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 掃除を終えて教室に帰ってくると、なにやら教室前の廊下が騒がしかった。人だかりができており、明らかに何かあったような感じだった。 「何かあったのかね」  佐野と一緒にいた西城が何気なく言う。佐野はわからないというように首をかしげた。すると、人だかりの中にいた一人の女子生徒が佐野に向かってくる。 「ちょっと、佐野ちゃん、やばいよ」  くいくい、と手招きをされて、佐野はよくわからないまま人だかりの中心に向かっていく。中心にいる人物は誰なんだろうと思い、俺も近づく。まさか。嫌な予感が当たったらしい。その輪の中心には、柴山と吉川がいた。 「私たちだって、受験はあるよ」 「じゃあ真理ちゃんもそうすればいいんじゃないの?」 「そういうことじゃなくて! 部活と受験は違う話だって言ってんの!」  二人は言い合いをしており、その声はどんどん大きくなっていく。佐野は二人の間に入っていき、「二人とも、どうしたの?」と声をかける。その表情には戸惑いが含まれていて、何が起きているのか検討はついていないようだった。佐野に気付いた二人は少しだけ気を緩め、ピリピリした場の緊張がほぐされる。 「ちょっと、まずいんじゃないの」  隣に来た西城に肘をつつかれる。それに返答ができないままでいると、吉川が話し出す。 「凛たちが最近片付けしないことを注意してたの。晴子はなんだかんだで優しいから、代わりに」  吉川の説明で理解する。この前の休憩のときに言っていた話は、単に気になるだけではなかったのだ。吉川なりに佐野に気遣って何も言っていなかっただけで、今その糸が切れたようだった。 「でも私だって、悪気があって抜けてる訳じゃないのに」  言いながら、柴山は涙声になっていく。柴山たちは上山先生に断りを一応入れている。吉川がどの程度柴山に言ったかは知らないが、少なくとも塾に急がないと行けないという理由で抜けているにも関わらずコンビニにいたところを見られたことは耳障りが悪いだろう。ただその話も、夜食を買うとか、そういった理由がある可能性もある。  ただ吉川側からすれば、どんな理由があろうと自分たちとは違う扱いを受けているのだから、という主張になるだろう。柴山たち以外にも塾に行っている部員もいれば、塾に行かなくともみんな受験生なのだ。部活を早く抜けて自分の時間に使いたい人はたくさんいる。 「私だって……」  どんどん表情が崩れていく柴山を見て、吉川はうっと声をつまらせる。吉川がもう一度声を出そうとしたとき、「ごめんね」と止めるように佐野は声を出した。二人や周りにいた野次馬たちは佐野を見る。佐野は真面目な顔をして、二人を交互に見ながら言う。 「私もきちんと二人の意見を聞けてなかった。ごめんなさい。だから、とりあえずは教室に戻ろう?」  後で話を聞かせて、と佐野は続けた。吉川は納得していないような顔で頷き、泣きそうな柴山は周りの女子に慰められながらもうん、と呟いた。二人がそれぞれのクラスに戻っていき、人だかりもこそこそ話をしながら解消されていく。佐野はその中心で一つ息をついた。  西城が歩きだし、佐野に近づいて「どんまい」と肩をポンと叩いた。同じ部長としてシンパシーを感じたのだろう。佐野は少しの間動かず、ふとこちらを振り返った。目が合う。どき、とする。やっぱり俺は部長には向いていなかったと思った心を見透かされたような気がした。俺にはあの場を収めることはできないだろう。特に言いたいことがあったわけではないようで、ふいと教室に戻っていった。俺も自分の席に戻り、帰りの会が始まる様子をぼうっと眺めながら考えていた。  ああいう場を収める佐野を見たときに思い出すのは、副部長を引き受けたときだ。  二年生の夏、中総体が終わってすぐ、次の部長と副部長を選ぶ場に呼ばれた。大会の成績もよかったし、きちんと周りとコミュニケーションが取れる。そんな理由で、先輩に「部長にならないか」と話を持ちかけられた。  正直、あまりやりたくなかった。周りと話すのは得意だけど、リーダーシップを取るのは苦手だからだ。まとめたり、調整したりするのは苦手だし、何より周りを見るよりは記録のために頭を使いたい。あれこれ考えられる気はしなかった。 「部長、やってくれるか?」 「あ、えっと……」  そう戸惑っていると、一緒に呼ばれた佐野がためらいがちに、あの、と声を出した。 「私は……?」 「あぁ、佐野には副部長をやってほしくて呼んだんだ。二人とも幼なじみって聞いてるし、連携も取りやすいかと思ってね」  そう言われて、中学に入ってからはほとんど話したことがないとは言えなかった。先輩の言葉を聞いて、佐野は少し悩んだ感じで黙る。 「まあ、どうかな。二人で協力してやっていってもらえたらいいなって」  答えを求められ、ためらいながらも覚悟を決めようとしたとき、先に佐野が声を出す。 「あの、もしよければですけど、私が部長というのはダメでしょうか?」  その返答に、俺も、先輩も驚く。佐野の方を見ると、先輩の方をじっと見つめていた。いつも通り、きれいな姿勢で。 「私も部長をするのは心配ですけど、水谷が部長になって、記録に集中できなくなるのはよくないかと思いまして」  それ聞いて先輩も納得したのか、「水谷はどう思う?」と尋ねられた。 「……正直俺は、部長として部を引っ張るのと、記録を縮めること、両方をこなせる自信がなくて。なので、佐野が部長をやってくれるって言うなら、ありがたいです」  そう答えると、先輩も少しだけほぐれた笑顔を見せる。 「じゃあ、佐野が部長、水谷が副部長、でどうかな?」 「大丈夫です」 「わかりました」  俺と佐野が了承し、先輩も安堵の表情で「よかった」と言った。  あのとき佐野があんな風に言ってくれなかったら、さっきの場面も何も言うことができず、事を大きくしてしまったかもしれない。佐野は当たり前のように難しいことをとっさに判断していく。それがすごいなと思う。  帰りの会が始まってから、俺はとんとん、と人差し指で佐野の肩を叩く。佐野は後ろを向いて話すような不真面目な生徒ではないので、少し椅子をこちらに寄せて、俺の声を聞こえるようにしてくれる。 「さっきはごめん」  そう謝ると、大丈夫、と小さな声で答えてくれる。佐野は椅子の位置を戻し、また日直の話に耳を傾けていた。
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