ナミダくんにさよならを。

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ナミダくんにさよならを。

 休日の朝。私は目を覚ます。  寝相が悪かった私は、ここ最近は起きる時にきちんと布団を着ている。  寝相が良くなったのだろうか。  るいに声をかけて起こし、二人で外出した。  神社の鳥居をくぐる。  少し余裕が出来た今だからこそ、しっかりお礼参りをしようと思う。  そう思って私は神社にやって来たのだが、そこには先客がいた。  グレーのスーツに高いヒールのパンプス。キャリアウーマンと言った感じの女性だ。民間企業では、土日休みでない所もたくさんある。特に、販売や接客業。彼女もそんな一人だろうか。  学校は基本的には土日は休みだ。部活の指導や大会、平日の残業では時間が足りず休日出勤することもあるのが実情だが、今週はれっきとした休み。土日、しっかり休める。  それがありがたいことだと、改めて感じるほど、先客のキャリアウーマンは対照的に、疲れているのか目がうつろで、ふらふらと歩いていた。これから帰るようだが、このまま階段に行って大丈夫なのだろうか。  ふらふらの彼女の様子を見守っていると、彼女は鳥居に向かう途中、御神木の傍で、恐らく御神木の根につまずいた。カクッと体勢を崩すが、少しよろけただけだった。やはり、あの高いヒールも履きなれているのだろう。 「あ」 ただ、よろけた彼女は、うつろな目で、るいを踏みつけた。るいの本体の、御神木の根元の花。細くて長いヒールが、ぐさりと音が聞こえそうなほど、花の中央に刺さる。  思わず隣を漂うるいを見る。るいは大丈夫、と言うように、本当に平気そうに笑っていた。ほっと安心した。でも、と思い駆け寄る。 「花が」 驚いたのは、そう呟いた自分の声が震えていたから。駆け寄っても、花がよく見えない。視界が滲んでいた。大事な存在を心配して、涙が流れた。  私は驚いて、随分と久しぶりに「涙をぬぐった」。  しばらく泣いていない私は、その動作が久しぶりだった。 「レイコさん」 心配して、るいが言った。 「ほんとに、大丈夫だよ」 うん、と私は頷く。声は震えた。  遠目に見たときは元気に空を仰いでいた花が、踏まれて俯いてしまっている。茎が折れていないのが幸いだが、大分弱ってしまったのだろう。  踏んだ彼女もふらふらだった。もう階段を下りて行ったようで神社内に姿は見えないが、彼女が悪いとか、最低とか、そう言うことが言いたいんじゃない。  大事な存在が傷ついたことが悲しい。  そして、多分。今までるいが私にそうしてくれたように。  自分のことのように痛かったし、自分とその花を重ねてしまった。  痛かったね。  共にした時間が長い分、感情移入してしまう。 「痛かったよね」 私はそっと、花を撫でた。 「やっぱり、レイコさんは優しいね」 え?  るいの声が、いつもより遠く感じられた。  辺りを見渡すと、るいの姿が無い。少し上を見上げるとるいが寂しそうに笑っていた。 「僕のために、泣いてくれてありがとう」 「るい……?」 「恩返しできて良かった」 どんどん天に昇ってしまいそう。体もどんどん透明度が上がり、色が薄くなり、消えてしまいそう。 「レイコさんが泣けるようになったから、僕は消えなくちゃいけない」 「そんな……」 寂しい反面、こんな非日常がいつまでも続くわけがないと、冷静な自分が言う。 「このまま、泣けないのかなって心配してたんだよ」 そう笑うるいも、泣いている。 「泣けなかったら、いつまでも一緒にいられた?」 私のもしもの話に、るいは勢いよく首を横に振る。 「ダメだよ! レイコさん、自分を、大切にしてね」  涙は、つらさを和らげるため。  るいは、ほとんど見えなくなった。声と、感触が、微かに残っている。  るいは、最後に私の涙をぬぐった。  感触だけが、目元に残る。  強い風が吹き、びゅう、という音が、るいの声を掻き消してしまう。  風が頬を撫でるから。るいの、ただでさえ曖昧だった感触を、その淡いぬくもりを、忘れてしまう。  風にさらわれるように、るいは消えた。  るいは、私の代わりに泣いていた。ナミダのような子だった。私だけの、ナミダくん。  きっと、るいはどこかで「やっと一人前だね」と笑ってくれているだろう。  泣いて、つらさを和らげて。自分で自分を守っていかなくちゃ。体調管理と同じだ。体調管理も仕事のうち。そうして、一人前になっていくのだ。  つらいことを我慢するのではなくて。発散して、向き合っていかなくては。  苦手な人も、苦手なことも。きっと人生の色んなことが、逃げられなくて、向き合わなきゃならない。  るいとの、約束。  自分を、大切にする。  我慢し過ぎないように。一人で出来ないことは、頼って、学びながら。成長していこう。 「頼らせてくれて、ありがとうっ」 私は、涙を止めることなく、震える声も隠さずに。空に向かって、るいにありったけの感謝を伝えた。  ドンっと、御神木が揺れた。 「なに?」 「あ?」 低い声がした。声の主は見えない。恐る恐る御神木の反対側を覗くと、髪を赤く染めた、青年がいた。大人っぽいので大学生だろうか。学ランでも来ていれば、不良少年に間違い無いのだが。 「ちょ、怪我してるじゃない!」 彼の右手は血が出ていた。その手で御神木を殴ったのだろうと想像できる。  思わずその手を掴むと、なんだよ! と青年は暴れる。しかし、振りほどこうとするのは予想していたので、振りほどけないくらいの力で握っている。  全力で抵抗してきて、攻撃されたら太刀打ちできないが、なんとか、掴んで離さないくらいは出来た。青年の振りほどき方からも、敵意は感じられない。  彼は、とてもイライラしていた。その発散方法を、力をふるう事しか知らないようだった。 「ねえ、怒ったり悔しかったりした時の涙って、しょっぱいんだよ」 私は思わず言った。 「は?」 彼の顔が引きつる。気持ち悪い、と言いたそうだ。私は構わずに、笑顔で続けた。 「ねえ、貴方の名前は?」 彼の名前を聞いて、彼に、力以外の気持ちの発散方法を教えたい。  ――泣けば良いんだよ、って。  私がるいに教わったことを、他の人にも伝えたい。  職業病だろうか。  ひきつった笑顔で勘弁してくれ、という赤髪の彼に、私は微笑み続ける。  ――今度は、私が。 「教えてあげる」 私の、新しい挑戦を後押しするように、爽やかな風が吹いて、私の背中を押した。 fin.
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