カケル 羽のやぶれたトビウオボーイ

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カケル 羽のやぶれたトビウオボーイ

 家を出て、坂道を自転車でかけあがる。  まだ薄暗くて蝉の声も響かない、日の出前の空気は気持ちがいい。  小高い丘の上の公園からは港がみえる。  今ならちょうど、父ちゃんとじいちゃん達の船が見えるはずだ。  自転車をおりて、芝生の上を走る。  広場の一番つきあたり、開けた景色の先で、朝焼けの空を映した海の上を、数隻の船が線を引きながら堤防の外へと出ていく。  ハアハアと息を切らせながら、手を振った。向こうから見えるわけはないのだけれど、思い切り手を振った。 「今年はトビウオの群がいつもより厚いんだ、きっと明日も大漁だ。カケルも毎朝、がんばってるんだってな」  昨日の夕飯の時に、父ちゃんがうれしそうに言った。 「春は残念だったが、まあ全国大会だけが大会ってわけじゃない。それに全国だって出ればいいってもんでもないしな。カケルなら今度はきっと、上位だって狙えるさ」  世界大会でも活躍した父ちゃんの言葉には説得力がある。その言葉はうれしかったけれど、オレは何も言えずに、笑顔だけを父ちゃんに返した。どこかぎこちなかったかもしれないな。 「みんな期待してる、かあ」  ため息を一つついて、放り投げたままだった大きなバッグを肩に掛ける。自転車にまたがると、木々に囲まれたランニングコースにもなっている遊歩道の中をゆっくりとペダルをこぎだした。  この大きな公園には、眺めのいい広場のほかにもたくさんの施設がある。遊具のコーナーには、ほかではみたこともないような大きな滑り台やら、ばかみたいに高いロープジャングル、長いレールを高速で下るターザンロープのようなものがあったり、どれも子供の遊ぶ枠を超えているような過激なものばかりだ。  危険だからといって、子供達からなんでもかんでも遠ざけてはいけない、楽しいの裏には危険があることを知らなきゃいけないと、この町の大人は考えたんだそうだ。過激な遊具達にはそんな、遊びの中で子供達にたくさんの事を学んでほしいとの願いが込められているらしい。  最近できた、ボルダリングウォールのそびえるクライミング施設の横を抜けて、突き当たりで自転車を止めた。  公園の一番奥の、全面舗装されたこの広場には、ジャンプ台や坂、縁石状の長い箱や、鉄のパイプのレール、そして大きく湾曲した大きな壁が設置されている。  ここはスケートパークっていう、スケートボードやBMXっていう自転車なんかで利用する施設。ジャンプしたり、レールの上を滑ったりして技を競うんだ。  スケートボードがだいぶ有名になって、最近は日本のあちこちに増えた施設だけれど、このスケートパークはまだそれが一般的ではない頃からある。この町の遊具や子供の成長に対する考えが、このスケートパークを産んだのかもしれない。  父ちゃんはその町の気持ちに答えて、この町から世界へと活躍するライダーになった。  でもオレは……。  きっと父ちゃんも、町のみんなもがっかりしてる。あのチャンピオンの息子なのにって。  父ちゃんは、スケートボードでもBMXのライダーでもない。インラインスケートっていう、ローラースケートのライダーだった。だからオレも物心つく前から同じようにインラインスケートをはいて、ここでずっと滑ってきた。  バックを背中に、スケートパークの一番奥を目指す。そこが一応、オレのいつもの場所だから。  全国大会の地方予選で転倒して骨折してから、二ヶ月以上がたっていた。怪我をしているあいだは、あれだけ早く滑りたいと思っていたのに、いざ怪我が治ってスケートを履いたら、なんだか前までと全然違う感じがして、人のスケートを履いているのかと思った。  どんな些細な技でも、どこか、なにかがずれていて、うまくできなかった。走りなれたはずのこの場所は、なんだか初めてきた場所みたいだった。  ずっとこのスケートパークが自分に合わせて味方してくれるような気がしていたのに、今では他人みたいにオレを突き放す。そう、信用できない感じになってしまった。だからどうしても肝心なところで踏み込むことができない。  でも、今日こそ踏み込むんだ。怖いからといっていつまでもダラダラしているわけにはいかない。  昨日も、一昨日もそうだった。滑る前はいつもそう思ってるだけどな。  二つの湾曲した壁が向かいあうようにそびえる「ハーフパイプ」に近づくほど、足が重くなる気がした。  なんとか今日こそは。少しでも調子を戻さなきゃ。そう自分を励ましながらハーフパイプの前まできた時、その真ん中に誰かが立っているのに気が付いた。  こんな早朝に、ここに来る人なんて普通いない。だからこそ、漁師の家は朝が早いことを言い訳にして、オレはこの時間に来ているのに。  本当はすごくドキドキしていたけれど、なにくわぬ顔をしてハーフパイプの前にあるベンチにバッグを置いた。  その音に気がついて、ハーフパイプに立っていた人が振り返った。向こうもこんな時間に人がくると思っていなかったのかもしれない。  森の木々の間を抜けて、朝日がハーフパイプに差し込んだ。朝日に照らされたスカート姿のその子の髪と目に、光が当たって輝いて見えた。  オレと同じくらいの歳みたいだけど、学校でも見たことのない、知らない女の子だった。 「あ、あの、オレ、練習しに」  とっさに声をだしたら、へんにうわずって、余計にドキドキしてしまう。 「れ、練習っ?」  その子もいきなり声をかけられてびっくりしたのか、おどろいた小鳥みたいな、そう鳩が豆鉄砲をくらったよう、なんていうのはこんな顔を言うのかも。 