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 部活終わりに練習が足りないとき、小学校の校庭によく行く。中二のときの記録を聞いて喜んでくれた先生たちに断りを入れて、校庭の端の方を使わせてもらっていた。今日も終わってから少し物足りなくて、小学校まで歩いた。校庭の隅に荷物を置き、グラウンドの土に触れる。中学校の土よりは少しだけ水分を含んでいて、やわらかい気がする。それでも固い地面をそっと指で触れた。その瞬間、去年の大会を思い出す。  いつも土で走っていたから、ゴムのトラックが待ち遠しくて仕方なかった。ピストルの音がして、走り出すと一斉にみんなが駆け出していく。それと同時に応援席が揺れた。いろんな人が、走っている人を思って応援しているんだ。走り出して最初に思ったことだった。  二年生の大会の日は、誰にも言わなかったけど母さんの命日だった。それがプレッシャーだったわけではなく、一緒だ、とただ思った。いつも通りの呼吸と、いつも通りの足の出し方、リズムを保って、と頭で考えているつもりでも白く霞んでわからなくなる。もう身体に染み付いたことを実践するしかなかった。でもあの白い霞は、いつだって走るときに浮かんでくるものだ。  自分が走るとき、思い浮かべるのは佐野の走りだった。小六のときから変わらない。佐野は誰よりもきれいなフォームで、白い波紋を作るように走る。着地した足が起点となり、トラックに水滴が落とされたみたいに波紋が広がる。あんな走りをしたくて、ずっと頑張ってきた。  気がつけば上位集団の中に入っていた。あとトラック一周というところで、応援席にいる母さんが見えた。おかしい、そんなわけない、そう思って瞬きをすると、その姿は佐野だった。全く似てはいないのに、見間違えるなんて可笑しい。そう心の中で笑ってしまう。  あともう少し、呼吸も乱れてきている。リズムは崩れている。少しでも気を抜けば上位集団にはついていけなそうだ。それでも、心の中で笑ったことが返って薬になった。呼吸を正そうと、いつも通りのリズムに戻そうと、がくつきそうな足を奮い立たせていた。けれどもう、俺にはいつも通りがないんだ。母さんが亡くなった日から、ずっと何かが欠けているような感覚があった。それはもうどうしようもないことで、とやかく言ったって仕方のないことだ。きっと、この呼吸も、走るリズムも、おぼつかない足も、正しくないけど、正しくないままで走るしか方法がないんだ。  ピッチを上げる。いつも通りとはほど遠い。今日は母さんの命日だ。どうせならトップで走り切って、表彰状でも墓前に見せてあげよう。母さん残念だったね、俺はものすごい記録を出したんだよ、息子の歴史的瞬間を見逃したんだよ、そう言ってやりたい。スピードを上げる。呼吸が荒れる。リズムなんてぐちゃぐちゃだ。けれど気持ちいい。こんな感覚は初めてだ。癖になりそうな痛みを足と腰に感じる。でもそんなのどうでもいい。気付けばゴールテープを切っていた。目の前には誰もいない。一位だった。  スピードを緩め、倒れそうになりながら思う。白い波紋はなかっただろうなぁ。過呼吸になりながら、トラックに倒れこむ。あぁ、もうちょっとかっこよく走りたかった。薄れていく意識の中で、後悔していた。  気付くと土の上で走っている自分がいた。去年の大会のことを何回も思い出しては、あれではかっこよくないと否定する。怪我でうまく走れなかったときも、部活終わりに小学校の校庭で練習をしていた。もちろん休まないといけないときは素直に家に帰ったけど、できる限りの練習をしていた。  前に記録を出したときとは違う走りをしたい。もっと、佐野みたいにきれいに走りたかった。そんな欲が、また自分を走らせていた。
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