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目の前に積み上げられた百億円の山を、どこか他人事のような気持ちで眺めていた。
お小遣いと書かれた小さなメモは、間違いなく祖母の字で、この百億円は祖母が僕に残してくれた遺産だ。
僕の祖母は、何かにつけてサプライズをするのが大好きな人だった。とにかくとても、陽気な人だったのだ。だからなのかなんなのか、わざわざ長野県のこんな山奥まで、弁護士に百億円を運んでこさせたのは、半分嫌がらせなのではないかと疑いたくなる。僕が住んでいるこの別荘も、生前祖母から譲り受けたものなのだけれど、ついでに言えば、この辺り一帯の山も僕のもので、だから結局何が言いたいのかと言うと、僕は今、人生の終わりに向かって生きているということだ。そんな僕に、資産百億円を譲渡するという遺言書があったことを知らされたのが最近のことで、祖母が亡くなったのは五年前だ。
僕の病気が見つかったのは去年の暮れのことだった。僕を診てくれた医者に、早期発見であれば治療ができたかもしれないと言われた時、この期に及んで慰めようとでもしてくれているのかと、ひねくれたことを思ったことを覚えている。マニュアル通りの医者とは、それきり会っていない。
前述の通り、僕の祖母はサプライズが大好きな人だった。弁護士から手渡された遺言書には、自分が亡くなってから五年後の僕の誕生日に、僕自身が遺言書を読むという、全くもって意図が分からない条件があったようだ。
生前祖母が、「財産は生きているうちに使いきるか、必要としているところに全て寄付をする」と言っていたことがあった。もちろん祖母の自由にすればいいと思っていたし、早々に譲り受けた別荘と、たまにくれるお小遣いで僕は十分だった。だから、遺言書があったことにとても驚いた。それも、二枚も用意していたと聞かされた時は、この人はいったいいつまで驚かせてくれるのだろうと、不謹慎かもしれないけれど、僕にだけ分かる事情で笑ってしまったくらいだ。
一枚目の遺言書は僕以外の親族全員に向けて、二枚目は、僕宛のものだった。一枚目の遺言書は、祖母が亡くなってすぐ、僕以外の親族全員を一人ずつ順番に呼び出して伝えられたそうだ。両親を早くに亡くし、兄弟もいない僕の耳には、風の便りすら届かなかった。なぜなら、こんな時にしか集まらない人たちとは、子供の頃から数えても、片手ほども会ったことがないからだ。仲が悪かったのではなく、興味がないことを早々に突きつけられれば、子供だった僕は、それが当たり前なのだと疑う余地もなかった。大人になった今でも、誰一人連絡先すら知らないのだから、もはや他人と言ってもいいだろう。
ちなみに、一枚目の遺言書の内容を聞かされた僕以外の親族たちは、自分への財産分与が皆無だと分かるや否や、暴言こそ吐かなかったけれど、目を吊り上げ、物言いたげな顔を残して帰っていったと弁護士がこっそり教えてくれた。さらに補足すると、僕以外の親族は二枚目の遺言書の存在を知らない。
それはさておき、額が額なだけに、個人で譲り受けるには少しばかり多すぎる。祖母も、それくらいは分かっていたはずだとは思うけれど、祖母からすれば、本当にただのお小遣いなのだろう。
葉擦れの音が耳に心地いい。四月にしては、今日はまだ暖かい方だ。
一階にあるウッドデッキには、今座っているパーソナルチェアだけを置いている。艶のない真っ黒なアイアンのそれは、僕がここに引っ越してくる時に持ってきた特注品だ。深く腰をかけようものなら、気付けば眠ってしまっていた、なんてこともあるほど座り心地がいい。
木漏れ日に目を細め、新緑の香りを一気に吸い込めば、一瞬でも、僕の中身が全部入れ替わってしまったのではないかと勘違いしそうになるほど、この場所の空気は澄んでいる。穢れを知らない、そんな言葉がぴったりなこの場所で、今、僕の足元には、その道専門の女が膝をついて僕の股間に顔を埋めている。
生々しい話になるけれど、食欲と睡眠欲は一人でも満たせる。ただ、性欲に限っては、一人ではどうにも限界がある。と言うのは僕の持論だが、あながち間違いではないと思う。突き詰めれば、単純に人肌が恋しいだけ、ということなのかもしれない、とも思う。
とにかく今日は、満月のせいで性欲が制御できず、朝から何度か自分の手を汚したけれど、どうにも満たされず、誰かにそうしてほしくて悶々としていた。病気に蝕まれた体とは思えないほど、そっちの方が衰えることはなかった。
簡単に予約ができる便利さはありがたいけれど、いかんせん僕の住んでいる場所が不便なもので、初めのうちは店側から断られることも多かった。けれど、人間は単純な生き物だ。相手の欲を強めに刺激してやれば、手のひらを返したように交渉は成立する。つまり、金の話だ。
ジュッパジュッパと音を立てながら、僕の股間で頭を上下に揺らしているこの女の雇い主も、金に目が眩んだ一人だ。金額に見合う仕事をしてもらわなければ、こちらとしても割に合わない。そんなことをわざわざ言葉にせずとも、この女は分かっている。今回で会うのは三度目だけれど、なかなか仕事のできる女だ。
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