プロローグ ―紺碧の海で―

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 魚達が周りに集まっているのを見て、人魚は歌うのを止めた。人魚は柔らかく笑みを浮かべ、彼らに向かって手を差し伸べた。魚達は今の歌に対する賞賛を示すごとく、我先にと彼女の手に口づける。  人魚はそんな彼らの姿を微笑ましそうに見つめていたが、不意にその表情に影が差した。 「ねぇ……あなた達は今幸せ?」  人魚は魚達に向かって問いかけた。魚達は口づけるのを止め、不思議そうに彼女の顔を見返す。人魚はふっと笑みを浮かべた。 「そうよね。おかしな質問よね。ここはとてものんびりしてる。襲ってくる敵もいなければ、食べ物に困ることもない。朝から晩まで好きなだけ歌を歌っていられて、あなた達がそれを聴いてくれる……。それだけのものが揃っていて、幸せじゃないはずがない。それは……わかってるんだけど……」  そうだ、これ以上の幸せを求めることは強欲でしかない。今まで何度も言い聞かせてきたことだ。それでも彼女の心には、近頃彼女を掴んで離さないある願いが燻り続けていた。  人魚はしばらく考え込んでいたが、不意に魚達に向かって尋ねた。 「ねぇ……あなた達は、私がいなくなったら寂しい?」  魚達はびっくりしたように動きを止め、互いに顔をーというか身体ごと向き合わせた。何匹かがぴくぴくと胸鰭を揺らしたかと思うと、人魚の二の腕を突っつき始める。 『決まってるじゃないか。僕達はずっと一緒だったんだ。そんなこと冗談でも言うもんじゃないよ。』  人魚には魚達がそう抗議しているように思えた。人魚は愛おしそうに魚達を見つめると、彼らの鱗をそっと撫でた。 「そうね、私もあなた達と離れるのは寂しいわ。できることなら、ずっとあなた達と一緒にいたい。でも……ごめんなさい。私はやっぱり行かないといけないの」  人魚はそう言って岩場から浮かび上がると、勢いよく海の底に向かって潜っていった。魚達は急いでその後を追おうとしたが、ゆったりとした彼らの泳ぎでは人魚に追いつくことはできなかった。  人魚の姿はたちまち見えなくなり、暗闇の中へと消えた。
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