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四、それはわたしの大それた願い
月曜日の朝、ニカはいつも通り目覚めて家を出た。親に休んでもいいといわれたけれど、大丈夫だという気持ちだったのだ。
外の空気の冷たさが日に日に増している気がする。吐く息の白さに、冬が寒いのって自分で見えるようにできるんだなと思う。
花壇の花の様子を見に中庭へ向かうと、背の高い影があった。襟足の長い髪がマフラーの下に隠れている。
「ニカちゃん」
ユツイくんだった。おっとりした雰囲気で、何も言わないで立っているとニカより年上に思われることもある。
「おはよう、ユツイくん。えっと……この間の、大丈夫?」
「大丈夫だよ。それでね、少しお話がしたいんだけど、寒いけどここでもいい?」
二人は花壇の向かいに設置されたベンチに腰掛けた。座面が冷えていたので、ちょっとだけ浅く座る。
「僕、魔法をね、アザ博士に返したんだ」
ユツイくんは自分より背の低いニカに視線を合わせるように、上半身を傾ける。
「……そっか」
「うん。健診仲間じゃなくなっちゃったね」
「そうだね」
「……あのね、ニカちゃん」
ユツイくんは花壇に咲いている紫の小さな花たちを見る。
「僕ね、ニカちゃんのこと好きだったんだよ」
「……え?」
ニカは言われたことを理解するのに数秒かかった。
「ニカちゃんが女の子が好きなのは知ってたよ。でもね、それでも好きだったんだよ」
「そ……うなの……?」
「そうだったの。言わないでおこうかなってずっと思ってたんだけど、やっぱり言うことにしたんだ」
恥ずかしいなあとユツイくんは自分の両頬を両手で挟んだ。ニカはまだぽかんとしている。自分が男の子に好意を向けられるとは思ってもみなかった。
「ニカちゃんさ、ナナハさんが好きでしょう?」
「うっ、はい、うん。ナナハさん……そうだよ……」
突然ナナハの名前が出てきて、ニカは見るからに動揺する。
「アザ博士がこの間学校に来てくれたときね、僕の持ってた魔法がナナハさんていう人に影響されてるって言われたんだけど、そのときね、そうじゃないんじゃないかなって思ったんだ」
「……どうして?」
「魔法同士が影響するならね、たぶん僕のはニカちゃんのに影響されてたんじゃないかなって。そう思いたいだけかもしれないけど」
「でも、わたしは……魔法がちょっと使えるだけだよ」
少しだけ魔法が使える、と口にすることに少し躊躇った。何か、それでは違う気がした。まだ少しの違和感だけれど。
ユツイくんは視線を空に向ける。
「それは僕もそうなんだけど。だって僕はニカちゃんが好きだったわけで、ナナハさんのことはあんまり知らなかったんだもの。だったらやっぱりニカちゃんに影響されたんじゃないかなあ」
「そうなの?」
「そうだといいなって」
そうであってほしいという願いが、まだそこにあった。
「昔トオノさんが言ってたけど、魔法って、魔法がいられる場所に満ちるから偏りやすいんだって。だからそもそも魔法使いが何人か一緒の場所にいると、バランスが崩れやすいって」
魔法使いが一か所に偏ると魔法のバランスが崩れやすいという話は、アザ博士も言っていた。
「魔法って生き物みたいなものだから、ある魔法使いが別の魔法使いに心を寄せれば、それに影響されてそれぞれの魔法のバランスも崩れやすいんだって。だから、僕はニカちゃんに影響されてるんだろうって思ったの。ニカちゃんも保健室に来たでしょ? ニカちゃんの魔法が僕の魔法に影響されてるならってちょっとだけ、期待したんだけど……でも違うだろうっていうふうにも思ってて。だってニカちゃんは僕のこと好きにはならないって知ってるもん。ナナハさんの名前を聞いてね、僕はもう魔法を持っていることが辛いなって思ったんだ」
自分勝手だけど、だからアザ博士に魔法を返したんだ。
もう一度そう言うと、ふうっと喋り疲れたように息を吐いた。それから、
「あ、謝っちゃだめだよ」
まさに今なんと言ったら良いのかと、ニカの頭の中ではぐわんぐわんと言葉が巡っていた。
