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キッカケは親への反抗、だったかもしれない。
高校二年の夏。
その日は朝から風の強い日で、風の音がうるさいなと思って、俺は自分の部屋の窓を開けた。
すると強風が一気に吹き荒れて、うわっと言いながら腕で顔を防いで目を閉じた。
ぱさっ。
部屋の中に乾いた音がした。
何かゴミでも入ってきてしまったのかと、目を開けて確認すると、それは一瞬ただの黒い布のように見えた。
しかし次の瞬間、その明らかな形から繊細なレースで作られた女性用のパンツだと気がついた俺は、声にならない声を上げて壁に張り付いた。
過保護な母親は性的なものが生活に入ってくるのを極端に嫌がった。
いつまでも、素直で小さな子供のままいて欲しかったのか知らないが、性を感じさせられるようなものは排除された。
俺だって思春期の男の子だったが、スマホやパソコンはフィルターをかけられて、履歴をチェックされるので自由に使えずにいた。
同級生達の話に付いていけず、寂しい思いをしていたが、それが当たり前なのだと気持ちを押し込めて従っていた。
そんな俺の柔らかい檻の中に、突然異質な、母が知ったら発狂しそうなくらいの爆弾のようなものが飛び込んできた。
向かいのマンションの人か、上の階の人か、おそらく洗濯物だろうと思ったが吹き荒れる風でどこから飛んできたのか分からない。
とにかく母に伝えようと、俺は足を震わせながら自分の部屋を出た。
リビングに向かいドアに手をかけて、ゆっくりと開いたところで母の明るい声が聞こえてきた。
「へぇ、それは大変ねー」
母は交友関係が広く電話好きな人で、友人の子育て相談なんかにも気軽に乗っていて、長い時間電話で話していることが多かった。
俺にとっては緊急事態で、早く終わってくれないかなと思っていたら、母の口から俺の名前が出て、ビクッとして体の動きが止まった。
「だって雄星は反抗期なんてないから、ウチはそういう苦労はないわ。本当、従順でイイコよ。言われたことは何でも素直に頷いてくれるし、え? 羨ましい? はははっ、私の育て方よ」
友人への息子自慢なのか、母なりに俺を褒めているつもりなのだろう。
それは理解できた。
だが、母の言葉は重くのしかかってきて、口の中に苦い味が広がった。
気がついたら自分の部屋に戻っていて、床に落ちている女性の下着の前に座っていた。
俺だって自分の意思でやりたい事や欲しい物がたくさんあった。
それを我慢して押し込めてきた。
母が好きだったから、悲しい顔をさせたくなかった。
自慢の息子、そうであればいいと思ってきたが、まるで扱いやすい人間のように軽く言われてしまった気がした。
自分にプライドなんてないと思ってきたけれど、ムカムカとして胸が痛いと感じるのは傷つけられたからだろうか。
むしゃくしゃして体の奥からこみ上げてくるのは確かに怒りの感情だと思った。
目の前には母が見たら卒倒しそうな、セクシーな下着が落ちている。
どこの誰ものものが分からない。
悪い事だというのは分かっている。
母への反抗。
俺がこれを持っていたら、母はどんな顔をするだろうか。
初めはそんな気持ちだった。
その下着に触れた俺は、そっと自分の机の奥にそれをしまい込んだ。
ただの従順な息子から、一人の人間になれたような気がして胸の中は晴れたように明るくなった。
ピピピッという電子音が聞こえて、泥のような眠りから覚めた。
よく寝た。
こんなに熟睡できたのは久しぶりだった。
目を擦りながら、あくびをしていつものように枕元に置いているスマホに手を伸ばした。
いつもの位置にスマホがないことに気がついて、そうだホテルに泊まったのだと思い出した。
起き上がろうとしたら、やけに狭いことに気がついて隣を見て体が固まった。
髪の毛が……温もりが……人が………寝ている。
驚いて声を上げそうになって自分の体を見たら、スーツを着たまま寝てしまったはずなのに、服がなく裸だったので今度はうおっと声を上げてしまった。
すると俺の隣にはふわふわの髪の毛見えていたが、それがもそもそと動いて、布団の中から顔が出てきた。
「んんーーー、おーもりさん、目覚まし、止めてーー」
「あ、あ……ああ、悪い」
言われるままにベッドサイドに手を伸ばした俺は、そこに載っていた自分のスマホを手に取ってアラームを消した。
そこで、ん? となって、隣の人物を二度見してしまった。
「ふふっ、おはよーございます。よく眠れましたか?」
女子社員の王子様は寝起きでもキラキラしていて、眩しくて目が眩んでしまった。
ヨダレのあとや伸びかけたヒゲとは縁がないのかもしれない。
ため息の出そうな美しさだった。
「よく……ねむれた」
頭が回らなくてロボットみたいに返事をしたが、ベッドから上半身を起こした雅の姿を見たら、ヒィィと掠れた悲鳴を上げてしまった。
雅もまた、俺と同じで裸で何も纏ってはいなかった。
朝起きてベッドの上で二人とも裸、この状況はどう見ても………
ベッドは二つあったが、もう一つはピシッとシーツが張っていて、少しの乱れもない。使っていないのは明らかだった。
俺は一縷の望みで、スーツがシワになるから脱がしてくれた、というもうありえない状況にかけてみた。
「あ……あの、……昨日は……その……」
俺が二人の格好を見比べるようにして、しどろもどろに問いかけると、雅は目を細めてぱっと顔を赤らめた。
オワッタ………
カンゼンニオワッタ………
俺は、酔って後輩を襲ってしまった……。
こうしてはいられないと、起き上がった俺はベッドから飛び降りて床に頭をつけて土下座をした。
「すまない! なんと謝っていいのか! 本当にすまない! 酔っ払って……俺はなんてことを……」
「そんなっ、大森さんやめてください!」
「いや、これは後先考えず飲みまくった俺の責任だ! まさか、雅に……なんてことを……、すまない! 何でもする! 責任は取る! 警察にも……」
床に頭を擦り付けて謝罪する俺の横に近づいてきた雅は、頭を上げてくださいと言って俺の背中を撫でた。
「大げさです。警察とかそんな話じゃないですから!」
「雅………」
「俺は……今まで通り仲良く接していただきたいです」
信じられない。
酔っ払った変態野郎に襲われて、そんな優しい言葉をかけてくれるなんて、会社の先輩だから大目に見るとかそんな話ではないはずだ。
この方は、王子様ではなく、天使様かもしれない……輝きが増して神々しさまで漂ってきた。
「大森さん、これからもっと仲良くしてくださいね」
雅は床に這いつくばる俺に手を差し伸べて、口の端を形よく引き上げて微笑んだ。
俺は天使の微笑みにすっかり魅了されて、はいと小さく声を出してその手に自分の手を重ねた。
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