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 七時半、スマホのアラームで目が醒める。一度止めてから五分後、またアラームが鳴る。止める。五分後、また鳴る。止める。五分後、また鳴る。五分後――。 「いつまで寝てるんだ、この愚図!」 「い……っ!?」  思い切り後頭部をぶん殴られて、まだ夢うつつだったぼくの意識は強制的に覚醒させられた。じんじん痛む頭を押さえながらなんとか起き上がると、「朝飯を食べる時間がなくなるだろ!」と続けて声が降ってきた。  そこには海がいた。カーテンを開けて、朝の陽ざしを浴びながら、厳しい目でぼくを見ている。海の体はよく見るとわずかに透けていて、太陽の光が体の真ん中を通り抜けていた。なんだかまるで、水槽みたいだ。 「うわあ」 「うわあ、ってなんだよ、うわあって」 「……現実だったんだ、昨日の」  死んだ幼馴染が、幽霊になってぼくの前に現れた、なんていうの。  ぼくが言うと、海は何も言わずに片目を細めた。  海はこの表情をよくする。軽蔑した、とでもいうような表情。その威力といったらすさまじいもので、やられた側は例え誰でも心臓が氷の手で鷲掴みにされたかのように背筋がひやっとする。ぼくはやられすぎたのですっかり慣れてしまったが。 「いいから早く着替えて顔を洗え。おばさんが待ってる」 「待ってないよ、わかってるだろそんなこと」  重たいため息をついて立ち上がり、言われた通り服を着替える。  白いシャツに紺のズボン。首元が苦しいから第一ボタンだけは開けておく。男の子はすぐに大きくなるんだから、と言われて買った大きめのブレザーは、残念ながら二年生になった今でもまだぶかぶかのままだ。  洗面所へ行って顔を洗っていると、「おい、寝癖くらいなんとかしろ」と海の声が飛んできた。 「いいんだよ、てきとうで」 「そうは言っても、櫛くらい使えよ」 「いいんだって! ぼくのことなんて誰も気にしないんだから」 「満、一人で何を騒いでいるの?」  怪訝そうな声が降ってきて、ぼくはハッとして振り向いた。  そこには母親がいた。もうパートへ行く時間なのか、すっかり身支度を整えて、片手に鍵を持った状態でぼくを見ている。 「いや、なんでもない」  ぼくは咄嗟に短くそう言った。ついてない、朝から母親と話す羽目になるなんて。もうぼくのことはいいから早く行ってくれ。いっそイライラしながらそう思っていると、母親は「そう? それならいいけど……」と続けた。 「ねえ満。学校、辛かったら無理して行かなくてもいいのよ」 「は? ……べつに、辛くないから」 「お母さん心配なのよ。その、あなたがいじめられていることも気づけなかったし、それに……海くんのことだって、」 「うるさいな……もういいから、早く行きなよ」 「あ、満! 朝ごはん、ちゃんと食べて行くのよ!」  母親の横を通り過ぎて、大きな足音をたてながらリビングへ向かい、バタン! と乱暴に扉を閉める。  うるさい、うるさい、お腹の奥底の方がむかむかして気持ち悪い。 今日は学校をサボろうか? いや、そんなことできない。そんなことをすれば、それこそぼくは海の言う通り“悲劇の主人公”とやらになってしまう。  それに、担任や母親にあれこれ聞かれるのも嫌だし、ぽっかり空いたぼくの席を指さして、クラスの奴らがひそひそと何かを言うのを想像すると、なんだかずしんと気分が重くなって、まさしく大罪人になったような気持ちになる。  面倒だ、何もかも。  面倒で面倒でしょうがない。 「お前、あの態度はないだろ」  扉を開けずに壁を通り抜けて海が入ってきた。もはやぼくはぎょっとすることもない。 「放っておいてよ」 「……おばさん、泣いてたぞ」  そんなことを言われたら、流石のぼくだって良心が痛む。  けれど、悪いのはぼくじゃない。