「ニカちゃんが僕を好きになれないことは悪いことじゃないから」
「……ユツイくん」
どうして自分のこと好きになってくれたんだろうなとか、ここまで話を聞いていてもやっぱりどうしても男の子に好きだと言われてもピンとこないなとか、それが申し訳なく感じられてしまってニカはどうしたら良いのかわからない。それが顔に出ていたのかもしれない。
「初めて魔法を使った日に、トオノさんに会うために、診療所に行ったでしょう? そのとき初めてニカちゃんにも会ったんだけど、覚えてる?」
「うん。覚えてるよ」
診療所の待合室で、ニカの他にも数人魔法が使えた子たちがいた。そこで縮こまって、大きな犬のぬいぐるみを抱き締めていたのがユツイくんだった。
「僕は公園の砂が突然動いてさ、一緒に散歩してたリリーを埋めちゃったんだよね」
リリーというのはユツイくんの家で飼われている雑種犬だ。待合室で抱き締めていたぬいぐるみによく似ている。ニカは何度かユツイくんと散歩中のリリーに会ったことがある。
「あのとき本当にショックでね。リリーは無事だったんだけど、自分が傷付けちゃったかもと思って本当に怖くて」
あんまり青ざめた顔でいて、ニカはつい声を掛けたのだ。
「ニカちゃん、大丈夫? って言ってくれたでしょう? 魔法が怖いって言った僕に、トオノさんがもとに戻してくれるよって。だからもう戻してもらったのか聞いたら、自分は魔法を持ってることにしたって言うし。どうしてそうしたのか一生懸命ニカちゃんは説明してくれたけど、僕よくわからなくって」
今になって小さな自分が言ったことが伝わっていなかったことに、ニカは恥ずかしくなった。ユツイくんは気を遣ってくれていたのか。
「それでも魔法を持っていた人が悲しくならないように、ニカちゃんも持ってることにしたって聞いて、びっくりしたんだ。あんなに怖いものを持ってることにしたんだって……今は魔法、そんなに怖くないけど。ニカちゃんが持ってるなら僕もそうしようって思ったんだ」
ニカちゃんみたいになれるかなって思ったんだよ。
ユツイくんは清々しい顔になる。
「憧れが好きに変わることもあるんだよ」
「……あの、ユツイくん」
「なあに?」
好きと言われても嬉しいかどうかわからないから。
「いつも、仲良くしてくれて、ありがとう」
「うん」
「……くらいしか……言えなくて、その……」
だいたいいつもニカは、好きな人ができても告白までに至らないのだ。それに告白されたことも初めてで、どう返事をするのかなんてすぐに思いつかない。リッタとかなら知っているかも、なんて思うけど、聞いて教えてくれるだろうか。
「…………健診仲間じゃなくなっちゃったけど、これからも、僕と友だちでいてくれる?」
ユツイくんは震える声で聞く。そろそろ我慢が利かないみたいに。
「もちろん」
その気持ちに応えるのは早かった。好きの気持ちが受け取れなかったからといって、友だちまでやめる必要はない。
へへっとユツイくんは誤魔化すように、マフラーを鼻先まで隠すように引き上げた。
そろそろ朝のチャイムが鳴る。
「今日も寒いね、ニカちゃん」
「寒いね」
⚘
放課後、靴を履き替えて玄関を出ると、扉を出てすぐの階段のところでナナハがニカを待っていた。手を振られたので振り返す。つい胸が高鳴るが、今彼女が来ている前の学校の制服を見て、それを着ているのは嫌じゃないのかなとか勝手に考えてしまう。
「ニカちゃん、部活入ってる?」
首を振ると、なら今から時間があるかと聞かれる。今日は委員会活動もないし、ニカはこのまま帰宅するつもりだった。
「薫衣ってカフェわかる?」
「あ、わかります」
「寄り道しても良ければ、一緒に来てほしくて……そのカフェでクロエが待ってるんだけど、行ったことがなくて。ニカちゃんたちはよく知ってるって聞いたから」
少し寄り道をするなら問題なかった。マエさんたちのお店なら両親もよく知っているし、案内をするだけならあとから言えば大丈夫だ。
了承して、二人で歩き出す。学校からなら徒歩で二十分くらいの距離で、少し歩くことにはなるけどニカは平気だった。何よりナナハと一緒にいられるのが嬉しい。
