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 部活を終えてすぐ、佐野はどこかへ走っていってしまった。荷物も置いたまま外に行って、何かあったのかと思いながら自分の荷物を手に取る。 「えっ、いいんすか!?」  篠崎の跳ねた声が昇降口に響く。上山先生と何かを話していた。 「みんなに配ってくれ。差し入れだから」  ありがとうございます、と嬉しそうにお辞儀をして、篠崎は先生にもらった袋をこちらに持ってきた。 「これ、先生から差し入れ! みんなにってよ!」  昇降口で帰り支度をしていた部員たちがざわめく。後輩の嬉しそうな声が聞こえる。 「真理、ちょっと取って一緒に配ってくれよ!」 「はいはい」  吉川も手伝い、その袋に入っていた飴を一つずつ取っていく。俺はその様子を見ながら、部活のバッグにいろいろと物を詰めていた。 「はい、副部長、最後ね」  吉川が手のひらに何個か飴を広げている。 「ありがと」  その中のブドウ味を取る。飴をもらった部員たちは続々と帰っていき、残っているのは帰り支度の遅いいつものメンバーだった。  篠崎と吉川はなにやら目配せをして、吉川がこちらを向く。後ろで篠崎はにやついた笑顔を浮かべていた。 「あのさ、晴子に一つ渡しといてくれない?」  そう言って、吉川は手のひらをこちらにくいと差し出す。もう一つ取れと言うことらしい。 「いや、佐野がどこいったか知らねぇし」 「俺たちもよくわかんねぇけどよ、なんか外周コースに行ったっぽいぜ」 「落とし物とか言ってたかな。案外晴子って抜けてるよね」  吉川がクスッと笑った。どうしようか考えあぐねていると、吉川が続ける。 「バッグに置いとくだけじゃわかんないでしょ。家も近いんだから、一番渡しやすい人は宙杜だと思うけど」  そう押されると、自分の都合で拒みすぎるのも申し訳なくなってくる。 「わかったよ」  そう言って、俺はメロン味の飴を一つ取った。  外周コースに落とし物、と言っていたが、外周を走るときに落とし物なんてするだろうか。  走り慣れたいつものコースを、歩いて辿っていく。すると校庭の裏側、野球部のネットの裏辺りでしゃがむ人影を見つけた。 「佐野」  声をかけると、驚いたように肩を震わせて、その後立ち上がった。 「どうしたの?」 「上山先生が飴くれたから、それ渡しに来た」 「……そう、ありがとう」  俺は持っていたメロン味の飴を佐野に渡す。 「メロン味だ、よくわかるね」 「そりゃわかるよ、何年一緒だと思ってんだ」  果物のメロンはそんなに好きじゃないけれど、お菓子のメロンは好き。飴とか、メロンパンとか、メロンソーダとか、本当にメロンが入っているかわからないメロンとつくものが好きなこと。 「何探してたんだ? 落とし物って吉川に聞いたけど」 「え!? あぁ、別に大したものじゃないからさ」 「探すの手伝うよ」 「いいって」  嫌がると言うよりも、単純に恥ずかしそうに断る。そんなに関わってほしくないものなんだろうか。 「どういうやつ?」  俺はしゃがみ、探す意思を示す。地面はほろほろとした砂と青々とした草が広がっていた。こうやってすることで、余計に嫌われることもあるんだろう。けれど、しないよりましだと思った。 「……お守り」 「それはなんか落としたらちょっとやだな」  神社のお守りとかだろうか。御利益が減ってしまうというか、罰当たりな感じがする。落としたままにはしたくないだろう。せめて探すだけは探したいという気持ちはわかる。 「色は?」 「……いや、もう本当にいいよ。探したし、なかったし、もしかしたら違う場所に落としたのかもしれないし」  そう探さない言い訳をたくさん並べる。そこまでいうなら無理に探したくはないが、困らないのだろうか、と佐野の顔を覗き見る。立っている佐野を見上げると、俺の顔から目線を逸らすように、地面を見ていた。 