近代的知の訓練に勤しむ彼女が病院通いをやめるまで

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近代的知の訓練に勤しむ彼女が病院通いをやめるまで

「若年性更年期障害だと思うんです」  彼女は先に診断名を口にした。 「うーん…」  医者は言葉をにごした。 「今時分、季節の変わり目っていうこともあって、不調になる人が多いんですよね。とりあえず漢方を処方しておきますから、それで様子を見てください」  「漢方」! 「様子見」!  彼女の頭の中で医者の言葉がエクスクラメーションマーク付きでリフレインされる。  何度目だクソッーーという悪態を、口に出したりはしない。  彼女は何よりも、公的な場では常に理性的であることを優先する。  数週間前から唐突に始まった火照り、動悸、倦怠感。  学部から博士課程前期課程へとストレートに進むことができ、この春からやるべきことは山積みだというのに、これでは困る。  内科に始まり、整体、漢方、鍼灸まで試してみたものの、一向に症状は改善しない。財布の中の診察カードは増える一方だ。 「う」  まただ。 「おはようございまーす」 「はよーっす」  耳に入ってくる明るい挨拶の声が羨ましい。 「うう…」  大学でのタスクが多いので、必然的に動悸の発生率は高くなる。  もちろん、適応障害も疑い済みだが、そちらも「様子見」中である。漢方の種類にばかり詳しくなる。全ての病院で「様子見」されている、様子見られのプロだ。なんだそれは。 「大丈夫?」  立ち止まっていた彼女に、同じ研究室の先輩が声をかけた。  優しい先輩だ。だが、声をかけられると焦燥感が募るためか、彼女の動悸がさらに激しくなる。 「大丈夫です…」 「演習までまだ時間があるけど、先に部屋に入って座ってたら?」 「いえ、あの…ちょっと飲み物を買ってくるので…」  顔まで火照ってきた彼女は、必死で理性的に考えを整理しようとする。  なんだ。なんの漢方を飲めばいいんだ。内科で処方されたものか、漢方医に処方されたものか… 「無理しないでくださいね」  心療内科で処方されたものか、祖父から勧められた梅肉エキスか、祖母から勧められたプロポリスか…いや、やはり祖父母二人から勧められた湯治か…?  先輩の背中を見送りながら更に激しさを増す動悸に危機感を覚えた彼女は、スマホを睨みつけるようにして草津の宿を探し始めた。  彼女の症状においてのみ改善に寄与しないことは長年草津温泉が主張してきたことであるが、近代的知の訓練に勤しむ彼女が病院通いをやめる日はまだまだ先になりそうである。  
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