「昨日の、スミオくんは一緒のクラス?」
「はい。スミオは他の友だちとオセロ大会をしてます。二年生の中で誰が一番強いか決めるらしいです」
「……オセロって持ち込んでいいの?」
「駄目ですよ。だから休み時間に、みんなで段ボールで作ったみたいです」
なんでもない会話をしながら、二人で歩いて行く。通り道にあるお店のことだとか、どんな先生がいるかとか。
「あたし、学校にエレベーターがあるの初めて。自由に使っていいって聞いてびっくりした」
「でもほとんどの子は階段を使ってます。卒業生に足が不自由な人がいて、そういう人でも自分で色んなことができるようにって、生徒が学校にお願いしたらしいです」
「そうなんだ。制服も?」
「制服はわりと最近で、リッタが署名を集めて実現したんです」
「リッタ?」
「あ、わたしの友だちで、今高校生なんですけど。あ、」
噂をすればだった。そろそろ店に着こうかという角を曲がったところで、リッタの後姿が見えた。
「リッタ!」
今日はだぼっとしたパンツに首まであるセーター、その上にコートを羽織った姿で、振り向くと片方の耳に揺れるイヤリングを付けているのがわかった。
「あれ、ニカじゃん。昨日は大丈夫だった?」
大丈夫だよ、と元気そうに返事をしたので、リッタはほっとしたようだ。
続けて隣のナナハを見て、何かに勘付きながらもニカにたずねた。
「そちらの人は、ニカの友だち?」
「そう」
リッタの雰囲気に気後れしたらしいナナハは恐る恐るというように彼と目を合わせる。
「初めまして。央里利太です。リッタって呼んでね」
リッタはてろんとしたトートバッグを肩に掛け直して、先に名乗る。
「薊矢ナナハです。ナナハでいいです」
「よろしくね! 薊矢って、アザ博士とお知り合い?」
「はい。はとこで」
「あ、敬語じゃなくていいよー気にしないで。呼び捨てでいいから。そっかアザ博士のご親類なんだね」
うんうんと一人頷く。
「リッタもマエさんのお店に行くところだったの?」
「俺もってことはニカたちも?」
「うん。アザ博士がいるんだって」
「そうなんだ。俺はヒノとデートなの」
「デート……?」
「めっちゃ不思議そうな目するじゃん……そうだよ……勉強見てもらうだけだよヒノ先生に……」
リッタを先頭に三人で数分歩くと、もう薫衣の前だった。扉を開ければカウンター席にいるミナカミさんがすぐに気づいて、やあ、と声を掛けてくれる。ニカたちより訪ねる頻度が多いせいか、マエさんのお店ではよく会うのだ。今日は以前とは編み方の違う深い青のセーターを着ている。リッタとニカが慣れた様子で挨拶したあとに、ナナハもぺこっと頭を下げる。
「お知り合い?」
ナナハがニカにたずねたのが聞こえたのか、ミナカミさんがナナハに微笑みかけた。
「こんにちは。ミナカミです」
慌ててナナハも名乗った。
「わたしはここから少し歩いたところで時計屋をしているんですよ。時計に困ったらお訪ねください。以前は連れと一緒にここへ来ていたんですが、一昨年亡くなったので、今は一人で通っているのです」
「そうなんですか……」
「わたしより逞しい男だったんですがねえ」
にこにこと話すのでナナハはそうなんだと聞き流しそうになった。え? と思ったが「ここのお菓子はおいしいので、ぜひ食べてみてくださいね」と言うとミナカミさんは手に持っていた本の続きを読み始めた。
カウンターにマエさんの姿が見えないと思ったら、テーブル席の方から声がした。
「いらっしゃい。ヒノ、リッタが来たよ」
窓際にテーブル席が二つあり、手前のテーブル席にヒノが座っている。顔を上げたヒノはリッタの後ろにいるニカにも気づく。
「リッタ。あれ? ニカだ」
「ヒノちゃん!」
「今日学校行ったの? 大丈夫?」
「うん。昨日はごめんね」
「いいよ謝らなくて。ニカが元気ならわたしも安心する。こっち……」
座る? と聞こうとして、ニカとリッタの他に見知らぬ姿があるのを目に留めた。
「今日はお友だちと一緒?」
ナナハは今日三度目の自己紹介をして、ヒノも姿勢を正して頭を下げる。
