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「おかえり」
アパートの階段を上がりきると俺の部屋の前に座り込んでいた『レイ』が笑顔で出迎えた。
「──…………」
半年ほど前知り合って、行く所が無いと言うレイにしばらくの間寝床を与えたことがあった。
そして半月ほどたった後、まだ学生だった俺が授業を終えて帰ってくると、レイは何の痕跡も残さず跡形もなく消えていた。
「また行くとこ無くてさ、泊めてよ」
レイは立ち上がると床に座って汚れた尻の辺りをパンパンと叩いて砂埃を落とした。
俺が家の鍵を開け入ると当然の様に後から続いて入ってくる。
リビングにカバンを置きシャツのボタンを緩めながらキッチンへ向うと、レイはリビングのソファーへドカッと座った。
「…何か飲むか?」
「何があるの?」
「……麦茶か…コーヒー」
「牛乳ないの?」
──牛乳……?
「あるけど……」
「じゃあカフェオレ作ってよ。甘いヤツ」
俺はレイに言われた通りに甘めのカフェオレを作りながらソファーに座る端整な顔だちに目を向ける。
大きな瞳をまるで隠す様に前髪が鼻の辺りまできている。
俺はこいつのことを『レイ』と言う名前だということしか知らない。
それすら本当の名前か怪しいもんだ。
半年前…友人と飲みに行った帰りに、地面に座り込んでいたレイが目について何となく声を掛けた……。
相当酔っていたせいもあり、正直話すまで女の子だと思って声を掛けたから、男だと分った時は本当にガッカリした。
けれど、話してみると意外と面白い奴で、寝床が無いと言うレイを連れて帰ったのだ。
「ほら、カフェオレ」
俺がレイの前に置くと
「ありがとう」
嬉しそうに微笑んだ。
半年前より少し大人びて見える。
相変わらず華奢で細いが、酔っていても女の子には間違えない程度には男っぽくなっていた。
「お前……相変わらず人の家泊まり歩いてんの?」
「まさか、たまには家に帰ってるよ」
カフェオレを飲みながらスマホをいじりだす。
──まるで自宅の様なくつろぎ方だな……
「メシ食ったの?」
「食べてない」
「……何かとる?」
「んー……修二が何か作ってよ」
──名前……ちゃんと覚えてんだ……
「面倒臭ぇなぁ……」
そう言いながら、レイが名前を覚えていたことに気を良くした俺は二人分の食事を作った。
「俺、先に寝るからレイも適当に寝ろよ」
食事を済ませお互いにシャワーも浴び、俺は明日の仕事のことを考えてさっさと寝室へ向かった。
しばらくして俺がウトウトし始めた頃、寝室のドアが開く音で目が覚め、ベットにレイが入ってきたのが分かった。
「……本当に先に寝るつもりかよ?」
横向きで寝ていた俺の腕の間にレイが忍び込んできた。
「明日…早いんだけど……」
そう言いながら俺はレイの侵入を許し、柔らかい唇を受け入れた。
何度か触れるだけのキスを繰り返し、やがてレイの舌が俺の舌に絡みつく……。
あの日、レイと出会うまで、まさか自分が男とセックスする日がくるなんて思いもしなかった。
友達が家に泊まるように、レイもただ泊めてやるだけのつもりだった。
レイが出ていった後も、別段男としようとも、したいとも思わなかった。
ただ……レイだけが……特別だった……。
俺は半年前より少し広くなった肩を抱きしめた。
──それでも……10代後半…ってとこかな…まさか…義務教育……ってことはないだろう……。
バレたら冗談抜きでマズイな……と思いながら、俺とレイの荒い息遣いが響く部屋で何度もレイを犯した……。
俺が家を出る頃になって、ようやく起き出してきたレイは
「……行ってらっしゃい」
そう言いながら欠伸をした。
「お前…今日もいるの?」
俺は出来るだけ素っ気なく聞いた。
半年前……急にいなくなったレイに、俺は少なからずショックを受けたからだ。
「……修二がいてほしいならいるよ」
レイが何とも言えない表情で俺を見つめる。
──言葉の意図が…解らない……。
「…………好きにしろよ」
しばらく見つめ合った後、そう言い残し俺は家を出た。
仕事から戻ると当然ながらレイは姿を消していた。
『修二がいてほしならいるよ』
朝のレイの言葉が耳に残っている。
俺はレイがいなくなった時、ショックを受けない様に保険をかけた。
『冷たくしたんだから、いなくて当然だ』と言い訳出来る保険……。
「岡野先生!」
