「バッチリやる」って言うんだよ?
もう不安でしかないって!
不安、そして困惑に囚われた俺をからかうかのようにして、夜風がフワリと吹き抜ける。
仄かに冷たさを帯びたその微風に、俺はブルリと身体を震わせる。
冷ややかな空気を吸い込んでしまったっためか、鼻の奥がムズムズしてくる。
そして、思わずクシャミが鼻を突いて出た。
「クシュン!」という声が耳へと飛び込んで来る。
どうやら夜風に身を震わせてクシャミをしたのは俺だけではなかったみたいだ。
「あらあら、何だか息ピッタリですね!」
緋奈先輩の声が響く。
それは、控えめながらもジンワリとした嬉しさを湛えたような声音だった。
俺と同時にクシャミをしたのは、どうやら竺紫野琴羽だったみたいだ。
息ピッタリ、か。
そう言われることがあながち嫌でもないことに俺は気が付かされる。
そして、今日の午後の出来事について思いを馳せてみる。
俺がこの場所に居ることのきっかけとなってしまったのであろう、午後の教室での出来事について。
視界の果ての海原は、そこに浮かぶ船の灯りをゆらゆらと映し出していた。
その有様は、俺が竺紫野琴羽に抱きつつあった何とも説明し難い気持ちを映し出しているかのようだった。
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