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「まどか」  美術の時間、終わった人は自習でいいと言われていた。定期テストが近いと言っても、まだどの部活も大会が終わっていないこともあって勉強を率先してしようとする人はごく少数だ。だから早く終わらせようとしながらも、周りの友達と話したり、ふざけあったりしているところが多かった。 「何ー?」  まどかは一通りの作業を終えたのか、筆やバケツを洗っていた。その隣に行って、持っていたバケツの水を一気に水道に流した。銀色のシンクにはもともと水がたまっていて、そこに窓から差し込む空が反射していた。そこに私が流した青色が混ざり、空を侵食していった。 「相談があるんだけど」 「改まってどうしたの? 告白でもされた?」  それくらいなきゃ私は動かないよ、と言わんばかりの発言だったが、私はその発言に手を止める。しばらく動かない私の様子を見たまどかは、しばらくして手を止めた。 「え、マジ?」 「それっぽいこと、みたいな」  たぶんそれっぽいことではなくそれだったが、直接言うのが怖くて濁してしまう。 「え、あいつ、だよね?」  手はパレットを離さず、まどかは水谷の方に目を向けて、こちらを見る。水谷は周りの友達と笑いながら作業を進めていて、頬の辺りに紺色の絵の具をつけていた。それをまた友達に笑われて、乱雑にタオルで肌をぬぐっていた。  うん、と頷くと、まどかは「はぁー」といきなりしゃがみこむ。 「え、何どうしたの?」 「いや、やっとかぁって」 「やっとって」 「それで付き合うことにしたの?」 「いや」 「はあああ!??」  勢いよく立ち上がりながら言われてしまい、その迫力に思わずのけ反る。 「なんでよ? 断ったってこと?」 「いや、返事は大会で一位取ったらって」  キザなやつ、とまどかは呟く。 「それで、相談っていうのは?」 「返事に迷ってて」  今度はぽかんとされて、私は瞬きをしてまどかを見つめ返す。「はぁああ」とまた大きなため息をつかれる。 「そんなのその場でいいよって言えばよかったじゃん」 「だってまだ好きかわからないし」 「相手が好きだって言ってるんだから、わかんなくたって好きだって返しとけばいいのよ」  後で断ったっていいんだから、と呆れたように言われる。こういうはっきりとしたところがいいなぁ、と思いながら、自分のパレットを洗っていく。 「まして幼なじみ同士なんだしさ」 「でも、それだから怖いって言うのもあって」 「まぁ、そうね。その怖さはわからなくもないけど。でも付き合ったところで人が変わるような感じもしないじゃん、水谷くんは」 「それはわかるけど、付き合うとか、そういうこともよくわかんないし、そもそもどこからが好きなのかとか、なんで好きなのかとか言われたらわからないし。そういうので返事してもいいのかなって」  率直な意見を言ってみると、まどかはすぐに「いいんだよ」と肯定してくれる。 「怖くなる気持ちも何となくわかるし、理由がないって言うのも何となくわかる。けどね、晴子が今考えるのは、どうしたいか、だよ」  どうしたいか、と繰り返す。私とまどかは筆を軽く洗い流していく。 「付き合いたいのか、付き合いたくないのか。それが難しいなら、今とかこれからとか、一緒にいたいのか、そうじゃないのか。考えなきゃいけないわけじゃないけどさ、そういうのを決めてみることは大事だよ」  一緒にいたい、いたくない、と心の中で呟く。まるで花占いをしているみたいだった。私は決めるしかなくて、それはずっと避けてきたことなんだとわかる。まどかが前に、ここで言ってくれたことの意味がなんとなくわかった。 「そんなに重く考えなくてもいいと思うよ。考えられるのは晴子のいいところだけど、考えすぎはよくない。クラスで発表するようなことじゃなくて、個人の関係のことだもん。こんがらがったら素直に言ったっていいんだから」  あいつ言ってくれない方がへこみそう、と少し笑った。それぞれ使った道具を振って水気を切り、まどかは流し台から離れていく。  まどかに話してみて、心が軽くなったような感じがした。私も席に戻ろうとして、道具の水気を切る。シンクにたまった水はもう透明で、空を写し出している。そこに自分の顔が写り込んだ。自分のことはそんなに好きじゃないけれど、そんな自分を認めてくれる人がいることが嬉しかった。  もし同じように、水谷が自分が好きではないと思っているなら、そんなことは思わないで、という自分の気持ちを伝えたい。そう思って、水谷の方を見るとおしゃべりをやめて画用紙に向き合っていた。でもきっと、水谷は自分のこと好きだろうなと思ってしまって、思わず笑ってしまいそうになった。
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