趙雲の名も無き妻

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私は、趙雲様の部屋に招き入れられている。 「何もない、殺風景な部屋だろう?だが、お前の部屋になるのだから、好きにすればよい」 「私の部屋……ですか?」 登城しても、視察に出ても、そして、戦に出ても、戻りは、いつになるかわからない。私の部屋も同然だと、言って、好きにするよう、言われた。 「ならば、小さな部屋でかまいません、私の部屋をくださいませ」 ここは、趙雲様の部屋。もし、私が、好きにしてしまったら……帰るところが、失くなってしまう。 そう言った私に、 「ああ、そうだな、しかし……ここは……」 と、歯切れの悪い言葉が返ってきた。 「二人の寝室でもあるのだ。お前の好きにしてよいのだよ」 ああ!と、私は小さく叫び、趙雲様と、腰を下ろしているのは、寝台であったと思い出した。 一気に私の顔は火照った。これから、起こることに、私の胸は高鳴った。つい、うっかりしていたなどと、言えるわけもなく、ましてや、それではとも、言えるわけもない。 そんな、落ち着かない私へ、趙雲様は、すまない、と、言ったのだった。 「名を棄てろなどと、言って。しかし、訳があるのだよ。聞いてくれるか?」 そう、前置きをして、少しばかり、昔の話しを、趙雲様は語り始めたのだった。 ──お仕えする、劉備様が、北の曹操軍に、5000の兵で攻められた時の事、こちらには、勝ち目かなく、南方へ逃げることになった。 国の主である、劉備様には、生きていただかねばならない。その、死は、即ち、国の滅亡となる。 と、なれば、民はどうなる?流浪の(みん)となるか、勝者、曹操の奴婢(どれい)となるか。 「劉備様は、ここから逃げれば、民を見捨てることになると、おっしゃられた。実に、あの方らしい、お言葉だったと思う。しかし、生き抜いて、国土の安寧を計って頂かねばならなかった」 と、そこまで言うと、趙雲様は、なぜか眉をしかめた。 「ところが、どうだ」 膝の上で拳をつくり、趙雲様は、何かを堪えているように見えた。 混乱の中をわずか、数十騎の供をしたがえ、逃げ惑うことになった。それも、生き抜く為には、致し方なし。いや、それこそが、乱戦なのだから。 だが、その時、共に支えあってきたはずの、妻君と、跡継ぎである若君を置き去りにしたのだ。 「理由は、わからん」 と、趙雲様は、強い口調でおっしゃられた。
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