昼休みに次の授業の支度をしていると教頭が机のそばまでやって来るなり
「今日放課後、時間空けておいて下さい」
威圧的にそう告げた。
「え…あ……はい……分かりました」
──せっかくの金曜の夜なのに……また仕事をお持ち帰りかよ……。
俺は内心ため息をついた。
「先生の受け持ちの3年3組の水嶋の母親から先程連絡がありまして」
教頭が俺の落ち込みに気付く様子もなく話を続けた。
──受け持ちったって…俺…たかだか副担じゃん……。
「本人が今日なら面談しても良いと言っているそうで…。夕方連れてくると言うので私と生徒指導の小松先生と岡野先生でお願いします」
「はあ……」
「担任の竹中先生がお休み中で…タイミングは悪いとは思うんですがね…」
さすがに思う所があったのか教頭の口調が柔らかくなって俺に向けて苦笑いする。
「まぁ……岡野先生は水嶋本人と一番年齢も近いですし……。話しやすいかもしれませんからね」
と、言いたい事だけ言うと早々に戻って行った。
教頭の姿が見えなくなると、俺は大きなため息をついた。
年齢が近いと言うことはキャリアが無いと言うことで……。
俺は4月から新卒で、この美高中学校で教員採用となったばかりだ……。
たかだかまだ3ヶ月……。
水嶋……名前は知っている。
しかし、顔を見た事すらない。
俺は自分の椅子に座ると3年3組の名簿を取り出した。
──水嶋 玲良……これで『あきら』って読むんだ……。
1年の頃から不登校気味で2年の半ばには完全な不登校になったと聞いている。
タチが悪いのは引きこもりでは無く、家にすら滅多に寄り付かないこと…。
だから担任の竹中も家庭訪問をしても本人と会えずにいた。
──それが…選りに選って担任が病気で出勤停止の最中に来なくても……。
俺は3年3組のホームルームが終わると片付けを始めた。
担任が休みの間、これも副担の俺の仕事になった。
「岡野先生!」
女子生徒数人が集まって来た。
「竹中先生いつから戻るの?」
「ずっと岡野先生でいいのにー!」
盛り上がる中俺は「ははは…」と笑って誤魔化した。
悪い気はしないが、さすがに中学生に興味はない……。
「岡野先生!」
突然入口から生徒指導の小松が顔を出した。
「そろそろお願いします」
「あ!はい、すぐ行きます」
俺は慌てて片付けを終わらせ、小松の後を追った。
結局……水嶋親子が来たのは6時を回ってからで、俺は自分の机で出来る仕事を済ませていると、やっと呼ばれ応接室に入っていった。
「失礼します」
頭を下げて入って行き、顔を上げるなり目を疑った。
年配の女性の隣に……
───『レイ』が座っている。───
心臓が爆発するんじゃないかと思う程鼓動が早くなった……。
───嘘だろ…………。
制服を着て俯いているが間違いない。
あの長い前髪と綺麗な横顔……。
一週間ほど前…………
俺の腕の中で艶めかし声をあげていた……
細い身体を仰け反らせ……
何度も俺を受け入れた…………。
「岡野先生!」
教頭の声で俺は我に返った。
「座ってください」
「すみません……」
少しイラついた様に言われ、とりあえず小松の隣に座った。
俺はどうしていいか解らず、少し俯きながらレイの顔を盗み見た。
俺に気付いていないのか、ずっと俯いている。
教頭と小松が母親と見られる女性と話をして、頻りにレイに話しかけるが、まるで耳が聞こえてないんじゃないかと思う程全てに無言で返している。
「……それじゃあ…岡野先生、玲良くんと生徒指導室で待っててもらっていいですかね?玲良くん、お母さんともう少し話をさせてね。学校の様子を岡野先生から聞くといい」
教頭が優しくレイに話しかけ、俺に向かって『連れ出せ』と言わんばかりに頷いて見せた。
「…………水嶋くん…僕と行こうか……」
こんなに気まづいのは生まれて初めてだ…。
レイはチラっと俺に視線を向けると立ち上がり俺の後に続いた……。
──最悪だ…………。
生徒指導室でレイと向かい合って座っている……。
──実はそっくりな生き別れの兄弟がいるとか無いだろうか……
──せめて…夜は人格が変わって、全く覚えてないとか……。
俺は相当焦っていた。
未成年と寝ただけでアウトなのに……。
自分の学校の…しかも中学生とか……。
完全にニュースに出られる案件だろ……。
背中に嫌な汗が流れている。
「えっと……水嶋くん……」
「レイでいいよ」
──いやいやいやいやいやいやいや……こっちは全然良くないからっ!
