海底の魔女

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「……止めときな」魔女が不意に呟いた。 「え?」  シオンは当惑して魔女の顔を見つめた。魔女はシオンと目を合わせず、再びゆっくりと薬を混ぜ始める。 「……人間なんてろくなもんじゃない。欲深くて、他人を利用することしか考えていない……。そんな奴ら、人魚の身体を捨ててまで会う価値はないよ」魔女がすげなく言った。 「そんなことないです!」シオンが勢い込んで叫んだ。「人間は素敵な生き物なんです! とても優しくて、暖かくて……。私達とだって上手くやっていけるはずです!」  シオンはそう反論したが、魔女の考えは変わらないようだ。大げさにため息をつき、ゆるゆるとかぶりを振る。 「……あんたは何もわかっちゃいないんだ。人間がどれだけ愚かで卑しい生き物か……」  魔女が静かな声で呟いた。顔を上げ、ぎょろりとした目でシオンを見据える。 「あんたは自分が人間と上手くやっていけると言うが、実際に人間どもがあんたの姿を見たら、皆こぞってあんたを捕まえようとするだろうさ。人間は欲深い生き物だからね。人魚なんて珍しい生き物を放っておくわけがない。それで売り飛ばされるなり、見せ物にされるなりするのかが関の山だろうよ」 「そんな……」 「それにね、簡単に人間になるなどと言うが、ひとたび人間になったが最後、あんたは二度と海の世界には戻れなくなるんだよ。そのことが本当にわかってるのかい?」  魔女はそう言って視線を上向けた。夜空に光る一点の星のように、明るい紺碧の海が頭上に小さく浮かんでいる。 「こんな暗闇の中に住んでるのならともかく、あんたの暮らしている場所はもっと明るい、光に満ちた世界のはずだ。そんな居心地のいい環境を捨ててまで人間になる価値があると、あんたは本気で思ってるのかい?」  シオンは言葉に詰まった。確かに自分が人間になれば、もう二度と海で暮らすことはできない。魚達とも会えなくなる。  それにシオンには、人間の生きる世界がどんなものか全くわからなかった。もし魔女の言うとおり、人間が他人を利用することしか頭にない欲深い生き物なのだとしたら、彼らの生きる世界は決して美しいものではないだろう。未知の世界に飛び込むことに恐怖を感じないと言えば嘘になった。
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