「でも、大切なものなんだ」  その言葉に、言った本人が驚いていた。目を見開いて、くしゃ、と顔を歪める。すっとしゃがんで、顔を太ももに埋めた。一つ結びの髪の毛が腕にかかっている。もしかして、と思いしゃがんだまま佐野に近づいた。どうやら泣いているようだった。小刻みに揺れて、でも俺には泣いているところを悟られたくないのか、その揺れを収めるように息を深く吐いているのがわかった。 「探したらあるかもしれないだろ?」  ないって決まった訳じゃねぇよ、と励ますように俺は言った。それだけ大切なものらしい。その言葉に、顔を上げずに佐野はふるふる、と首を横にふった。 「そういうことじゃない……、そうじゃないの。情けない、私、ほんとに」  言葉の意図がわからなくて俺は黙る。 「こんな風に、水谷が来てくれるの、たぶんどっかで期待してた。そういう自分が、嫌なんだ」  ほんとに嫌、と自分に言い聞かせるように言う。期待してくれたって、いいのに。 「ガムのハズレ、探してたの」  目を見開く。「え」と思わず声が出る。だいぶ前に、十円ガムのハズレくじをベランダで渡した。まさかずっと持っているとは思わなかった。 「おかしいでしょ。水谷が言ったこと、嘘だってわかってる。けど、嬉しかったから」  変だよね、と自嘲するように笑う。  何を言えばいいのかわからなかった。そうやって俺が言ったことを、おどけて言ってみせたことを、ずっと大切に持ってくれていた。何かの頼りにしていてくれた。  今永が言った言葉を思い出す。自分の大切な人が、目の前で泣いている。俺は何をしているんだろうか。きっと傷つくのを恐れてるだけだ。拒まれたらどうしようと、それこそ話せなくなることさえ怖がって。  母さんの夢が頭をよぎる。あのとき届かなかった手。言えるタイミングさえ失った言葉。あの夢とは違うんだ。手を伸ばせば触れることができて、言葉は伝えられる。  これはきっと、どこまでやったから勝てるとか、ここまでやれば安全とか、そういう話じゃない。大事なのは、選ぶことだ。いくつもある選択肢の中から、何でありたいのかを選ぶことだ。 「小さいから、どっか行っちゃったんだよ」  佐野はゆっくりと立ち上がる。顔は濡れていたけど、目元は手でぬぐって赤くなっていた。諦めるように「帰ろう」と言う。俺はしゃがんだまま、顔を上げずに、答えた。 「俺じゃダメ?」  聞こえなかったのか、「ん?」と聞き返される。俺はしゃがんだまま、佐野を見上げる。 「俺、佐野が好きだよ」  佐野の顔が驚きに変わっていく。何回か瞬きをして、口を軽く開けている。まるで口にしてはいけない言葉を聞いたときのようだった。潤んでいる瞳がキラキラと輝いている。木々の間から夕日がチラチラと差し込む。心臓の音がやけにうるさい。 「けど、そんなに器用じゃないから、そういうことと走ることを両立できる気はしなくて、だから」  立ち上がって、佐野の目の前に立ち、その瞳をじっと見る。 「今度の大会で一位になったら、返事聞かせて」  こんなのわがままだろうか。大会までにふられたら俺だって強くいられない。けど、今、伝えたかった。俺が来ることを期待していいこと。情けなくたって、どんな佐野でも俺は好きでいること。  わかっていてほしい。佐野が思うよりもずっと強く、俺は佐野の近くにいたい。いつか離れてしまう日が来て、何も話さなくなる日が来るかもしれない。それでも、来てしまう日を恐れるんじゃなく、来てしまう日を知ってなお、何を選びとるかを大事にしたい。  喉のつっかえが取れたみたいな爽やかな気持ちが心を支配する。改めてお互いに向き合ってみて、やっぱり前よりも身長の差が大きくなったなと、場違いなことを思っていた。
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