「……僕は4月から…副担任になった……」
自己紹介をしようとして、今更名前を明かす事に躊躇いが生まれる……。
「修二……岡野修二でしょ?」
「……そう…。岡野です」
「知ってるって」
───ですよね……。
「……数学を担当させてもらってます」
「……へぇー……」
レイが応接室にいる時とはまるで別人のように全てに反応してくれる……。
「ねえ!……俺がいて迷惑だったの?」
突然の質問(!?)に俺は入口に目を向けた。
「誰も来てないよ」
レイが呆れたように椅子の背もたれに寄りかかる。
「えっと……そう言う質問は……」
俺が引き攣った笑顔を向けると
「迷惑だから…好きにしろなんて言ったわけ?」
───聞いてねぇし……
「だから、今は学校のこと……」
「教えてよ」
レイがまた何とも言えない表情を浮かべた。
長い前髪の間から大きくて綺麗な瞳が俺を見つめている。
俺はため息をついて
「……迷惑だと思ったら、部屋になんて入れないよ……」
ボソッと言った。
その言葉を聞くとレイは嬉しそうに
「そっか……。俺…タダでやらせるの……修二だけだよ」
そう言って笑った……。
テレビからくだらない雑音が流れている。
何が面白いのか全く解らない漫才でテレビの中の人間は笑っている。
───芸能人も大変そうだな……。
俺は3本目の缶ビールを開け喉の奥へと流し込んだ。
机の上にはノートパソコンが開かれたまま俺が操作するのを待っている。
仕事をしなければ……と思うのに一向にやる気にならない。
夕方のレイの言葉が頭から離れない。
『タダでやらせるの修二だけだよ』
レイは嬉しそうにそう言った。
そしてその後「誰にも言わないから心配しないで」……とも……。
俺は自己嫌悪に陥っていた。
勝手にレイは10代の後半で、その割に小柄で華奢だと決めつけていた。
そうじゃなかった……。
中学生の割に身長もあって細いがごく一般的な体型だったんだ……。
たまたま子供らしからぬ色気と大人っぽさを持ち合わせていた……。
半年前……初めて抱いた時も全てに慣れすぎていた。
戸惑い躊躇う俺を見事にその気にさせて、夢中にまでさせたんだから……。
───誰が中学生だと思うんだよ……。
『タダでやらせるの修二だけだよ』
再びその言葉の意味を考える……。
もちろん言葉の意味は解る。
しかし……その意図は……?
レイの資料に目を通す。
両親は共に揃っていて兄弟は無し。父親は有名な企業で働いていて、決して貧しいとは言えない家庭で育っている。
虐待の形跡も今のところ特に無し。
──じゃあ…なんで自分を売ってまで家に寄り付かない……?
──それとも…レイの言うことを真に受けちゃダメなのか……。
俺はため息をつくと、残りのビールを一気に呷った。
人の心配をしている場合じゃない……。
これがバレたら懲戒免職だ……。
二度と教職にはつけなくなる。
──別に教師の仕事に格別憧れていた訳でも、熱い思いがあって教師になった訳でもないけどさ……。
23歳で懲戒免職は……キツすぎる……。
しかも……強制わいせつ罪……。
───ガチで……キツい……。
俺は全く酔えない頭を抱えた……。
『ピンポーン』
頭の何処か隅で聞こえて目が覚め、慌てて起き上がった。
──遅刻───!?
