カケル 一緒にいたい

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カケル 一緒にいたい

 フラットスピンはスリーディーなんて言われる立体的な回転技の一つだ。  スピンって言えば、コマのように体軸を中心にして回転するのが普通だ。そういうスピンは回転数がそのまま名前になってる。一回転ならスリーシックスティ、一回転半ならファイブフォーティーって具合に。  こういう単純なスピンが簡単かといえばそんなことは全然ない。ナインハンドレッドやテンエイティなんて高回転になると出来る人だって限られてくるし、そうかと思えば、たった一回転のスリーシックスティの完成度で優勝した人だっている。単純なだけに、ライダーの個性と地力がそのまま出てしまうんだ。  インラインスケートではフリップって技もある。これはようするに宙返りと同じで、縦に体を回転させる技だ。  バック宙がバックフリップで、前宙がフロントフリップ。見た目が派手だし、やるのも最初は勇気がいるんだけど、実は人によっては簡単って言う人もいる。っていうのも、ハーフパイプは基本いったりきたりのブランコみたいな動きの中で演技をするから、縦に回転するフリップはその流れの延長でできるからだ。  フェイキーでハーフパイプの垂直の部分まで来ると、体は水平に近く、足の位置は頭の位置くらい高くなる。その時に膝を抱えるような感じで体のほうへ引くと、体は空中で逆さまになる。逆さまになると、さっきまで背にして見えなかった壁の湾曲してる部分が見えるようになる。そこに足をのばして着地したらバックフリップの完成だ。逆さまになるのに慣れさえすれば、やることは普通のスピンよりもむしろ単純なんだ。  フラットスピンは簡単にいえばバックフリップを横方向に向かって回す技なんだけど、縦方向に進みながら、その流れの中で水平方向のフリップをするのは言うほど簡単じゃない。  縦に進む勢いとは別に、横に体を振るイメージが必要だし、着地点の角度に体軸を正確に合わせるスピンのコントロールも必要になってくる。難易度としてはかなり高い技だ。  でもオレは相性が良かったのか、今年の始めのまだ寒い頃にフラットスピンをメイクできるようになったんだ。ファイブフォーティーとバックフリップが得意だったから、そのイメージが役にたったのかもしれない。  大人でも使い手の少ない大技。もちろん小学生でできるのはたぶんオレだけ。もう本当に嬉しくて、シーズンインが楽しみでしょうがなかった。フラットスピンを決めれば、初めての全国大会ファイナル進出も夢じゃない。いやむしろその中で上位がねらえるかもしれない。  迎えた春の全国大会予選。オレはフラットスピンを回した。はじめてメイクしてから、ずっとなんの迷いもなく着地していたのに、でもその時、着地すべき場所はオレの前になかった。  ハーフパイプの壁から、体が離れすぎていたんだ。  オレは墜落するような形でハーフパイプの底に叩きつけられて、リタイアすることになった。  ずっと何も考えずに出来ていたから、ハーフパイプとの距離の取り方を意識したことなんてなかった。その致命的な欠点が本番に限って出てしまったんだ。  怪我が治ってもハーフパイプとの距離の取り方がわからないままで、そりゃそうだ今までカンだけでやってきたんだから。それにすぐにあの墜落する瞬間が浮かんでくる。エアーもまともにできなくて、考えれば考えるほど、なにが正解かわからなくなった。  そんな時に、アトリと出会えた。  一生懸命な姿を見てると、自分のことも忘れて、上手くなってもらいたい、どうすればアトリのフェイキーが高くなるかってそればっかり考えてるオレがいて。  アジアンエクストリーム出場の為にはフラットスピンを決めてみせる必要があるから、余計に緊張してた。絶対になんとかしなきゃって。気合いだ、根性だって、たぶん自分をせめてた。  アトリと一緒に練習してる間は、そんな気持ちがいつの間にかなくなっていて。  オレが滑ると、アトリは嬉しそうに見てくれるんだ。  それがオレも嬉しくて。  いつのまにかに、墜落の景色が薄れていって、なんとなく距離の取り方が自分の中に見えてきた。  そのうちに、フラットスピンがオレに戻ってきた。  着地に成功したとき、アトリは一緒に凄く喜んでくれて……ああ、いいなあ。ずっとこうしていたいなって。そう思った。  アトリの見てる前なら、フラットスピンだってなんだってできるような気がするんだ。 「もうすぐ大会だねー」  大会の夜、花火があるんだ。