むしろぼくは被害者だ。 「自分のことを、被害者だ、なんて思っているようなら、お前は大馬鹿野郎だぞ、満」  海は、心底軽蔑した、とでもいうようにそう言って、扉の前で俯いて座るぼくの前であぐらをかいた。  お前になにがわかるんだ。愛情深くてとびきり美人な母親と、格好良くて仕事ができて、車を三台も持っている父親。しかもその両親は見ているこっちが恥ずかしくなるくらい仲が良くて、海のことを溺愛していた。海の家に遊びに行くたびに、ぼくはいつも打ちのめされた。 「離婚のことなら、おばさんは何も悪くないじゃないか」 「どうだか」 「もう子供じゃないんだから、そんなことで拗ねておばさんを困らせるなよ」 「……お前にとっては、そんなこと、だろうけどさ」  ぼくは言った。 「ぼくにとっては……そんなこと、じゃなかったんだよ」  思えばこの数か月、ぼくはとんでもないほどツイていなかった。  三か月前、父親が見知らぬ女と親し気に外を歩いているところを目撃してしまった。二人は明らかに、職場の上司と部下とか、そういうかんじじゃなくて、もっと一歩踏み込んだ関係にある、というかんじがした。中学生のぼくにすらわかる露骨さだった。  海の父親みたいに肌が黒くて筋肉が浮き出ているわけでも、職場で重役を担っているわけでも、車を三台持っているわけでもない、どこにでもいる普通の中年。  それがぼくの父親だったし、そう信じて疑わなかった。  けれど違った。父親はぼくの信頼を簡単に裏切った。  ぼくはどうしたらいいのかわからなくて、けれど母親にバレるのだけは絶対にまずいと思って、けれどけれど、やっぱり自分の中に留めておくことができなくて、 「お父さん、あのさ、この前一緒に歩いてた、あの女の人誰?」  と、話を切り出した。  それまでにこにこ笑っていた父親の顔が、文字通り凍り付いた。  あの時の、生白い顔を、見開かれた目を、その全てを統合して幽霊みたいな表情を、ぼくはずっと忘れられないだろう。  大人というのは面倒なもので、母さんには言わないから、とぼくが必死で言っても、父さんはかたくなに首を縦に振らなかった。 「ごめんな。もう何もかも、元の通りにはなれないんだよ。それは決して、絶対に、お前のせいじゃない。全部俺が悪いんだ」  ぼくは余計なことを言ったんだ。  黙って見過ごしていればよかった。何も見ていないふりをして、何食わぬ顔で父さんに接していればよかった。そうすれば今頃、平穏な日常を送れていたはずなんだ。  二人が何をどう話し合ったのかはわからないが、この家には母さんが残ることになった。ローンがまだ残っていたはずだが、誰がどう払っていくことになったのかとか、ぼくは知らない。  ぼくはいつも何も知らないんだ。  そして、そういうことがたまにものすごく嫌になる。 「……悪い。今のは俺が良くないことを言った」  海は膝の上に肘をついて頬を支えながらそう言った。顔を上げる。うっすら透けた海が、やっぱりそこにいる。  ぼくのせいで死んだ海。ぼくはなんだか急に自分が情けなく、そして申し訳なくなった。 「いや、ぼくこそ、ごめ……」 「おい!」 「あ、え、ええと、悪い、悪かった」  慌てて口をつぐんで言いなおす。海は「まったく!」と怒ったような顔をした。  ていうか、意味合いは同じなのに、“ごめん”はダメで、“悪い”はいいのか。なんだか変な“決まり”だなあ。 「お前、今日は学校休めよ。……死にそうな顔してる」 「死んでるやつにそんなこと言われるなんて、心外だな。……大丈夫、行くよ。朝ごはんを食べる時間はなさそうだけどね」  学校までは徒歩で十五分くらいかかる。八時四十五分からホームルームが始まるから、それまでに行かなくちゃいけない。時計を見ると、八時二十二分。今出ればちょうどいいくらいだ。  スニーカーに足をねじこんで玄関を出て、鍵を閉める。