枕のすぐ横に置いてあるスマホを手に取ると10時を過ぎていてベットから飛び起き、パジャマのボタンを外しながらリビングへ向かった。
───あれ?……今日……土曜日……
カレンダーを見つめる俺の耳に再び『ピンポーン』とドアフォンの音が響いた。
───なんだよ……ったく……
俺はため息をつきながら玄関へ向かいドアを開けた。
「おはよ」
「……………………」
俺は黙ったままドアを閉め、今目にしたものを夢だと思うことにして部屋に戻ろうとした。
すると……
「おい!知らん顔すんなよ!」
外でレイがドアを叩き出した。
俺は仕方なしチェーンを掛けたまま今度は出来るだけ細く開けた。
足を突っ込まれないためだ。
「……どうしたの?水嶋くん」
作り笑顔を向けるとレイは怒った様にムスッとして
「開けてよ。迷惑じゃないって言ったじゃん!」
細く開いた隙間から俺を睨みつけてきた。
「……僕は君の先生だからね。個人的に家にあげる訳にはいかないんだよ」
俺は優しい口調で出来るだけ愛想良く言った。
「………………」
「それじゃ。また学校でね」
俺がドアを閉めようとした瞬間
「言ってやる……。洗いざらい全部……」
レイの冷ややかな声が聞こえて俺は慌ててチェーンが伸びる限りドアを開けた。
「お前……!昨日言わないって……」
「開けてくれたら言わない」
レイがにっこりと微笑んだ……。
俺の人生は何故か『恋愛』に関してツイてない……。
高校の時初めて出来た彼女は友達が羨ましがるほど可愛い子だったが、とにかくワガママでついていけず別れ話を切り出した。しかしそれが上手くいかず、彼女はストーカーへと豹変した……。
来る日も来る日も家やバイト先で待ち伏せされ、新しい彼女ともその娘が元で上手くいかず、俺はノイローゼ寸前まで追い込まれた……。
大学で地元を離れサークルで知り合った娘は格別可愛い方ではなかったが、優しくて家庭的で俺に癒しをくれた。
だが実際は三股をかけられていて……。
将来的に一番見込めない……と捨てられた。
そして……教師になろうと思った切っ掛けは大学二年で出来た彼女……。
とにかく真面目で面白みにはかけたが一緒に勉強をし、教師になろうと励ましあった。
彼女に合わせてひたすら真面目に、飲みにも行かなくなった。
俺は何となく「この娘と結婚するんだろうな…」とまで思っていたのに……。
『修二といても面白くない』と……
面と向かって言われたのがレイと知り合う一週間前の話だ…。
そして何故か……俺は今チャーハンを作らされている。
「ケチャップ味のウィンナーとチーズが入ったやつ」と言うレイのリクエスト……
いや……これはもう命令に等しい……。
『弱味』を握られている俺に、果たして拒否権はあるのだろうか……?
「これ、美味いよね!俺、修二が作ってくれたメシの中で一番好き」
レイがチャーハンを前に嬉しそうに俺に微笑んだ。
「……そんなん…作ったっけ?」
「俺を泊めてくれた最初の日に作ってくれたじゃん」
覚えてなかった俺を責めるように頬を膨らませている。
──……そうだっけ?……あの日はとにかく酔っていて…腹が減ったって言われて何か作ったような気はするけど……正直覚えてない……。
そんな俺をよそにレイは美味そうに頬張り始める。
「……お前……それ食ったら帰れよ…?」
「ヤダ」
───ですよねぇ…………
心配してくれる母親がいるのにまさか飯を食いに来た訳じゃあるまい……。
俺はため息と共にソファーに腰掛けた。
「修二は食べないの?」
唇をケチャップで赤く染めて俺を見つめる。
「昨日飲みすぎたからいらねぇ」
「……あんまり飲むなよ。身体壊すぞ?」
───……お前のせいな……?
俺は思わず顔を引き攣らせそうになりながら「ははは……」と笑った。
───いや……レイのせいじゃない。俺の責任だ……。
もし……もしまた偶然誰かと知り合って、セックスするような事があったら俺は…年齢確認をしようと決めた……。
──まあ……もう懲り懲りだけどさ……。
「お前さぁ……なんで…『売り』なんかやってる訳?……それともあれは嘘か?」
レイは俺の言葉に手を止め、口の中の残りを飲み込むとじっとチャーハンを見つめた。
「……嘘じゃないけど…。なんでそんな事聞くんだよ……」
レイは面白くなさそうに再びチャーハンを食べ始めた。
「どうしてって……さっきも言ったけど、俺一応お前の先生な?」
俺が呆れたように言うと
「……修二は修二だよ」
もっと面白くなさそうに返してきた。
───なんだそれ…………。
レイはチャーハンを半分ほど食べるとスプーンを机に置き
「あー!!もうっ!修二に会いに学校なんか行くんじゃなかった!!」
頭を抱えてソファーに倒れ込んだ。
───俺に……会いに……?
