赤い味噌汁 

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赤い味噌汁 

「今日は良い赤味噌なんじゃ。隣の村のばば様がくだすった。兄者もたんと飲め」     端が欠けた椀を持ち上げると、阿木弥は加賀良の顔の前に向ける。  出来るだけ明るい笑顔を作る様に心掛ける。それは、加賀良が今までに見た事もないような惚けた表情をしているからだった。 (兄者、どうしたのじゃ……)   少し前屈みになり、口は薄く開いているし、瞳は潤んでいる。いつもの仕事熱心できびきびとしている兄の姿からかけ離れていた。  加賀良の後ろで一つに纏めた長い髪。そこから解れた一房が彼の額へ垂れた時、加賀良は夢から覚めたように、はっと目を見開いた。 そして顔を上げると、目の前に出された阿木弥の椀の縁に、鼻が当たってしまった。 「うっ」   軽い痛みで、加賀良は鼻を押さえた。 「兄者、どうしたのじゃ。何かあったのか」   阿木弥は声に不安の色を混ぜて、加賀良に問いかけた。  加賀良はふと視線を下に下げると、躊躇うように呟いた。 「……おなごが……」 「ん? 声が小そうて聞こえん」   阿木弥は片手を耳に当て、加賀良のか細い声を聴きとろうとする。 「……おなごが……」 「おなごが、なんじゃ」   正座した太ももの横に拳をつくと、阿木弥は兄に一つ近付いた。  加賀良の口に、己の耳を近付ける。 「……好きなおなごが出来た……」   阿木弥は瞠目し、飛び上がった。 「なんと!!」 「うっ」   飛び上がった衝撃で、加賀良の顎に椀が当たってしまい、中の味噌が辺りにまき散ってしまう。 「ああ」   阿木弥は味噌で濡れてしまった床を見て茫然としていたが、顔を上げて険しい顔で加賀良を見た。 「して、どういうことじゃ。好きなおなごが出来たとは」   加賀良は顎を片手で撫でると、二、三度瞬きをしてから阿木弥を見た。 間近で見る阿木弥の瞳は琥珀のようにきらきらと輝いていた。思えば弟のこういった好奇心旺盛な瞳が自分は好きであったのだと感じる。それは仕事の上でも、生活を共にする上でも同じことであった。そして今、何故かこの弟の瞳に、加賀良はこれまで何度も辛いときに支えられてきたことを思い出す。  躊躇うような瞳で阿木弥を見つめていると、阿木弥はぱっと明るい笑顔になった。  そして、してやったり、といった顔になると、瞳を閉じて加賀良の肩をぽん、ぽんと叩く。 「ほうほう、兄者もついにそのような年頃になったか。今まで木のことしか考えない仕事一辺倒な人間だったから、そのような色めいた話、おらは嬉しいぞ。……それにしても同じ時期に、おなごを好きになってしまうなど、おらたちはやはり兄弟であるなぁ!」     明るい笑い声が狭い小屋の中に響く。その声を、加賀良は遠くの方で聴いていた。  加賀良の中に、ある疑問が浮かんでいた。そして、自分の考えているその疑問は、正解なのではないかという事を感じ取っていた。 (……わしたちは、同じおなごを好きになってしまったのではないか……)  床に散らばった味噌汁は、熱を失い、冷えていた。
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