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「乾杯ーーーーー!」
カチンとグラスが合わさる音がそこかしこから聞こえてくる。
そして華やかな女子社員の可愛らしい声がいたるところから……
こんなはずではなかった。
俺は自分の目の前で串から肉を外しながら、見てください美味しそうですよと言って微笑む男を見ていた。
部内のこじんまりとした飲みを想定していた俺は、想像していなかった現実に言葉を失った。
飲みはフロア全体の大人数で居酒屋を貸し切る規模だったのだ。
そしてみんなの王子様である雅も参加で、もちろんヤツの近くの席は争奪戦となり、結局、男の俺なら誰も文句がないと一緒のテーブルにされてしまった。
今一番離れなければいけない男と二人テーブルになって、サシ飲み状態という非常にマズイ状況だった。
「大丈夫ですか? こまっちゃんに聞きましたけど、ドラマを見て寝不足って……」
見た目チャラい王子だが、性格はいたっていいヤツである雅は、早速俺の顔を見て心配の言葉をかけてくれた。
「そうなんだよ、大丈夫大丈夫。いい歳して恥ずかしいから、あまりツッコまないでくれ」
「えー、気になります。どんなドラマですか? 俺、結構見てますよ」
「か……海外の名前なんだっけな……長くて覚えられなかった。はははっ」
バカだった。
普段ドラマなんてろくに見ないのだから、聞かれることを想定して、せめて人気作とあらすじくらいチェックしておくべきだった。
「えー、じゃ思い出したら連絡ください。大森さんがそんなにハマるなんて、俺も見たいです」
嘘というものは、一つつくと、つき続けなければいけない。嘘なんて言うもんじゃなかった。
とにかく帰ったら、海外ドラマ、どハマり、必見とかでググらないといけなそうだ。
何をしているんだ俺はと思いながら、目の前のビールをごくごくと飲み干した。
「わっ……、大森さんっていける口ですか? 嬉しいなぁ、俺もザルなんで、一緒に飲める人なかなかいなくて」
俺はザルというほど飲めない。あまり顔にはでないが普通に酔うし、陽気になって眠くなる。
悩みの種であるご本人が目の前にいるのだが、もうあれこれ考えずに飲みまくってやろうと決めた。
「こっちにつまみはいい。焼酎ロックでくれ」
今日はリーマンに優しい飲み放題。店員を呼び止めて、どんどん注文していくことにした。
俺の注文に、ファジーネーブルとかカシスウーロンとかを注文していた女性陣は、みんなうわっという顔をした。そりゃ今の若い子からしたら、いかにも加齢臭がしそうなチョイスだ。
「いいですね、俺も同じのを」
雅だけはテンションが上がったらしく、嬉しそうに手を上げて店員に声をかけた。
若い女の子の店員はハイっと言って下を向いたが、頬が赤くなっているのが見えた。
さすがの王子様はどこでもファンを作ってしまうらしい。
俺の時のぶっきらぼうな対応とは大違いだ。
「大森さんと飲めるなんて、お手柔らかにお願いしますよ」
雅は童話の中に出てくる本物の王子様みたいだ。
綺麗でカッコ良くて、性格も良くて酒まで強いとは、もう自分の王国でも築いてくれと思いながら、俺は自分の前に置かれたグラスを手に取った。
「おおもりさーん、大森さん、聞いてますか? 大丈夫ですか?」
「ん? んんんっ、だい……ぶ」
視界が雲がかかったみたいにぼやけていて体が重い。床がすごい力で俺を吸引している感じで、気を抜くと床に飲み込まれそうだ、なんておかしな考えしか浮かんでこない。
「雅くん、タクシー呼んでるから、部長が任せてって言ってたよ」
「大森さん、ガタイいいから女性には無理ですよ。大丈夫です。明日休みだし、大森さん運んだら、俺もそのままタクシーで帰りますから」
運ぶという言葉が頭に入ってきて、何のことだろうとちょっとだけ冷静な自分が残っていた。
とりあえず足に力が入るので、雅に肩を貸してもらい歩くことができた。
歩きながら思い出してみれば、俺は飲み会で焼酎やら日本酒をガンガン飲んでそこから記憶がない。
こんなバカな飲み方をするのは生まれて初めてだった。
でもそのおかげというか、体がふわふわしてきてよく眠れそうだと思った。
タクシーに乗せられそうになったところで俺の意識は少し戻ってきた。
「……て、そこの……シティ……ホテルを」
「え!? ホテル……ですか?」
「そう……だ、帰りがめんど……だから、部屋……取ってある」
今日は飲むつもりだったので、迷惑をかけないように居酒屋のすぐ近くのホテルに部屋を取っていた。
そこまで連れてってもらえれば、あとは自力で部屋まで行けそうだ。
なんとかそれを雅に伝えると、雅はクスッと笑ってじゃあホテルに行きましょうと俺の耳元で囁いてきた。
なんだかやけに色っぽい声だななんて、酔っているからかまたバカなことを考えてしまった。
「エレベーターまででいいよ。後は勝手にやるから」
ホテルに着いて代わりに受付を済ませてくれた雅は、なんとか立っている俺にまた肩を貸してくれてエレベーターに一緒に乗り込んだ。
「部屋、空いてたんでツインに変更してもらいました。ここからだとタクシー代の方がかかりそうなんで、一緒に泊まってもいいですか?」
「えっ………泊まる? 誰が?」
「俺ですよ、俺。おっ、16階って最上階みたいですよ、行きましょう!」
べろべろの俺と違い、一緒に飲んだはずの雅は強いと言うだけあって、全く酔った様子がない。
俺は歩くことに精一杯で、雅の言葉の半分も理解していなかった。
部屋の前に着いて、雅にありがとうと頭を下げたら、またクスクスと笑われてしまった。
「大森さーん、一緒に泊まるんですよ。入りましょう」
「とまる……雅……が? ええ!?」
やっと状況が分かってきた俺を置いて、雅は鍵を開けてスタスタと中へ入って行ってしまった。
これは………マズい、非常にマズい!
雅に対して邪な妄想して、オカズに……まだしてはないが、そんな変態思考の俺が雅と二人きりで泊まるなんて………。
酔っているし自分が一番信じられない。
あんな妄想をする俺だ、気がついたら後輩を襲ってしまったなんてことは、絶対にだめだ。
「雅、ちょっと……話し合おう、マズいんだって」
ようやく決心がついて部屋の中へ入った。
雅には他の部屋に移ってもらうことしよう。
一人でゆっくりしたいとか何とか言って、俺が金を出すと言えば断られないだろうと考えた。
声をかけても雅の姿はなく、キョロキョロと辺りを見回したら、バスルームからシャワーの音がした。
なんということだ……。
雅は帰ったら即シャワー派か!?
これでは他に移れなんて言えなくなってしまった。
フラフラしながらベッドまでたどり着いた俺は、二つ並んだベッドを見て、もうこうなったら寝てしまえと諦めた。
というかもう体は重いし瞼も限界だった。
ここ数日の寝不足が一気に眠気を運んできて、服を脱ぐことすらもう無理だと諦めた。
スーツのままバタンとベッドにうつ伏せに倒れた俺は、枕に顔を埋めた。柔らかい照明と、どこかから聞こえる水の音。
一人暮らしの静かで暗い部屋とは違う。
誰かがいる気配が俺の心をじんわりと温めた。
程なくして俺は、今度こそ本格的に眠りの世界へ入って行った。
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