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 夢を見ていた。  よく見る夢だ。病院の広いホール、待っている人や点滴をつけながら歩いている人、売店に何かを買いに来た人やお見舞いに来た人。小さくなった俺には自分に近い空間しか認識できず、人がいることはわかっても誰がいるかはわからない。  隣には父さんが立っていて、目の前には母さんがいる。長い黒髪を緩く横でしばっている。看護師さんに声をかけられた母さんは会話を交わし、再びこちらを振り向く。病気もなく、健康そうなその顔色に、なぜ母さんは俺から離れるのか、理解できずにいた。  ふと母さんが細い腕を伸ばし、少しかがんで俺の首筋、耳、頬と触れ、右耳を塞ぐように俺の頭に触れる。くしゃ、と髪が崩れる。母さんを見つめているのに、その顔がどんな表情なのかはわからなかった。何かを伝えるように、口が動く。けど耳に音が届かない。その音は俺以外には聞こえているのか、病院の中の白い雰囲気が揺れて、霞んでいく。  そして母さんは手を下ろし、歩き出した。最後、微笑んだように見えた。背中を見て、今追いかけなければ、あの手を掴まなければ、もう二度と会えないような気がした。  行かないで、そう声を出そうとも口が動いてくれない。ただひたすら、喉の奥で空気がたまるだけだ。声が出せないから、母さんが気付くわけがない。小さな手を伸ばしてみるけれど、何も起きず、無視されていく。行き場のないその手を、恨めしく思う。行かないでよ、俺を置いて行かないで。
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