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前編
「異動……ですか?」
「スマンな、先ほどの会議で決定した。引き継ぎが終わり次第、おそらく来月頭くらいには新部門に移ってもらう」
部長の容赦ない言葉に肩を落としたが、分かりましたと答えるしかなかった。
業界では大手の衣料品メーカーに新卒で入社して勤続10年。
スポーツ選手向けの練習着や、ユニフォームなどの企画と営業を幅広く手がける部門に配属された。
やりがいもあり、試行錯誤しながら必死にやってきたが、昨今の売り上げ低迷を受けて縮小が決まり、異動することになってしまった。
「新部門とは、どういったものなんでしょうか?」
「まだ本決まりじゃないが、リラックス系のウェアを扱うことになると思う。配属はランジェリー部門の下になると思うから頼むな」
「ら……ランジェリー……ですか」
俺がポカンと口を開けたので、予想通りの反応だと思ったのだろう。
部長は軽く手を上げて、話は終わりだと電話を始めてしまった。
周囲で話を聞いていた同僚達から、可哀想にという視線を送られながら、俺はとぼとぼと自分の席に着いた。
全ての世代が求める全てのものを、贅沢な気分で心を満たす衣料品を提供したい。
ラグジュアリー&ライフ、通称L&Lは、創業半世紀ほどの衣料品メーカーだ。
取り扱う商品は多岐にわたるが、時代のニーズに合わせて変化を繰り返してきた。
学生時代からスポーツに揉まれて、スポーツ畑で生きてきた俺は、自分の経験が活かせると思い、この会社に就職した。
しかし時代の波は変わり、人々の運動に関する意識も変化していった。
ガチガチにスポーツに取り組むより、日常の延長でリラックスしながら体を動かすという方向にシフトしていく人が増えてきた。
ランニングのブームなどで、お洒落で機能性のあるウェアというものに、スポットが当てられるようになった。
それは分かってはいたものの、自分はおそらくそちらには向かないだろうと思い込んでいた俺は、まさか自分に声がかけられるとは思っていなかった。
しかも所属がランジェリー部門と聞いて、背中にゾクっとしたものを感じてしまった。
できれば一番近寄りたくなかったところだ。
それは、会社がどうこうというより、自分の気持ちの問題でもあるのだが……
「大森雄星くんね。田畑部長からイチオシを送るからって聞いてたけど……デカいわね」
新しい上司となる鈴谷部長は、キリッとした美人の女性だった。
面談に現れた俺を上から下まで眺めて、口をあんぐりと開けて驚いた顔になった。
「すごいガタイがいいわね。学生時代、スポーツとかやってた?」
「高校時代はサッカーを、大学ではずっとラグビーをやっていました。すみません、俺なんかが来てしまって、門外漢もいいところで……」
「やだ、そんなに恐縮しないで。いいのよ、私が男性の視点から意見が欲しかったから。大森クンみたいな、雄々しいタイプ大歓迎」
鈴谷部長は目を細めて柔らかく笑った。
気が強くて怖そうだと思った第一印象は少しだけ和らいだ。
「聞いていると思うけど、所属はランジェリー部門になるわ。スポーツ系のアンダーウェアがメインになるから、共同してやってもらうこともあるわ」
「はい……」
「こっちは男性自体が少ないし、ランジェリーなんて聞いて気まずいところもあると思うけど、なるべくやりやすいようにするから、気兼ねなく言ってね」
「はい、頑張ります」
社会人生活10年。
それなりに身についた笑みを浮かべて無難にやり過ごした。
だが、心の中ではため息をついていた。
女性の多い職場に気後れしてしまうのは確かにある。だが、胸につかえているのはそういうことではない。
自分自身の内側に潜んだものが、少しでも出てしまわないか、それが心配だった。
駅から歩いて十五分、マンション一階の角部屋。
ここは俺にとって、独身一人暮らしの男の城だ。
とぼとぼと歩いて自宅に着いた俺は、玄関の鍵を開けて、他のことなど後回しである部屋の前に立った。
カチャリとドアを開けて部屋の電気を付けると、そこには女性の下半身のトルソーがまるで家族のように俺を出迎えてくれた。
トルソーには女性用のランジェリーが着けられている。
L&Lの商品で、ナイトドリームと呼ばれるシリーズのティーバックショーツだ。
高級感のある着心地と夜をテーマにして、黒の総レースで仕上げられた完璧なフォルム。
何度見てもその美しさにうっとりしてしまい、俺はトルソーの前に座り込んで頬を寄せた。
「ただいま」
この時間が一番癒される。
頬を滑る繊細なレースの肌触りを感じながら愉悦に浸る。
いい歳した大人の男が部屋に女性用のランジェリーを飾って感触を楽しんでいるなんて、変態の極みだと思うのだが、俺の場合こんなものでは満足できない。
急いで服を脱いだ俺は、シャワーを浴びて体を綺麗にしてまた例の部屋に戻った。
今度は自分で身に着けるために……
伸縮性があるとはいえ、女性ものは男のそれとは違う作りになっている。
もちろんこんなデカい男が着ることなんて想定していないので、身に着けるとショーツは窮屈そうに伸びた。
部屋に備え付けられた姿見には、下着を身に着けて恍惚の表情を浮かべる男の姿が映っていた。
「ああ、やっぱり、思った通りだ……。伸びてもレースの形は上品だし、肌によく馴染む……やっぱりナイトドリームのシリーズは最高だな」
もちろん女性には付いてないモノがあるので、ショーツの前は膨らんでいる。この非日常の光景が嬉しくてたまらなくなってしまう。
「しかし……ランジェリー部のすぐ側で働くことになるなんて……、理性が保てるか自信がない」
ただでさえ、L&Lのランジェリーの大ファンなのだ。だからこそ、リアルでは近づかないようにしていた。
それがまさかその中心に飛び込むことになるとはと、嬉しいというより戸惑いが大きかった。
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