一緒にいかない? この簡単な言葉が言い出せないでいるオレに、そうアトリがつぶやいた。 「お、おう」 「フラットスピンも三回に二回は成功してるし、きっと大丈夫だよ」 「うーん、演技の中で成功させないとだから正直いっぱいいっぱいってところだけど、勝つ為には大技が必要だからなあ」 「がんばってね」 「ああ、ありがとう、あのさ……」  花火を。 「もうすぐ夏休みも、終わっちゃうんだねー」 「あ、ああ。そうだな。あ、あの」  花火のことを言おうとして、見ていたアトリの横顔。アトリの目の端に水の粒ができて、そしてポロポロとこぼれだした。 「え、ええっ」  おどろいて、あたふたする。 「あ、アトリ、ご、ごめん。オレ、またなんか? え、えっと」 「え?」  アトリはこっちを向いて、そしてオレの慌てている所を見て、はじめて自分が泣いていることに気がついたみたいだった。 「あ、あれ? お、おかしいな。ご、ごめん」  アトリは涙をぬぐうけれど、どんどんあふれて止まらないみたいだった。 「ち、ちがうの。わたし」  簡単にどうしたのとも聞けず、しゃくりあげるアトリの背中をさすることもしていいのかわからず、オレは結局なにもできずに隣でバカみたいに立っているしかできなかった。 「ごめん、ごめんね」  しばらくたって、少し落ち着いたアトリは少しずつ言葉をつなぐみたいに話し始めた。 「わたし、逃げてきたんだ……」 「逃げてきた?」 「うん。住んでた町の、学校にいられなくて。どうしてもだめで。それで、この町のおばあちゃんの家に」 「そっか」 「普通じゃないのはわたしのほうだってわかってる。ただの甘えだってわかってる。みんなと同じように、アタリマエに合わせて、わたしだって普通になろうと思ったの。みんなと一緒にいて、おなじように笑って。そうやって夏休み直前まではがんばったんだけど、でもだめなの。わかってる、自分が弱いだけだって。わがままなのはわたしなんだって」 「そ、そんなことないだろ」  オレはアトリがわがままだとも、弱いとも思わない。 「フェイキーだって、すごくうまくなってきたじゃん。全然弱くない。がんばんなきゃこんな事、できないし」 「う、うん。ありがと」  アトリはハーフパイプの上のほうを眺めた。気持ちも落ちついたのか、涙もだいぶおさまってきたみたいだった。 「わたし、水面に出てみたかったんだ」 「水面?」 「わたしね、この町にきてはじめてトビウオを知ったの。トビウオって大きな怖い魚に追いかけられて、それで飛ぶんだって聞いた。かわいそうだなって思ったよ。でも、飛んで逃げるなんて凄いなって。おばあちゃんは、トビウオが飛んでいるところを見たら嬉しくなるっていってた。だからわたしも、みてみたいって思ったの」 「うん」  アトリの言葉で、太陽のふりそそぐ波間を飛び交うトビウオの群が、オレの頭の中に浮かんだ。 「みたら、なにか変わるかもって。ただ水の底でうずくまっているみたいなわたしでも、変われるかもっておもったの。そんな時にこの場所と、カケルに会えた」  急に名前を呼ばれてドキドキしてしまう。 「お、おう」 「カケル、はじめて会ったとき飛ぶ所を見せてやるっていったでしょ? なんだかトビウオみたいだなって、すごいなって」 「え、ええ? そ、そんなことないけどさ」  それ、ほんとは嘘だったし。 「ううん。カケルは、わたしに、わたしにもできるから一緒にやろうって言ってくれた。わたし、うれしくて……」  また目から涙がこぼれてきて、アトリは鼻をすすった。 「カケルがいてくれたから、わたしこんなにうまくなった。もうすぐ、もうすぐあのハーフパイプの上、あたしにとっての水面に、手が届くかもしれないって思ってたのに」 「そうだよ。もうすぐあがれるぞ!」 「うん。でも」 「でも?」 「でも、もう、夏休みが終わっちゃう。わたし帰らなきゃ。でも、あそこには戻れない……。だって、結局、水面には届かなくて、わたしはなにも変わっていないもの」  アトリの涙がポロポロとこぼれて、地面にしみこんでいく。 「そ、そんなこと」  涙は、アトリの心の一部みたいな気がした。拾い集めることができたらいいのに。 「どうしたらいいのかわからない。わたし、どこにもいられない」  ずっとここにいてもいいと、いてほしいと思うけど、そんなこと簡単に言ってはいけないんだと思った。 ――オレがアトリにしてやれる事なんて。 「せめて、トビウオが飛んでいるところ、みたかったな」  アトリは、空に溶けて消えていくみたいな小さな声でつぶやいた。
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