「……どういう意味だよ……」
俺は頭が混乱していた。
あの日……レイが学校に来る気になったのは……。
「……修二に会いたかったから……」
「……だって……俺が教師だって……」
俺が美高中で教師になってから、レイは一度も登校してないはず……。
「この間泊まった時…カバンの中見た」
───こいつ…………
「そしたら美高中の首から下げるヤツ入ってて……。学校行ったら…会えるかなって……」
「なんだそれ……」
思わず口をついて出た。
「会いたいって……お前……家来てんじゃん」
レイは俯いて不貞腐れたように口を尖らせている。
──別に責めてる訳じゃない。俺がしてしまったことは変わらない訳で。
「……だって……」
レイがボソッと
「あの日……迷惑そうにしてたから……」
呟くように言った……。
────『好きにしろよ』────
確かに俺はあの日冷たくそう言った。
それは迷惑だったからじゃないし、『レイがいたいならいていい』と相手に委ねた言葉のつもりでいた。
けれど、おそらく……レイはそれを、よく親が言うことを聞かない子供に使う最終警告の様なそれと受け取ったのだろう。
『好きにしなさい!お母さんもう知らないからね!』と言うあれだ……。
俺は呆れて笑った。
「迷惑だったら部屋にあげて飯まで作ってやる訳ないだろ……。それに……」
それに…平日にも関わらず、あんなに何度も……。
思わず口を滑らせそうになって慌てて口を閉じた。
───それが問題なんだった……。
「それに……なんだよ」
レイが聞き逃さず突っ込んできた……。
「それはどうでも良いんだよ!問題なのは俺に会いに学校に来た事じゃなくて、お前がなんで売りまでやって家に帰らないかだろ?」
俺は慌てて誤魔化した。
これ以上犯罪を重ねるようなことだけは避けたい……。
「……家にいたくないから……」
「…なんで?」
「……親父がクソだから………」
──父親との確執か……思春期ならあって当然だけど……本人にすれば大問題なのは解る。けど……それで……
「外に女がいるんだって……。それでしょっちゅう母さんと喧嘩になって……。母さんが殴られる時もあるし……」
レイがボソッと話し出した。
「それが嫌で家出して……。町でうろついてたら知らないおっさんに声かけられて」
レイはスプーンを手にするとチャーハンをそれでいじり始めた。
「一晩一緒にいたら金くれるって言うから……」
俺はレイの話を聞きながら自分の鼓動が早くなっているのが分かった。
「金さえあれば、あんなクソ親父と一緒にいる必要無くなるし……。そしたら母さんと二人で家を出たいんだ……」
レイの言葉に嘘は無いように思えて、俺は何と言っていいか分からなかった。
自分が遊ぶ為の金ではなく、母親と家を出る為の金を、まだ中学生のレイが売春までして稼ごうと言うのだ。
俺はため息をついてレイの頭を撫でた。
「お前……それ母ちゃんにちゃんと話せ。必要なら俺の事を言っても良いから……」
レイが驚いた様に俺を見つめた。
「お前一人でどうこうなる問題じゃないだろ……。母ちゃんだってお前がそんな理由で売りまでやってるって分かったら…こんな切ない事ないぞ?」
「………………」
レイが黙ったまま俺を見つめ続けている。
自分でもバカだと思った。
この話が明るみに出ればレイ親子には行政の手が差し伸べられるだろう。
けど俺は……
中学生男児への強制わいせつ罪で断罪される……。
最悪な未来しか見えなかった……。
それでもそんなレイを見て見ぬふりを出来る程、自分の事しか考えられない様な人間にはなりたくなかった。
人を平気で殴る様なレイの父親や、家出した子供を金で買うような奴らの様に……。
──けど……世間から見たら俺も同罪なんだろうな……。
「俺さ……結構稼げるんだよ?」
突然レイが言い出した。
──だろうな……。キレイな顔立ちでスタイルも良い。色気もあるのに、実は子供となりゃ……需要はそれなりにあるだろ……
俺は思わずため息をついた……。
──俺もその色香に惑わされた一人だよ。俺の場合子供だと見抜けないマヌケだっただけだ……。
「修二と初めてあった日も客を探してたんだ。そしたら修二が女と間違えてナンパしてきてさ……」
「よく覚えてんな……」
俺が苦笑いする。
「時々あったから、女と間違えられること。けど…男だって分かるとみんなどっか行くのに、修二だけはそれでも俺を家に泊めてくれて…メシまで食わせてくれて……。こんなヤツいるんだなってびっくりした」