「光斐ヒノです。よろしくお願いします」
リッタがヒノの前の席に座る。
「ナナハさんはこの辺の学校の人?」
「いえ、最近転校してきて。あとちょっとで卒業にもなるから、ほんとにちょっとしかいないので、前の学校の制服でいいってことになってて」
「……そうなんだ」
ヒノは少し考えてから、
「もし嫌じゃなかったら、あたしの制服あげようか?」
突然の申し出に驚きつつ、ナナハはおそるおそる、
「いいんですか……?」
期待に満ちた眼差しでヒノを見る。
「あたしみたいな人間のでも良かったら」
「え?」
「トランスジェンダーなの。嫌じゃない?」
リッタがぎょっとした顔になる。会ってすぐの人間にヒノが自分のことを話すとは思っていなくて戸惑った。なんで急にさらっとそう言い出したのか気になるし、ヒノが大丈夫なのかものすごく心配になる。自分が口を出すべきか、それは差し出がましいのか。
「えっと……ヒノさん、女の子ってことですよね。気にならないですよ。制服はスカート派ですか?」
「……うん」
「なら欲しいです」
「じゃあ、貰ってください。サイズたぶん大丈夫だと思うので」
あと呼び捨てでいいよ、と恥ずかしそうにヒノは服の袖で口元を隠した。リッタががばっとヒノに腕を伸ばす。
「……何その手」
「ハグいらない⁉」
「いらない」
「リッタ、注文は?」
すげなくされたリッタにマエさんが注文を取りに行く。
「ナナハくん、こっちだよ。ニカくんも一緒だね? こっちにどうぞ」
奥のテーブル席にいたアザ博士がナナハを呼んだ。今日も白衣を羽織っている。折り畳み式ではない杖がテーブルの横にホルダーで立ててあった。
呼ばれた二人が奥のテーブルへ行くと、アザ博士の向かいに座ってパソコンを見ていた人が振り向いた。
「あらニカちゃん。お久しぶりね」
ふっくらした女性は緑色の目を細める。サコさんは鳥がたくさん描かれた大判のストールを巻いていた。鳥の羽根を模したピアスも身に付けている。
「お久しぶりです、サコさん」
「なんだか見る人全員久し振りな気がするなあ」
「サコさんお仕事大変だね」
「大変大変。でもマエちゃんがいるから頑張るの。ね、マエちゃん」
何、と名前を呼ばれてマエさんはサコさんのところにやって来る。今日は黒いレースの縁取りが付いたストライプ模様のワンピース姿だ。
サコさんは椅子から立ち上がって、近寄って来たマエさんの頬にキスをする。それを見てナナハが小さく「あ、」と声を漏らしたのがニカには聞こえた。
「それじゃあ、用事を済ませてくるね。晩ご飯は一緒に食べようね」
「気を付けて行ってね」
「はあい」
良かったらここに座ってとアザ博士の向かいの席を空ける。
「クロエちゃん、杖の注文できたよ。届いたら持っていくね」
「ありがとう。スペアだけじゃやっぱり心許なくて。助かる」
サコさんはパソコンを仕舞った大きな鞄を持ってお店から出て行った。マエさんは注文決まったら教えてとカウンターに向かう。
「……あ、わたし」
ニカはナナハの案内だけのつもりでいたから遠慮しようとした。何かあったときのためにという持ち合わせくらいしかないし。
「少しだけお茶に付き合ってくれるかい? わたしの奢りだから」
「でも……」
迷っていると、
「ニカー帰り送ってくよ。ヒノもいいって。俺からシュウコさんに連絡しとこうか?」
リッタはニカやスミオ、ヒノの親とも連絡先を交換するくらい仲が良い。おとなから信頼されているというのもある。
「……じゃあ、いいですか? お茶、一緒にしても」
「大歓迎だ」
ニカはリッタに連絡をお願いして、ナナハと並んでアザ博士の前に座った。
「ニカちゃんたちって、幼馴染とか……?」
たち、はたぶんリッタやヒノのことだろう。随分仲が良く見えて気になったらしい。
「スミオとは幼馴染です。親同士が仲が良くて、赤ちゃんのときから。ヒノちゃんとはピアノ教室で知り合って、それから小学校が一緒で。ピアノはすぐやめちゃったんですけど。リッタも同じ小学校だったので、いつの間にか仲良くなってて」
「それで今も?」
「そうなんです。リッタもヒノちゃんも、スミオも、大好きな友だちです」