「こ、この、ハーフパイプの、練習に」  おもわず、こっちまでおっかなびっくりになる。 「そ、そうなんだ、すごいね。そっか、これハーフパイプだ。こんなの近くでみたの初めてだから、わたし、びっくりして」  ハーフパイプが滑れる人は、確かに少ないかもしれない。でも、すごいなんて言われると、ちょっとくすぐったい。 「す、すごいってほどじゃないけど。でもまあ、大会にだって出てるけど」  オレは横を向いて、なるべくなんてことはないみたいに、ぼそっとつぶやいた。 「え、そうなんだ、ほんとにうまい人だ。やっぱり、ハーフパイプ滑るのって難しい? なにで滑るの? スケボー?」  みょうにウキウキして高鳴る胸を押さえるように、ゆっくりとバッグの中からスケートシューズを取り出して、見せた。 「ううん、オレはスケボーじゃなくて、これ。インラインスケートのライダーなんだ」  ライダーって呼び方がちょっとカッコいい。自分でそう思いながら女の子の顔をみた。 「ライダーって、なんかかっこいいね」  まるで、普通のことみたいに自然に、かっこいいなんて言う。その子の、かざらない笑顔にドキッした。 「そ、そんなこと、ねえけど」  胸が高鳴っているのをごまかすように、にやけようとする口の端を上がらないようにしていたら、なんだか怒っているような変な顔になってしまった。変なやつだって思われたかも。 「雪のハーフパイプで、スノーボードが飛んだり回ったりするのみたことあるけど、やっぱりそのスケートでも飛べるの?」  こっちの心配をよそに、飾らない笑顔のまま、その子は聞いてきた。 「あ、あたりまえじゃん。飛ぶのをエアーっていうんだ。すごく高く飛ぶよ。ハーフパイプの上に立ってる人の頭を飛び越えるんだ」  スノーボードと比べられたみたいで、ムキになったのかもしれない。ちょっと大げさに言ってしまった。本当は人の頭を越えるエアーなんて、かなり滑れる人じゃないとできない。もちろんオレもまだそこまで飛んだことはない。オレの頭の中に浮かんでいたのは、父ちゃんのでっかいエアーだった。  インラインスケートでそれだけ飛べるのは嘘ではないし、まあ、いいか。 「ハーフパイプの上に立ってる人を越えるってすごいねぇ。ハーフパイプだけでもこんなに高いのに」 「ハーフパイプの高さが四メートルくらい。そこからさらに二メートルくらい飛ぶんだ。ヘッドオーバーとかビッグエアーっていって」 「えー! 六メートルも飛ぶの?」 「世界記録だと四メートル以上飛んだ人もいるよ」 「八メートル!」  女の子の素直な反応に、自分の事でもないくせに、なんだか誇らしい気持ちになっていた。そう、インラインスケートはすごいんだ。 「そんなに高く飛ぶなんて、想像できないよ。怖くないの?」 「う、うん。まぁ、そんなに大したことないかな。毎日練習してるし」  本当は、怖い。すごく怖い。  いつも怖さとの戦いだ。今だって、ちょっとしたミスで痛い目にあって、立ち直れずにいるんじゃないか。 「いいな。そんなに飛べたら、気持ちいいんだろうね。みてみたいな、高く飛ぶところ」  その子は、ハーフパイプの上の空を、朝日の映ったきらきらとした目で眺めながら言った。その目がきれいで、あんまり嬉しそうだったから、オレも同じ空を見上げて、思わず言ってしまっていたんだ。 「みせても……いいよ」 「ほんと!」  女の子は振り返って、きらきらの目をオレに向けた。  しまったっ!  視線を空から地面に落として、ひきつった顔を見えないようにした。  どうしよう、今日はダメだって言うか? でもどうしてって聞かれたら。ここは男らしくあやまったほうが。いやいやまて、それって男らしいのか?  頭の中をぐるぐると言い訳がかけめぐる。 「ああー、でも、もうそろそろ戻らなきゃ。おばあちゃんと朝市に買い物に行く約束してたんだ。ごめん」 「えっ? あ、ああ! そ、そう、そうなんだあ。いいっていいって、気にしなくても。こっちも準備にちょっと時間かかるしさ、またいつでも!」  ほっと息をついて、ぎこちない笑顔をつくった。 「うん。また来る。ありがと」  女の子はスカートをひるがえして地面に降り立つと、入り口に向かって歩きだした。そして、ふと振り返ると、不自然にかたまった顔をしてるオレに笑いかけた。 「わたし、人と話すの苦手なのに不思議。これって早起きは三文の徳ってやつなのかな。練習、がんばってね」 「あ、ああ。うん」  何食わぬ顔を作りながら、ぶっきらぼうに答えた。  バッグからとりだしたスケートシューズの足首のバックルを無意味につけたりはずしたり、タイヤを回してみたりして、本当は見えなくなるまで見ていたい背中から目を離した。  だってじっとみてたら、変な奴だって思われるだろ。  足音が聞こえなくなって、十分な時間がたってからスケートシューズを放りだした。 「た、たすかったああああ」  はぁぁぁぁぁっと長いため息をついたら、力が抜けた。 「なんてこった」  冷静になればなるほど、なんてとんでもない約束をしてしまったんだと、自分が憎らしくなる。  それにしても、あの子は誰だったんだろう。  朝日の中のあの子の姿が、目の中に焼き付いているみたいだ。  あのきらきらの目と嬉しそうな笑顔をもっとみたい。また来るっていってたけど、ほんとにまた会えたらいいな。 「いやまて、次会ったらヘッドオーバーのエアーをしなきゃ。そんなの無理だろ」  でも、でっかいエアーをみせれたなら、きっと、喜ぶんだろうな。  また会いたい、けど会いたくない。  オレは頭を抱えた。  今日もまた、まともな練習はできそうもない。
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