海はずっとふわふわ浮かんでぼくの隣にいた。  海の家の前を通り過ぎる。お葬式以来、海の両親には会っていない。家もずっと静かだから、どこかへ行っているのかもしれない。  海の両親は、決して僕を責めたりしなかった。大泣きしながら、それでも二人とも前を向いて、 「あの子は正しいことをしたんだ。だから君も胸を張ってくれ、誇ってくれ、海のことを」  これは父親。 「あなたは何も悪くないわ。悪いのはあの加害者の男の子たちよ! ああ、海、可哀想に……!」  これは母親。  いっそ責めてくれたらよかったのに。口汚く罵倒してくれた方が楽だったのに。  酔いそうなくらいの白と黒に包まれながらぼくはそう思った。 「海はぼくを恨んでいないの?」  学校が近づくにつれて生徒が増えてきたので、周囲に聞こえないように小さな声でそう言うと、海は、 「さあ。それを聞いてどうしたいんだ?」  と、馬鹿にしたように言った。  どうしたいんだろう。  教室に入ると、既にほとんどの生徒が着席していた。みんなぼくが来たことを認識すると、どこか気まずそうに目を逸らす。見てはいけないものを見てしまったみたいに。 「辛気臭いやつら」  海がぽそっとそう言った。確かに。ぼくはちょっとだけ笑った。  ホームルームが始まると、海は元々自分の席だった窓際の一番後ろの席へ飛んで行った。ぼくは廊下側の一番後ろ。ちょうど海と間反対側に位置している。ぼくの席は寒いし暗いし、他のクラスのやつらがきたら騒がしくてたまらないし、あまり気に入っていない。  なんだか、海にはそういうところがあるし、ぼくにはそういうところがある。  いつも何か、とても小さなところが決定的に違う。それがなんなのかは、上手く言えないが。けれど多分、そういうものがいつだって人生を左右している。  一限目の授業は数学だった。 「じゃあこの問題……えー、今日は八日だから、出席番号八番の……川野!」 「え、あ、はい!」  しまった、今日は八日だった、すっかり忘れていた。  うろたえるぼくの近くに海が寄ってきて、じっと教科書の問題を眺めると、「満、お前これ、一年生の応用だぞ」と呆れたように言った。  そんなこと、今はどうでもいいよ! 僕の気持ちが通じたのか、海はやれやれと口を開いた。 「6だよ、6。ほら、エックスに3を代入するだろ? それで……」 「ろ、6です!」 「よし、正解だ。それじゃあ次をー……」  自分の番が終わって、ホッとする。それに、一回終わったから、もう当てられることはないだろう。 すっかり気が抜けたぼくに、海がむっとした顔で「答えだけわかっても意味ないだろ」と言った。  昼食の時間になると、近くの席のやつらと机をくっつけて、給食を食べなくちゃいけない。ぼくはこの時間が苦手だ。わいわい楽しそうな会話を繰り広げるクラスメートの輪の中で、ひっそりと息を顰めてもくもくと食事をしていると、自分が今何を食べているのか、どんな味がするのかわからなくなる。  給食の時間中、海はどこかへ行っていた。この息苦しい箱の中から自由に抜け出せるなんて、ちょっとうらやましいな、と思ったが、そんな最低なこと間違っても口に出してはいけない。  けれどやっぱり、ぼくには海が眩しく見えた。  食事の片付が終わり、三十分ほどの昼休憩時間がやってきた。教室にいたって煙たがれるだけだし、いつも通りどこかでてきとうに時間を潰そう、と立ち上がると、声をかけられた。 「ちょっと顔貸しなさいよ」  そこに居たのは須賀さんだった。昨日と同じ、鋭い目つきでぼくを睨んでいる。  断る上手い理由も思いつかなかったので、ぼくは大人しくついていくことにした。きょろりと海を探したが、相変わらずどこかに行っているようで、姿が見当たらない。 「海のことだけど」 「……うん」  そうだろうね。  須賀さんがぼくを呼び出すのに、海のこと以外に理由なんてない。 