「結構いるさ。たまたまお前が知り合わなかっただけだよ」
「それでも……びっくりした。全然男に興味無さそうなのに優しくしてくれてさ。俺に出来ることないかな…って考えたら、結局『あれ』しか思いつかなくて……」
──思いついてくれなくて良かったのに…
今更そんな事言う訳にいかず俺は「ははは……」と笑うしか無かった……。
「最初ベットに潜り込んだ時、修二、ガチでビビってたじゃん?」
「そりゃそうだろ!いきなり男にされてみろ!何が起こったかと思うわ!」
俺の反応にレイは嬉しそうに笑うと、急に真面目な顔で俺を見つめた。
「けど……そん時……好きだなって思ったんだ……。修二のこと……」
レイが俯いて少し顔を赤くしながら続けた。
「出来たら……ずっと一緒にいたいなって思った」
───じゃあ……なんで…………
「──じゃあ…………なんで突然何も言わないで出てったんだよ……」
俺の口からつい本音が出ていた。
教師とか…中学生とか…レイの言葉に全て消されていた。
「あの日……お前がなんも言わないで、出てった日……お前と俺の分のケーキを買って帰ってきた。一緒に食べようと思って……」
前日、ベットの中で二人とも甘い物が好きだと分かって、明日は一緒にケーキを食べようと話していたから……。
レイが赤い顔を上げ切なそうな瞳で前髪の隙間から俺を見つめている。
「俺も………修二の為に俺、ケーキ買いに行ったんだ……。前に客に買って貰ったケーキ屋が凄い美味くて……。ついでに母さんの分も買って届けてやろうと思ってさ…買って帰ったら……母さん殴られて怪我してて……。俺、金貯めなくちゃいけないのに、何やってんだろう……って思って……」
レイの俯いて見えない瞳から涙が落ちるのが分かった。
机の上に何滴も涙の粒が広がる……。
俺は黙ったまま立ち上がりレイの隣へ行くとそっと抱きしめた。
「ちゃんと話して……終わりにしろ」
レイは俺に抱きつくと何度も頷き
やがて……声を上げて泣き出した……。
それからしばらく俺はいつ警察に呼ばれるかと、正直ビクビクして過ごした。
しかし……警察に呼ばれることも、学校が騒ぎになることも無かった。
後、一週間程で夏休みになるという頃レイの担任の竹中から夏休み中にレイが母親の実家に引っ越すことになったと聞かされた。
どうやら父親から母親へのDVがあったようで、離婚と共に実家へ越すらしいと話された。
あの後レイと会うことは無くて心配していたが……。
ちゃんと頑張って話をしたんだな……とホッとした。
「……で……何でお前がここにいるんだよ……」
仕事を終えて帰ると部屋でレイがソファーに寝転がっていた。
「鍵、帰る前に借りたから」
レイは悪びれる様子もなく鍵を差し出した。
確かに……レイが最後に来たあの日から家の鍵が無くなっていて、予備の鍵で過ごしていた。
家の中で無くなったし、その内出てくるだろう……くらいにしか思っていなかったらこれだ……。
「お前……それ借りたって言わねぇからな……」
俺はため息と共にキッチンへ行き自分用のコーヒーとレイの為にカフェオレを入れてからソファーへ向かった。
「いいじゃん。俺たち『恋人同士』でしょ?」
「はい!?」
俺はびっくりして思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「だって……俺は修二が好きだし、修二も俺の事好きなんでしょ?」
レイが嬉しそうに俺の顔を覗き込む。
「───俺がいつ……お前を……好きだって…………言ったよ……」
レイの真っ直ぐな瞳に声がどんどん小さくなってしまった……。
「好きとは言ってないけど……。俺がいなくなった時ショックだったんでしょ?」
───好きにしろの意図は汲み取らないクセに……そこは気付くのかよ……。
「たとえ俺がお前を好きだったとしてもだ、俺は教師でお前はまだ中学生な?恋人同士にはなれないの!」
俺はため息をつきながらレイを退かし隣に座った。
「関係ないじゃん……」
「お前は無くても俺はある。だいたい…こんな時に出かけて……母ちゃん心配するぞ?……ちゃんと話したんだろ?」
「……話したよ…………母さん泣いてた」
レイが俯いて呟くように告げた。
「……そりゃ……そうだろうな……」
俺は言葉が見つからず……凄く陳腐な言葉を口にした……。
「けど……父さんと別れる決心がついたって……。これからは母さんが俺を守るからって……」
