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 キッチンに立ってエプロンをつける。小六のとき、家庭科で作ったエプロンだ。わざわざ買おうとも思わないから、これを使っている。  手を洗ってから炊飯器の器に米と水をいれて研ぐ。最初は白く濁りきっていたのに、水を入れ換えるたびに透明に近づいた。今の時期はだいぶやりやすくなったけど、冬場は冷たくて仕方なかった。炊飯器にセットしてボタンを押す。  冷蔵庫を開けて今日の夜ごはんは何を作ればいいかを考える。野菜室も見てみて、野菜炒めを作ろうと決めた。豆腐もあるようだから、それにみそ汁をつければいいだろうと考えながら野菜室からピーマンを取り出す。  ピーマンを細切りに刻んでいく。大袋で安かったものだ。意外に多いかもと心配になりながら切っていると、玄関の鍵が開く音が聞こえた。おばあちゃんが帰ってきたようだ。  刻んだピーマンをまな板の端に寄せて、またピーマンを袋から取り出す。ガチャ、とリビングに繋がるドアが開いた。 「おかえりなさい」  そう声をかけると、「ただいま」とおばあちゃんは微笑んだ。今日も元気そうでよかった、なんて思いながら、リビングでなにやら物を置いているおばあちゃんを横目で見ていた。 「今日は晴ちゃんが作ってくれてるのね」 「うん。今作り始めたところだから結構かかるよ」 「ありがとうね」  そんな会話をしながら、ピーマンを切り終える。冷凍の野菜を電子レンジで解凍しながら、もやしを水で洗う。  冷蔵庫から豚肉を取り出し、フライパンの用意をする。ついでにみそ汁用の片手鍋も取り出して隣のコンロに置いておく。  解凍にまだ時間がかかりそうだったので、片手鍋に水を入れて火をつけた。沸騰してきたら豆腐を切って入れ、出汁入りみそを入れる。最後にワカメを入れれば完成だ。  フライパンに少量の油をひき、豚肉を入れる。ぱちぱちと油がはねる。色が変わるまで転がしながら待つ。 ――『俺、佐野が好きだよ』  頭の中で考えないようにしていたことがふと思い出されて、考えるのをやめようとする。やめようと思えば思うほど、あのときの光景が鮮明に浮かぶ。  結局あの日、ハズレくじは見つからなかった。けれど、探すどころじゃなかったから本気で探しても見つかんなかったと思う。言われてから数日間は水谷と会話することもおぼつかず、何かあったの、といろんな人に聞かれた。その度に曖昧に濁した。まどかには何となく察されているようだし、なぜか明奈ちゃんにも言われた。水谷と明奈ちゃんの間で何があったのかはよく知らないけれど、前よりも二人の空気がやわらかい気がした。  返事は大会の後、と言われてはいるものの、もう少しで大会だ。猶予はないし、自分だって定期テストと部活とで考える暇もない。けれどふとした余白に考えは入り込んできて、どうすればいいかな、と考え込んで、今は決められないし違うことをしようと気持ちを切り替えることを何回も繰り返してきた。  嫌いなわけじゃない。かといって好きかと聞かれたら、困ってしまう。その言葉を言うには、一緒にいた時間が長すぎる気がしてならなかった。だからといって断りたいとは思わない。じゃあ好きだとなるのだろうか? 好きだと伝えて、自分たちは何が変わって、何が変わらないのか。  気づけば肉の色が変わっていた。野菜たちを入れて馴染むように混ぜる。  おばあちゃんがダイニングテーブルに置いてあるポットからマグカップにお湯を注ぐ。ジュウ、と音を立てていたフライパンがだんだんと野菜の水分で音がしなくなっていく。みそ汁の鍋にじわりとみそが滲んでいき、白い豆腐のキューブがころころと踊っている。 「おばあちゃん」 「どうしたの」  気付けば話しかけていて、私ははっとしたけれどいっそ聞いてしまえ、と質問してみる。 「おばあちゃんはなんで、おじいちゃんと結婚したの?」  おばあちゃんはダイニングテーブルに座って、キッチンで料理をしている私と向き合うようにする。そうねぇ、と考えるような仕草をとりながら、マグカップに手を添える。 「お見合いだったよ」 「つらくはなかった?」 「どうして」 「あまりよく知らない人と一緒になるって、怖くないのかなって」  そう言ってみて、なんだかおじいちゃんのことを悪く言うような感じがして、よくなかったかなと思う。フライパンの具材をかき混ぜる。 「当時はそれが当たり前みたいなものだったからねぇ」  沈黙の後に懐かしむように言った。けどね、と続けて、マグカップのお茶を一口飲んだ。 「今の人たちと同じようなものだと思うから、悲しかったとは思わないよ」 「同じようなもの?」 「自由恋愛ったって、一生のうちに出会える人は限られてる。そう考えたら、別にどうも思わんし、あの人と出会えて、結婚しようと決めたのは幸せだった」  優しい人だったっけね、とおばあちゃんはリビングにある仏壇を見ながら嬉しそうに微笑んだ。 「そっか。おじいちゃん、そう言われて照れてるだろうね」  そうかもねぇ、とおばあちゃんは返してくれた。
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