ニカが照れずに言うのを見て、そっか、とナナハは呟いた。
アザ博士に促されて二人はそれぞれ飲み物を注文する。
「さてと。ニカくん、今日は体調の変化などはなかったかな?」
「はい、なかったです。一日元気でした」
「それは何よりだね。ナナハくんも気分が悪くなったりしなかったかい?」
「大丈夫だった。ていうか……自分のことより、ニカちゃんのことの方が気になってた」
へ? とニカは間抜けな声を出す。
「……だって。あたしがきちんと自分の魔法を安定させられてないからニカちゃんに迷惑かけちゃったのに、ニカちゃん、自分の持ってる魔法はそのままにするか考えるなんて言うから」
ふつういらないでしょ、と。
ニカは昨日自分がアザ博士に言ったことを思い出す。
本当は、今日一日ほとんど上の空だった。朝ユツイくんに告白されたこともあって、余計に魔法のことを考えていた。それにどうして自分がアザ博士の魔法を持っていることにしたのかを、ユツイくんに言われて思い出していた。
悲しいことのあった人を、一人にしたくなかったのだ。
ニカがとても悲しかったとき、スミオがそばにいてくれた。一人じゃなかった。
だからニカも、悲しくて使ってしまった魔法と――魔法を使った人と、一緒にいてあげられるんじゃないかと思ったのだ。
ニカが言葉を探しているところにマエさんがカフェオレを二つ運んで来て、これも良かったらと小さなお皿に添えたアンゼリカで飾ったクッキーも置いていく。ニカは温かさを肌に染み込ませるようにカップを両手で覆った。
「まあ、どうするかはまだ考えたらいいよ」
アザ博士はコーヒーのお代わりを飲んでいた。
「……わたし、やっぱりこのまま、魔法を持っていてもいいですか?」
ナナハがどうしてという顔でニカを見る。アザ博士はゆっくりとカップをソーサーに戻した。
「いいのかい?」
「今は、まだ」
「いつかは返そうという気持ちはあるんだね」
「わたしが持っている魔法は、アザ博士のものだってわかってるから。我儘だけど」
「それは別にいいよ。わたしが魔法使いであることは変わらないんだから、その所有がどこにあったところでね」
何もしなくても、ただそこに、魔法のある限り存在する。
魔法が使えなくても人間が、そこに生まれたならただ存在するように。
「じゃあ、アザ博士に魔法を返す日まで、わたしも魔法使いです」
言い切って、ニカは自分の中にあった引っ掛かりが外れたような気がした。
魔法が使えるなら魔法使いだ。
「……また、あたしの魔法の影響で、ニカちゃんまで大変なことになったらどうするの」
「そのときは、また考えます」
「でも」
「……もし、」
ニカはナナハに惹かれているから、ニカの持っている魔法もナナハに影響されている。ナナハが悲しいとニカの魔法もその悲しさに揺さぶられる。
誰かの悲しみを勝手に共有してしまうのは良いことだろうか。そうではないかもしれない。
「もし、ナナハさんが嫌じゃなかったら。ナナハさんが悲しくなったときに、一緒にいてもいいですか?」
ナナハは数瞬黙り込む。アザ博士は二人の成り行きを静かに聞いている。
「……あたしが悲しいときに、話を聞いてくれたりするってこと?」
「……そうです」
ニカはナナハの気持ちに寄り添いたい。自分勝手な思いかもしれないけれど。いつかナナハが、たとえ両想いになれなくても、友だちとしてでも、ニカがいるということに気づいてくれたらいい。それが今の自分の願いだとニカは気づいた。
ナナハは納得したようなしていないような、そんな顔でカフェオレを一口飲んだ。
「……とりあえず、そういうことなんだよね」
「はい」
ナナハはわかった、と言ってアザ博士に向き直る。
「クロエ。何かあったら助けてね」
「もちろんだとも。可愛い子どもたちのためなんだから」
アザ博士にそう言われると、なんだかくすぐったいような気持ちになる。
ニカもカップに口を付けて、ナナハもこの場所を好きになってくれたら良いなと思った。
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