「あたしやっぱり、あんたを許せない」 「うん」 「あんた、自分が情けなくないワケ?」  須賀さんは言った。目が真っ赤に腫れて、唇が震えている。 気の強さに圧倒されていて気が付かなかったが、須賀さんはぱっちりした目に、小さな顔と薄い唇を持った、かなりの美少女だった。  美少女はやっぱり、美男子とくっつくんだなあ。ぼくは呑気にそんなことを考えた。 「ちょっと、聞いてんの!?」 「……あの、君はぼくに、どうして欲しいの?」 「はあ!?」 「謝ってほしいなら、謝るよ、本当にごめん。君の言う通り、ぼくは自分が情けないし、不甲斐ないし、大嫌いだ」  海にもまだ謝っていないのに、須賀さんに謝っている。なんなんだろう、これは?  ぼくが言うと、須賀さんは唖然とした顔でぼくを見た。また何か罵倒されるだろうか、と身構えていると、須賀さんは俯いてから深く息を吸って、吐いて、また吸って、 「……あたし、そうじゃなくて、」  違くて。 そう続けて、黙り込んでしまった。 「あたし……知りたいの。海はどういう風に死んだの? だって、知らないと、なんだかずっと、悪い夢でも見ているみたいで、しかもそれが醒めなくて、ずっとぐるぐる同じところを回ってる、ってかんじがして……」  わかる、彼女が言っていることが、ぼくには。  わあわあ騒がしい学校の喧騒が、信じられないくらい遠くにあるみたいだった。すれ違う生徒がちらちらぼくらを見ている。きっと物珍しいのだ。ぼくのような日陰者と、明るくて可愛くて人気者な須賀さんが一緒にいるところが。 「……場所移さない?」  ぼくの言葉に、須賀さんは小さく頷いて、目元を一度強くこすった。  校舎の裏にある、小さな水飲み場の影にぼくらは並んだ。ぼくはきょろりと辺りを見回して、海がいないことを確認した。海が死んだ時のことを話している様子を、海本人に聞かれるのは、なんとなく嫌だった。 「三年の、村岡たち、わかる?」 「うん、わかるよ」 「ぼく、夏休み前からあいつらに、その……目をつけられていたんだ」  いじめられていた、と言わないのは、ぼくの小さなプライドを守るためだ。 「本当に運が悪かったんだ。あいつらが本屋で、漫画を万引きしているところをたまたま見ちゃって、急いで目を逸らしたんだけど……」 「は? なんで目を逸らすのよ、注意しなくちゃダメじゃない!」 「……簡単に言うけどさ」  ぼくは言った。 「その時からだった。あいつらがぼくを、ことあるごとに呼び出したりするようになったの。海と一緒にいる時には声かけてこないんだ。海はべつに、多分喧嘩とかしたことなかったろうし、腕っぷしだって強そうではなかったけど、でも、わかるだろ? 僕と違って、海にそういうことが知られたらまずいことになるって、あいつらわかってたんだ」  話している間に情けなくなってきて、言葉が詰まった。 「でも海は薄々感づいていたと思う。……いや、思う、じゃなくて感づいていた。感づいた上で、ぼくが自分から相談してくるのをずっと待っていた。でもぼくは海に相談なんてできなかった」 「どうして? 海ならなんとかしてくれたでしょう」 「ダサいだろ、そんなの」  そう言うと、須賀さんが息を呑んだのがわかった。呆れた、馬鹿じゃないの? とでも言いたげな顔をしている。ぼくも須賀さんの立場だったらきっとそう思う。  でも残念ながら、ぼくはぼくだった。 「あの夜、ぼくはいつも通りあいつらに呼び出された。お金を持ってこいって」 「……ちなみに、いくら?」 「五万」 「ご、五万円!?」  須賀さんはわなわなと震えた。 「そんな、大金じゃない!」 「うん、そうだね、大金だ。……だからぼく、あの夜、お金を用意することができなかったんだ」  あの時のことを思い出そうとすると、手が震える。  言いつけられたことなんて無視してしまおうかと思った。けれどそんなことしたら、その後何をされるかわからない。