そう言って少し……ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。
「今日は修二にお礼言いに来たんだ。修二が言ってくれたからちゃんと母さんと話すこと出来たし……」
レイが俺の顔を見つめにっこりと笑った。
そこには以前と少し違う、子供らしい笑顔があって……俺はまたホッとした。
「良かったな」
俺がレイの頭を撫でると
「もしさぁ……」
「ん?」
「俺が……中学生とかじゃ……無かったら」
レイが視線を机に落とした。
「俺を……恋人にしてくれた……?……俺の事……好きだよね……?」
部屋の中に一瞬で沈黙が訪れた。
どう答えるべきか……解らない……
レイはこれから新しい環境で、一からスタートする。
その中で友人も好きな人も……或いは女の子を好きになるかもしれない……。
それを俺の感情で縛り付ける様な事があったら……。
「ないな……。それはない」
そう言い切った俺の言葉にレイが顔を上げ悲しげに俺を見つめた。
「嘘だね……」
「嘘じゃない」
「絶対嘘だ」
「嘘じゃねえっての」
「嘘だ!」
…………………………
そんなやり取りを優に10分以上俺たちは続けた……。
「分かった!認めるよ。俺はお前が好きだよ……」
俺はぐったりして再びため息をつき
「だけど……恋人にはなれない。何度も言うけど…俺はお前の先生なんだよ」
優しくレイの頭を撫でた。
それが俺に出来る精一杯だと思ったからだ。
「だから……じゃあ……もし俺が大人だったら……生徒じゃなかったら……?」
レイが縋るような目で俺を見つめて……
もうこれ以上嘘はつけないと思った。
「もし……お前が大人だったら……絶対離さないよ」
俺が顔を真っ赤にしてそう言うと、レイははにかんだ様に嬉しそうに笑って
「じゃあ……大人になるまで待っててよ」
そう言った。
それから、レイは母親の実家へと越していき会うことは無くなった……。
だけど代わりに時々レイからラインや写メが送られてくる。
無事に高校にも合格して、そこそこ真面目に高校生活を楽しんでいるらしい。
そして少しづつ大人っぽくなっていくレイを見るのが俺の楽しみになった。
時々、女の子に告白された話をしてきて…
俺がヤキモチを焼くか確かめているらしい。
あっという間に三年の月日は流れ……
俺は教師4年目になり、自分の担任するクラスも持ちそこそこ忙しい毎日を送っている。
ここしばらくレイからのラインは途絶えていた。
大学を受験すると言っていたから忙しいのかもしれないし、俺から気が逸れたのかもしれない。
寂しいが……それならそれで良いと思った。
レイの中で俺と知り合った時は決して幸せな時間ではなかっただろうし……
忘れられるなら、それはその方がレイの為には良い事だと思えた。
「おかえり」
仕事から帰り、リビングに入っていくとソファーに知らない男が座って俺に笑顔を向けている。
「…………レイ……か?」
髪をキレイにセットして背も高くなって…
雑誌から出てきた様なイケメンだ。
「俺、だいぶ大人になったでしょ?」
レイが少し照れたように笑った。
「そうだな……」
俺は思わず笑顔になっていた。
本当に……また会えるとは思っていなかった……。
「俺さ、こっちの大学に決まったんだよ」
「そっか……。おめでとう。よく頑張ったな」
俺が頭を撫でると、嬉しそうに
「だから……ちゃんと俺を恋人にしてよね?」
俺に抱きついてきた。
「覚えてたんだ……」
「忘れる訳ないじゃん!修二は?もう他に好きな人とか……」
俺はレイを思い切り抱きしめると初めて俺からキスをした。
───ずっと……待ってた……。忘れられても良いと思いながら……忘れられたくなかった……。
「おかえり……レイ」
俺が耳元で囁くと、レイはくすぐったそうに
「ただいま……」
そう答えて今度はお互いキスをした。
───ん?…………
「ちょっと待て、お前……どうやって部屋入ったんだ?」
俺が慌てて中断して聞くと
「前借りた鍵、スペア作っといたから」
レイはまた悪びれるでもなく
「だって、俺たち恋人同士じゃん。それに4月から俺もここに住むし」
そう言って嬉しそうに笑った……。
───本当に……こいつは…………。
多分この先も……こいつのペースで生きてくんだろうな…………。
と、俺は苦笑いした。
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