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「僕たち従業員も驚きました。当時、閉館の決定から実行まで、ひと月かからなかったですから。まあ、個人経営の映画館だったし、映写機の調子が悪くてアクシデントが続いていたこともあったので、仕方がなかったのかもしれません。それで、十年経って声をかけてみたけれど、男でがっかりしたって話なら聞きたくないですが?」
千明という名は男にも女にもとれる。線の細さと肌の色の白さから、出会う人出会う人にいじられる名前ネタを冗談に乗せて自虐的に披露すると、日向野くんはジョッキを持ち上げようとした手を低い位置で止めて、口元に笑みを浮かべながら、鋭い目で僕を見た。
「おっと。それは俺にとっては朗報でしかないんだけど」
「ろうほう?」
「だって俺、ゲイだもん」
口に運ばれることなくテーブルに戻されたジョッキが、トン、と音を立てると、中のビールが波しぶきみたいに上下に揺れた。
その向こうで、日向野くんがシャツのポケットから取りだしたくしゃくしゃの煙草に火を点ける。
そのなにげない一連の動きが、日向野くんが出ていた映画の中のどこかのシーンに似ている気がして考えて―、いる場合じゃない!
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