ぼくは怯えた。怯えて、どうしたらいいのかわからなくて、冷静な判断ができず、結局丸腰で村岡たちの待つプールサイドに向かった。 「お……お金を、」  声が、震える。痰がつまったフリをして、ごほん、と咳ばらいをする。 「お金を、持ってこられなかったことを話したら、あいつら笑ったんだ。怒るんじゃなくて。多分、ぼくがそんな大金持ってこられないって、わかっていたんだと思う」 「なにそれ、酷い……!」 「殴られそうになった時、海が来た。……お前ら、なにしてるんだって、大きな声で叫びながら」  村岡に馬乗りになられたぼくを見て海は、いつもみたいに顔を歪めさせた。心底軽蔑するように。  ぼくは、助かったって思ったんだ。  海が来てくれたから、もう大丈夫だって。 「でも、ぼく、海を勘違いしていたんだ。海は、べつに、完璧超人なんかじゃなくて、だから……取り巻きの奴らが海の髪を掴んで、プールの水に顔を沈めた。何度も何度も。海、苦しそうだったのに、ぼく、ぼくは……」 「……もうやめて」 「なんとかしなくちゃって思って、立ち上がった。そうしたら村岡が怒って、持っていたバッドを思い切り僕に振りかざした。ああ死ぬんだ、って、そう思った。でも、ぼくは死ななかった」  ――馬鹿、満!  思えばあれが、生前海がぼくに放った最後の言葉だった。 「……許せない」  喧騒を遠くに聞きながら、須賀さんは俯いて、ぼろぼろと涙をこぼした。  恋人に死なれてしまったんだ、無理もない。ぼくはいたたまれなくなって、「ごめん」と小さく言った。  須賀さんにはこんなに簡単に謝罪の言葉を口にすることができるのに、一番謝りたい海にはできないなんて、なんて意地悪な“決まり”なのだろう。 「ごめん、なんてそんな、簡単に言わないでよ」 「え?」 「……全部、終わっちゃったみたいじゃない。ごめんって言葉は、めでたしめでたし、の逆バージョンよ」  須賀さんの言っている言葉の意味がよくわからなくて、ぼくは目を白黒させた。  すると彼女は数秒黙り込んだ後、慌てて目元を強くこすり、「……あはは」と笑った。大きな綺麗な瞳が、はじめてぼくに向かって微笑む。 「違うの。今のは、自分が惨めになっただけ。……あたしの方こそ、ごめんなさい。あなたの話を全然聞かずに、突っ走ってた」 「え、いや、その、」 「あたし……海のこと、きっとずっと忘れられない。だって、はじめてできた彼氏だもん。海、すごく優しくて、頼りになって……本当に大好きだった。自慢の彼氏だったの」 「……うん、そうだろうね」  海ほど自慢できる恋人はいないだろう。 「ねえ、村岡たちはもう大丈夫なの? ……その、海がいなくなってから」 「ああ……捕まって、家庭裁判所で判決を待っているみたい。多分、全員少年院送りになるって」 「ふうん……海のこと殺したやつは、そうやってのうのうと生き続けるんだ」  須賀さんはそう言って、 「全員死ねばいいのに」  と、続けた。 その声色の冷たさに、背筋がぞくっとした。冗談じゃなくて、本気でそう思っている、ということが、恐ろしいほどよく伝わった。 「川野くん、話してくれてありがとう。あたし、ちょっとだけ気持ちが楽になった。急に、何の脈絡もなく真っ暗闇に放り込まれたら、誰だってびっくりするでしょう? でも、今ようやく、こういう理由で放り込まれました! って、ちゃんと説明してもらえたかんじがする。それってサイアクだけど」 「……須賀さんは、もしも、もしも海にもう一度会えるなら……なんて言いたい?」 「えっ?」  ぼくの質問に、須賀さんは驚いた顔をした後、むむむと考え込んでから脱力し、 「……あたし、もしもの話って嫌い。むなしくなるから」  と、長い睫毛を伏せた。
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